8坪の穴から吼えるノブジのあきんど哲理
自慢話が昔話だけに終わっては面白くない。今日の‘あきない’に脈々と生きているからこそ人を惹きつける。そして話しに真実味がこもる。もし自慢話だけに聞こえたら、彼の戦歴を目にしている実感が無い連中に違いない。しかし、無理も無い、時代が違う。ノブジ、60年の輝かしい‘ちゃも屋人生’の戦歴の大半を、玩具大会社の若い営業マンが知らなくて当たり前。だがこの話はどうだ。
店前の道路の脇で話しているうちに、自転車に乗った男の子達が、蟻のように集まってくる。“そこに自転車置いてはダメだ”とノブジは怒鳴る。29歳の息子が“子供の頃を思い出す”と言う。そのオヤジの私も、大昔、帰校後直行した町のオアシス、駄菓子屋が目に浮かぶ。オールエージを通した‘男の子’のノスタルジーが今、目の前に生きている。もはや8坪の店内は身動きできない。しかしこうなったら公共施設を使わなきゃ。隣のあおぞらを見上げる公園である。多い時は150人を越す子供の群集だ。坪効率日本一ショップの知恵と逞しさである。
リテイリングとは何だろう。いろいろな理論はある。しかし、人が求める“楽しみ、喜び、歓喜”が得られる機会を作り出す。これが小売店の役割の原点ではないか。今日のノブジも幕張メッセのコロコロコミック・ショウで足を棒にして‘現代のエキス’を求めて帰って来た。最先端の匂いを足で嗅ぎ取る情報収集は彼の実践哲学。名門小売店が次々姿を消すニュースが入る。名門はこのノブジのようにスニーカーと野球帽で地べたを這い回っただろうか。
戦後、商流が未発達の時代、日本全土の地方専門店の為に商品を選び、荷を回す専門問屋が東京にあった。若きノブジが歩いて、歩いて、商人の実践感覚を身に付け、メーカーに大量買付けで大見得を切る技を磨いた時代である。その後、日本中に流通が整備され、時代の役割が終わると、今度は川上産業のメーカーに移り、やはり全国を歩いて、直に情報を突っ込む。
70歳台の今は小売業の実践。奥さん、お嬢さんを理想的なパートナーに仕立て上げ、いわば、日本列島トイ稼業小売部門でのビジネス・モデル。当人は毎朝、ドトールのモーニング・セットで優雅な読書タイムから1日が始まる。そのうちに日中いろんな奴が顔を出す。わかってるんだろうな。ただの人生じゃないよ。60年の実践を今日もやってる“ちゃも屋の大あきんど“だぜ。
永い実践体験は理論を生み独自哲学を創る。そこから眺めると、大メーカーといえども「へま」をやらかす展開もある。こういう時は手厳しい。8坪から覗く産業ホライゾンでは、時代は変われど、相変わらず試行錯誤だらけだ。だがしかし、メーカー現役幹部が相談に来て、鑑定を乞うときは総知を出して役に立ってやる。今日も8坪の穴「ピットイン」からノブジの“あきんどの哲理”が広いギョウカイに響いてくる。