7月30日、日曜日から新しい日記帳になった。

10冊め。

家を出た日から毎日綴っている。

家を出て3日はひたすら眠りつづけた。

頼った先の方は私の到着を待ち、昼食も夕食も用意してくれていたがあまりにわたしが眠り続けるのでそのまま眠らせてくれた。


目が覚めてメモ帳に朝からの行動を思い出して漏らさないよう箇条書きにした。

別部屋で昨日の続きの平和な夫のいびきが聞こえた。

一睡もせず最後の部屋の確認、生ごみを足音をころして数回捨てに行った。

夜が終わり、昨日の続きの明るみに目が痛かった。

すべて出来ることはした。

ベランダにでて声をひそめてタクシーを呼んだ。

夫の薬を有るだけいつものように五日分づつに分けて、ベッドの上の箱に解るよう入れた。

家の鍵と自転車の鍵も。

そして失踪ではなく意志をもってこの家を出て行くことを書き置きした。

結婚生活の中でタクシーに乗ったのは二回目。

おおきなボストンバッグと母のスポーツバッグ、背にリュックを背負い、一本傘をにぎった、そしてふりかえった。

私の生活の終わりを私が身をあずけた廊下、浴室、リビング、ベランダ、もう見えないけれど泣き、耐え、怯え、狂わず生き通した私の部屋、ごめんね、さようなら、ありがとうございました。

ドアを閉めた。

過去と未来の狭間にいるのだと思うと足が早く動いた。

タクシーがくるまで生きた心地がしなかった。

夫はその日定期受診日で仕事は休みだった。

夫のことはもう、未練は微塵もなかった。

微塵もないほど夫と生きた。

あのひとの思い通りの生活に、共に生きた暮らしは糸がきれた凧のように自由にどこまでも自由に未来を歩きはじめた。

今日も私は生きた。


元同居人にやっと引っ越し祝いを渡すことができた。

彼女との私の街でのデートはそれは笑いっぱなしの時間だった。

お目当ての店は夏期休暇で閉店していて、だれかさんがオススメの店に入って、まずいたかいりょうのすくない上げ底の天丼定食を食べた。

彼女と無言で食べた。

麦茶はぬるかった。

お水に氷はなかった。

彼女に小声で『とのさましょーばいとのさましょーばい』とわたしが言うと、まずさは差ほどの問題じゃないのだとふたりして大笑いしながら食べ終えた。

お参りもして、彼女と私の未来を見守ってくださるよう手を合わせた。

たまたま現実が私たちの同居生活を実現させ、逃げ場のない二人はほぼうまくやったが、私がコロナになって関係にヒビが入ったりもした。

もろもろあって、今は用心はすべきだけどともだちだ。

してもらったこと、仕打ち、その両方を見極めている。

彼女はいいひとだとおもう。

親友ではないが、親友でないほうがいいのだ。

私たちはおとな。

過度な親密は要らない。

親友に手痛い失望、いや絶望を経験してその見極めは私が死ぬまで出会うことのない信頼の権化であったから、もう親友は生涯できない。要らない。求めない。


親友と時々メールをする。

頻度を意識して間を空けるよう努めている。

裏切られた烙印をむねにおとしてそれでも有る熱は彼女でなくてはならない。

元同居人と元親友の違いはワガンネ。

心にいつも従うと決めた日から、私が私を裏切らないことは今日までできている。

1000回でも結婚生活の実態は綴れる。

嘘をつく初老のひとの孤独と滑稽と未来にわたしは他人でいたい。


夫の妻であり続けたかったが、夫がわたしの背を押してくれた。それは事実だ。

無知の純粋。その限界。

人生勉強。

おもおも。