ほとんどの同年代の女性は昨日の続きのような今日を送っているだろう。
私も去年の今日前夜まで、そうだった。
生活に時間が時を刻むが、ほぼ年中同じような日々を過ごしていた。
それでも生きる為に見える範囲の景色に気を落とし、無関係な生命の活力にその日を生かされてなんとか夜を迎えた。
家での暮らしは今思い返せば去勢されたゆっくり老いていく無賃ロボット。
わたしはその暮らしを去年早朝、足音を沈め玄関をあとにした。
一度ふりかえった。
わたしを生かした細長い狭い空間に黙って別れを合図した。
連日予定が合った。
5月9日、5月10日、5月11日。
9日は一年間お世話になった場所から引っ越し、また新しい仮の宿に身を置く手続きをしに職員同伴で役所に向かった。
連日の不眠と精神疲労の極みで動けば失敗する始末。
バスを乗り違え降車して停留所を間違えたと気がついた。
するとウォーキング中のおじいさんと目が合った。
私はすかさずおじいさんに行き先を伝えて行き方を尋ねた。
おじいさんはきびすを返してわたしがいっしょに行ってあげましようと言う。何度断ってもついて来る。
福島出身であること、女性にやさしいこと、近辺に住んでいて毎日2時間のウォーキングを欠かさず今その途中だったこと、この周りは庭だと言うことを教えてくれた。
おじいさんのゆたかな鼻毛が陽光に赤金にキラキラ瞬いてわたしの目を奪った。
ジーンズをはきこなしすこし右足がわるいのか右に傾く。
歩調がわたしの右足とちょうど同じくらいで30分あまりの道のりもあっという間に到着した。
私は手提げの中からお茶を取りだしおじいさんに手渡し、何度もお礼を繰り返したが帰ろうとしない。
居座りたそうだった。
住所も聞かれたが言うわけにはいかない。
おじいさんはわたしの9日の天使だった。
帰り道、お世話になった職員と家まで歩いてみた。
おじいさんと歩いたとき同様苦でない。
駅まで見送り手を振って別れた。
10日、私はその日をキャンセルした。
11日に出す書類がまとまらないこと精神がもたないこと不眠続きで苦しいことを正直に伝えた。
引率の彼女はあきれと怒りのアピールで半笑いで『それがあなたの最終決定なのね』と電話を切った。
電源を切って薬を飲んで眠った。
11時、目が覚めて電源を入れると8回の不在着信、朝の会話のあと数分後にショートメールがはいっていた。
社長というワードと一人一人にマッチングするよう配置してくださってます。弁護士にはなしてみてくれませんか?うんぬんかんぬん。くださってるし社長もわざわざ貴女の為にと。
今日まで眠れなかった理由を朝伝えたつもりだが。
今日を受けるよう日々がんばってでも無理だったと伝えたつもりだが。
私にとって最優先を考えた時、義理ではなく自分のために時間を使うことだった。
恩ある方達、施設だから私自身が行きたかったが体が心が悲鳴を上げてるといったつもりだが、遠回しに顔をつぶすのかと言ってきた。
恩はあるがわたしのいまを受けとめてくれるのも仕事のうちというか、それこそ寄り添うことじゃないの?
代表から電話があって同じ説明をした。
わたしお誘いを何度か断ったはずよね。
9日と11日が決まっていたから今回はと断ったよね。ごり押しのようにやさしい笑みで頷いたけれど、わたしが断るなら他の人を入れてあげられたのにって?数合わせでごり押ししたじゃない!と言いたかったが押し殺した。
また来年ね、代表はそういった。引率の職員よりマシだった。
私にとってわたしを優先する権利があると教わった。
行使したら顔があるとよくある会社の上司のようなことばがかえってきた。
11日、できるかぎりの書類を渡した。10日を断ったからこそ11日をこなせた。私はまちがってなかった。
ただ、10日の誘いがあったとき徹底的に断るべきだった。