からだの線を覚えている。
その言葉をほんのすこし性的に聴いた。
月明かり星明かりの夜は夢ではなかったか。
あの数日、時は数年を動かし数十年を変えようとしていた。
この緩慢な日々を支える事実がある。
言葉にしてはならない。
すべて偽善故にてなどと書き換えたくはない。
エゴに委ねて秘密裏に此処に記す。
あれから時は動きながら老いもすすむ。
この二ヶ月で五十肩になった。
痛みで目が覚める日もある。今朝がそう。
おかげで母の夢をみられたが母がよしよしでもしてくれたのだろうか。
ここへきてだれはばかることなく初めて母の遺影を飾った。
一枚は医大で抗がん剤初日の日。ふたりで買ったパジャマに着替えてベッドにちょこんと座る母にスマホのカメラを向けた。
『おかあちゃんわらって』と言った気がする。
抗がん剤を入れる初日に躊躇いをふりきって言葉にした。
これから死までの道のりでおそらくいちばん元気な母が、母の死後、母が不在になったこの世界にわたしを生かしてくれる写真になると判って言いきった。
母はにっこりわらった。
どんな罪が許されないと考える時、この日のこの言葉以外ない。母はすべてのみこんでにっこりわらってくれた。
もう一枚は姉の家でリラックスしてるほんとの笑顔の母。
時々母を感じる。
本当に苦しい時、『おかあちゃんたすけて』と念じるとその晩、あの特殊な感覚の、おもみのない温かいおくるみがわたしの全身をまとう。
母はこの世にはおらず私は本当に本当に困ったときに限り、呼ぶ。
一年を通じて一回あるかないか。死人がエネルギーをだすのはさぞや大変であろうとたいてい我慢するが、その一度は許してほしい。
ゆめにでてくる母はわたしのもう少し弱い救急。
母としゃべってるわたしは死から解かれ、10年前の母子として生意気を言い愉しんでいる。
ゆめかもしれない思ったら目が覚める。
母は姉を許せと言うだろうと信じて、いまがある。
だれにどうアドバイスを受けようと私にはわかる。
今日はお世話になった場所で勉強会がある。
今から郵便局によって買い物に行く。その先の役所も。
お天気のいい日は歩くに適している、とわたしの腰がおしえる。
いまをいきている。
ひとりでもははといきている。