【高木桂一の『ここだけ』の話】
 
草木もなびく橋下氏の面会要請を断った小泉元首相
 
http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi_blended-jp&wsc=tb&wsi=9812720be17f0028&u=http%3A%2F%2Fsankei.jp.msn.com/politics/news/120414/stt12041412000002-n1.htm&ei=cEmJT8bEI9PakAXp-cDvCw&ct=pg1&whp=30
 
 
 次期衆院選に向けて“台風の目”となりつつある橋下徹大阪市長。その人気を取り込もうと与野党を問わず有力政治家たちが草木もなびくように橋下氏に擦り寄っている。しかし、実はかつて橋下氏からの面会要請を断った“大物”がいた。自民党の小泉純一郎元首相である。
 
 ■「会う必要ない」
 
 関係者によると、橋下氏が小泉氏に会談を求めたのは大阪府知事時代のこと。小泉氏は橋下氏サイドからの要請に対し「会う必要はない」として突っぱねたという。「橋下氏は脈はないと踏んだのか、それ以後、小泉氏に直接アプローチすることはなくなった」と関係者は明かす。
 
 橋下氏は昨今、小泉氏を称賛してやまないが、過去に接触を試みたところをみると、やはり政治指導者の手本としているのだろう。
 
 小泉氏は持論の郵政民営化などの改革を通じ、自民党内の抵抗勢力を「仮想敵」に見立てて対決姿勢を演じてきた。昨秋の大阪ダブル選挙で「大阪都構想」を争点に掲げて既成勢力、反対派を徹底的にこき下ろし、人気という絶大な味方を得た。
 
 郵政民営化にしろ大阪都構想にしろ、その具体的な中身が支持されたというより、「死に装束」をまとって実現へ邁進する政治家としての指導力に大きな期待が集まったといえる。
 
 関係者によれば、橋下氏が小泉氏に会談要請したのはちょうど大阪都構想を唱え始めた頃と重なるという。しかるに、単に大阪都構想もシングル・イッシューで国民の支持を得た「小泉流」の“二番煎じ”と受け取れなくもない。
 
 対する小泉氏は橋下氏をどう見ているのだろうか。
 
 政界から身を引いた小泉氏が公の場で橋下氏の評価に関して直接言及したことはないようだが、DNAを引き継ぐ次男、小泉進次郎衆院議員は2月10日の記者会見で自らの見解を披露してみせた。
 
 「橋下市長や石原慎太郎東京都知事の第3極の国政進出についてどう感じるか?」と聞かれ、進次郎氏はこう答えた。
 
 「どの世界も強いライバルがいると鍛えられる。強い野党がいて、強い与党がいて、切磋琢磨していい政治になる。政権交代直後、国民のみなさんはそう思ったんじゃないですか。でも今、『自民党も民主党もダメだ』というなかで、新しい勢力がそこに刺激を与えてくれる。自民党にとってそれが危機感となって、自分たちを省みて『よくしなきゃいかん』という方向に行くならプラスじゃないですか」
 
 永田町では、橋下氏率いる「大阪維新の会」や「石原新党」の動向に神経過敏となり、橋下氏や石原氏が発言するたびに媚びたり批判したりする傾向が強い。そうしたなかで、進次郎氏の発言は双方をけなすことも持ち上げることもせず「自分たち国政がダラしない。橋下さん、石原さん、お尻をたたいてくれてありがとう」と結論づけたもので、地方政治と一線を画し、その「格」の違いを見せつけたといえる。
 
 橋下氏の面会要請を断った小泉元首相も同じような思いを抱いているのかもしれない。「政界を引退した俺が今さら、タレント弁護士出身の地方首長と会って何を話すのか…」と。
 
 ■似て非なる両者
 
 橋下氏との連携を模索する民主党の小沢一郎元代表が、橋下氏について「国民を引きつけるという意味では小泉元首相と似たような資質を持っている人だ」と評するように、永田町では橋下氏を「小泉氏の再来」とみる空気も強い。
 
