凋落を知らぬ日本のサダム・カッカ
日本のサダム閣下がニューヨーク空港のパスポート検閲官に呼び止められたのは、サダム・フセインが最高に‘時の人’だった時だ。パスポートの名前を読んでいた検察官は、顔をしげしげ見て、同名でも日本のサダムは顔が違う、入国OKと云う。空港でも日本では漢字で読むから名前の‘定’は問題ないが、英語ではあのイラクのサダムと同じ‘読み’ゆえ、思わず人の興味を引く。
政権をどう解釈しようとも、イラクのフセインが、今の金正日ではないが、一国の最高の‘閣下’だった時代は、日本のサダム閣下も、そう呼ばれて満更ではなかったに違いない。私は冗談めかしてそう呼んでいたものだ。ところが、政変一過、今は本物のあの閣下は只の罪人でこの世にいない。 ところが、日本のサダムは自社の上場さえも狙う、相変わらず意気軒昂の‘閣下’なんである。
商売も、商法も、商品、ひいてはゲーム開発に至るまで、最も肝心なことは、今の時流に合っていることだ。そこに焦点が合って、初めて努力した結果が実る。「機を見るに敏」、「時を読む」ということだ。今のYK、「空気を読む」程度では小さい、小さい。我がサダム・カッカは、時の流れを読む名人である。それだけでなく、それが彼の場合、即実行となって表れる。
昭和21年の経済復興から平成20年の今日まで、我々の産業の商流にも大きな節目があった。まず直後のアメリカバイヤーの買付け大ブーム。蔵前のかっての大店は全てこの時流に乗った連中と云える。その後、国内市場の勃興期に全国支店展開で伸ばした東京の問屋。そして黒船の来襲、トイザラスの国内席巻の時代である。もうひとつ脇の大きな流通の流れはセブンイレブン等によるコンビニ大量販売網の出現であろう。今はカメラ屋による動きがあるが。
我がサダム・カッカの面目躍如たるところは、この新しい時流が起上がってきた瞬間をいつも見事に捕らえ、しっかり物にしていることだ。トイザラスがまだ皆が遠目で様子見の時代、親分衆では‘カッカ’だけだったろう。一号店の準備に自分が倉庫を這いずり廻り、手伝い、品揃え調査に徹したのだ。殆どの競合メーカーの親分とはセンサーが違う。大手卸が捨てたコンビニの初期の胎動の時期に、他社社員ごと引取り見事ビジネスにしたコンビニ・ルート商売も、彼の時代の読みの判断による乗り。
そんなカッカは誰にも遠くから大声で呼びかける。入ってくる人をみつけて真先に声をかける。「先んずれば人を制す」の精神。 人を魅了する愛嬌。しっかり相手の心を捉える。日本では絶対に凋落しないカッカは今日も業界を動き回って声を駆け回る。じっくり1時間座って、今の彼の時流を読みを聞かせてもらう。30センチの距離で向き合うと、燃える眼だけが見えて、周りの顔のしわが目に入らない。もう70過ぎているだろうに。