今日は8月27日、日曜日。

14時50分。

集合住宅の低層階ってこんなにゴキブリがでたっけ?ってくらいゴキブリに出会う。

親しみさえ感じてしまう。

大きいゴキブリが素っ裸の背を睡眠中にゴソゴソ這ったら想像を絶するが、小さい生まれたては全然怖くない。

蛍の大人のほうがよほどグロい、いや同じくらい。

これほどゴキブリに遭遇したのも人生初も、初。


夫との結婚生活で、夫はゴキブリを嫌悪したがわたしはまず見る機会がなかったので、稀に出現しても夫の絶叫とゴキジェットのスプレー音で事足りた。

わたしを殴る物体がまんぶんのいちのゴキブリに悲鳴をあげ大騒動する様子は密かに痛快ではあった。

何度かの引っ越しでもおんぼろさは同レベルの集合住宅で、本当にゴキブリを見る機会が少なかった理由はここで暮らしてみてなんとなくわかった。


【換気】と【気にしない】こと。

たとえゴキブリが出現してもわたしより夫が先に反応することが常だったので、ゴキブリは脅威ではなかった。

脅威ではないものは居ないも同然。

そして換気。湿度。

低層階ばかり暮らしてきたのに、結婚生活ではベランダの窓はほぼ開けていた。舞い落ちてくる葉っぱや砂埃、黄砂も掃いて掃除した。

屋内がおそろしく乾燥した家ばかりで暮らしていた。

フシギだけれど、わたしは夫自身がおおきな乾燥剤そのものだった気がしてならない。

掃除好きは今も過去も変わらないのに、ほぼ毎日ゴキを退治してる現状は、わたしが一切窓を開けずカーテンを開放しないことが関係してないわけがない。

こわいもん。イメージしてしまう。

無防備にのんきに窓を開けカーテンを全開にしてリラックスしてる、、、、。なにげに顔をあげ窓を見ると、網戸越しに夫が沈黙して中のわたしを見ている。その瞬間の恐怖はゴキブリよりリアルに想像できる。

覚悟はしてる。その時は殺されたい。半端に生かしてほしくない。信じられる数人と公共機関には防衛策はとってはいるが、ひとが一念を以って事を成し遂げたいと思えばすべて完遂することは、わたし知ってる。

この一つの命を奪って夫が逃げおおせたとしてもいい。嘱託殺人でもいい。わたしの知ってる夫ならやると思う。

生きていたいわけじゃない。死ぬ理由があるならそれに越したことはない。夫に殺されたいが、できれば。

警察のてぬるさは結婚生活で嫌というほど見てきた。

殺人犯が社会のなかで寿命を全うする例は過去いくらでもあっただろう。夫はそれができるひとだと思う。

それでもいい。結婚生活という誓いから逃げたのだから末路はあの時に決まっている。

出来ることをするだけ、だ。


カーテンは常に閉ざされている。

毎日ガスを使い洗濯物を室内干しし、シャワーを浴びる。

料理も自由に出来るようになり生ゴミは日々でる。この普通の暮らしをするようになり換気はしないのだから、ゴキブリにとっては暮らしやすい恰好の好条件物件。

赤ちゃんゴキブリを抹殺する日々の中でだんだんゴキブリが成長してきている。

さっきのはだいぶ大きくなってた。中学一年生くらいの体格。

怖くないと言ってもどんだけ生まれるんだよ。生まれ続けるんだよ。

こっちも殺しつづけるだけだけど。


あのねぇ!

ブラックキャップ、全然効かないんですけど!

12個じゃ足りないと思って、買い足し行って24個も設置してるんだけど。誘引剤喰ったイッピキが巣に戻って、家族根絶やしにするんじゃないのー!ぁえっ?!

平和に毎日出現しヨレヨレ行進してます、成長続けてます!

ほんとにしぶといわ。

むかし観た映画のトワイライトゾーンだったか、、、いやいやクリープショーか。ゴキブリ退治の博士のように気にしたらもう負けだ。

義兄がまだ恋人だった頃、蜂の羽音にぎゃーぎゃー喚きながら逃げ回る姉妹に『自然と共存せにゃあ。いかい図体してイナカで生まれたんじゃないんかいや。そがあに逃げ回ったらほんとに刺されるで。じーーーっとしとらにゃー。』と生きる術を教わり諭され、呆れ果てられたが、そういうことだ。

『怖い』と思った時点で既に負けてる。


蛍とゴキブリいっしょ。なんでこんなに虫が怖いのさ。

母の死への道行きのフィナーレ近く、訪問介護の移動入浴に来ていただいた際、ブンブン羽音を出して飛ぶカメムシに厳かな静寂はわたしの悲鳴で掻き消された。麻薬でだんだん朦朧の母にこっぴどく叱られた。恥ずかしい娘だった。

どんな状況でもカメムシだけは怖い、いてもいなくても怖いもんはこわい。

四季のうつろいで出現する害虫が変わるわたしの田舎では、わたしの精神は東京の比じゃないほど疲弊する。

湿地の娘は自然を畏怖し愛し、自然に祝福された。情けない。


数日前、親友からメールがきた。こえききたい、と。


2時間まくしたてた。一切親友の返信をきかずただひたすらに狂気じみた喋りだっただろう。ことばを選ばず息継ぎさえ惜しむほどに喋り倒してやった。むろん悪意はない。

そして『もう、しばらく、話さないから』と告げて終えた。

親友の暇つぶしな願いは意図せずわたしの快眠をもたらした。

そしてエネルギーも充たされて一気に家事もすすんだ。

かっこうのタンツボにされた親友はかわいそうではない。

彼女自身が望んだのだから。


元同居人が『○○さん(私の名前)、わたしにはノーって言えるのに。。。。どうして?』と、境界を侵入されまくりに生きてきた私を、不思議がった。

応えは気にしてないが一因だろう。でも言えない。

むかし親友は脅威そのものだった。こころ奴隷だった。

気にしてない。彼女が禁を破ったあの日からわたしの何かを同時に奪い彼女は脅威ではなくなった。

それはかなしいことだがそうなのだ。それほどの愛があった。

今も親友と呼びたいが脅威ではない。気にするのも年一回あるかないか。

想いはいかようにも変幻自在。


わたしはわたしが思う以上に素直だったらしい。相当に。

計算ずくができなかった分、愛した。

相手の理解をある時期まで一切と気にせず無邪気に愛した。

気にしなくなったらその時は正常。


来月はあえて予定を多めに入れてみた。

刺激という注射が秋のすずしみの到来とともに求めたくなったみたい。


日本の四季どこ。湿度は私をころす。こどものころから分かっていた。

なんかエサじゃないもの食べたい。

ことばにしない、相手に通じさえしない想いっていう愛はいとおしい。

通じないものはあってもなくてもないに等しい。その等しさが尊かったんだよと、伝えたい、が。