 橋下氏と互いに「独裁者」と呼び合ってバトルを続ける渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長兼主筆は先の産経新聞のインタビューで「橋下さんはテレビ・ポリティックスやネット・ポリティックス、いやツイッター・ポリティックスと言っていいのか、電子媒体を100%利用しているね」と話し、「劇場型政治」の名優だった小泉氏に比べても「一歩抜きんでている」と持ち上げた。
 
 むろん、時間があればツイッターで“瞬間芸”のように自身の主張を発信し続けている橋下氏と、ソーシャル・メディアがまだ普及していなかった時代に政権を担った小泉氏とは単純に比較できない。
 
 また、小泉氏が郵政改革を唱えた時期はまさに同氏の政治キャリアの総決算だった。対する橋下氏はまだ42歳と若く、政治経験がなないところから猛スピードで駆け上がってきた。
 
 ゆえに両者を比肩することはそもそも難しいのだが、「政治家・小泉純一郎」を側近として長年支えてきた飯島勲元首相秘書官は「週刊現代」(3月31日号)のインタビューで「小泉、橋下両氏は似て非なるもの、まったく異質の存在だ」と喝破した。
 
 飯島氏の主張をこのインタビューから抜粋すると、こうだ。
 
 「私は橋下市長を支持する人間の一人です。橋下市長は希代の政治家です。発信力が非常に高い。言うべきことをハッキリと言い切るし、既得権益にもズバズバ切り込く。歯切れの良さや『劇場型』と呼ばれる政治的争点を演出する手法をもって、橋下市長の姿を小泉純一郎元首相と重ね合わせる国民も多いようです」
 
 「私も最近は、行く先々で『橋下市長は“次の小泉元総理”となるのか』という質問を浴びせられます。ここではっきりと断言しておきましょう。橋下市長と小泉元総理は似て非なるもの、まったく異質の存在です。橋下市長の場合、主張していることと実際の行動が一致していない点が見られます。ここが大きな違いだ」
 
 「表では『地方交付税はいらない』と言いながら、裏では将来受け取る地方交付税を前借りしている。掲げている理念と現実の行動が、逆になっているのです。小泉元総理の場合、それが矛盾することはありませんでした。『発信力』だけを見て両者を比較しても、話にならないのです。『政治の演出方法が似ている』という指摘も、あたりません」
 
 「小泉元総理が仕掛けた『郵政解散・総選挙』と、府知事時代の橋下氏が『大阪都』構想を掲げた『ダブル選挙』とを比べても、両者の違いは歴然としています。小泉元総理は、『郵政民営化』を掲げて挑んだ自民党総裁選でライバルに大差で勝利して総裁に就任した。ところが、いざ郵政民営化に着手しようとすると、多くの自民党議員が反対の狼煙を上げ始めました。これは道理の通らない話です。だから国民の信を問うため、衆議院の解散に打って出たのです。別に、対立を煽り、政治をショーアップするために解散したのではありません」
 
 「橋下市長が掲げる『大阪都構想』の根本にあるのは、『二重行政の廃止』です。このムダを省くには、府と市の事業体を一つにすればいいだけの話です。わざわざ法律を改正して、府と市を統合する必要はなく、現行法でも可能なのです。ダブル選挙に勝利した後は、『大阪都構想が実現できないとすれば、法改正を行わない国の責任」とばかりに、すかさず国民の目を国政のほうに向けさせる。これはパフォーマンスが行き過ぎでしょう」
 
 「橋下市長と小泉元総理が似ている-。そんな意見が噴出する中、今後有識者の間でも『橋下総理待望論』が出てくるかもしれません。しかし、まだ橋下氏は具体的な成果を挙げているわけではないのです。国民にとって『幸せな選択』ではないことを、現段階では指摘しておきたいと思います」
 
 ■「並べられるのは恥ずかしい」
 
 飯島氏の見解に対し、橋下氏はさっそく、得意のツイッターで「僕が小泉元首相に並べられるのは恥ずかしい限りです」とつぶやきつつ、こう反論してみせた。
 
 「こちらは一ローカルでやっているだけですから。飯島さんへの反論は、地方交付税廃止の主張と府知事時代に臨財債を発行したことを言行不一致と指摘された点です」「飯島さんは現実の問題とあるべき姿の問題を混同されています」「飯島さんの主張は論理的ではありません」…。
 
 しかし、橋下氏が打ち出している次期衆院選公約のたたき台となる大阪維新の会版「船中八策」の政策に対しては、霞が関官僚からも「小泉的な新自由主義的色彩が濃いが、所得再配分的思想のものが交じっていて整合性がとれない」という指摘が出ているのは事実だ。
 
 ■「橋下氏には真の仲間なし」
 
 自民党閣僚経験者はこうささやく。「小泉氏には、小泉改革のスポークスマンとして発信力があった竹中平蔵元経済財政担当相と、裏で動いた飯島元首相秘書官の存在が大きかった。橋下氏にブレーンは多いが、核になる人がいないし、本当の仲間がいない。言葉の中身をとっても、短いフレーズながら深い計算があった小泉氏と、いろいろなことをポンポン打ち上げるが軌道修正もありという橋下氏とは違う」
 
 最近、橋下氏がツイッターで、消費税増税問題について民主党の小沢元代表の対応を「民主党の議員としては筋が通っている」などと評価し、小沢グループ内から喜びの声があがる場面があった。
 
 小沢氏側近の一人は、ツイッターのコピーをばらまくなど大はしゃぎし、小沢氏も自身が会長を務める勉強会の常任幹事会で「そうか」と満面の笑みを浮かべたという。
 
 一方、小泉進次郎氏は国会内で記者団に対し、橋下氏のツイッターの内容について「政治は生き物だ。冷静に見た方がいい」と語った。父の小泉元首相を橋下氏が称賛していることに関しても「知らなかった。感想は特にない」と冷ややかに答えた。
 
 「政治家は本能的に同じ匂いがする政治家を嫌うものだ」(自民党ベテラン秘書)とも言われ、小泉氏が意識的に橋下氏を敬遠している可能性もなくはない。ただ、すでにバッジを外した小泉氏が、小沢氏ら他の現役政治家のように「橋下人気」にすがる場面も想定されない。
 
 小泉、橋下両氏が何らかの機会に向き合うことは永遠にないかもしれないが、一度、小泉氏本人の口から「橋下評」を聞きたいものである。(政治部編集委員)
(産経新聞 04/14 15:55)
 
 
 
 

 
識者の方々にとっては常識的な事だと思うが、私のような無知な若輩者にとっては驚きに満ちた、青天の霹靂(へきれき)とも言える記事である。
URLが短く、携帯からの投稿でもなうに貼ることは可能だが、以下、あえて記事にさせて頂く。 
 





gooブログ 暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~
 
『”電通”の正体~日本メディアを牛耳るメディアの王様~』(10/03/15 00:46)
 
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/7dcd9f4eda594b045061a36814edc846
 
 
これまでに幾度となく大手マスメディア(TV)の垂れ流す偏向報道について苦言を呈してきたが、そんなマスメディアを牛耳る存在をご存知であろうか?それは皆さんご存知の”電通”である。その電通の正体について、”カレル・ヴァン・ウォルフレン”著『日本権力構造の謎』(原題 THE ENIGMA OF JAPANESE POWER)上巻にて、非常にわかりやすく解説されているので、以下に転載する。

 
(転載開始)
影のメディア・ボス
 電通ほど一手に、直接、あるいは多数の下請けを使って大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、ほかにない。万国博やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこのカイシャが総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。電通はまた、政治的に活発な動きを見せる。これについては、すぐ後で詳細に考えよう。
 
 電通は、日本の全テレビ・コマーシャルの三分の一の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して実質的に独占的決定権をもつ。多数の子会社や下請け会社を通じて行使する統制力については、いうまでもないだろう。約百二十の映像プロダクション、四百以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。午後七時~十一時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主は電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を電通が握っているからだ。
 
 番組制作者たちは、冗談めかして、電通の事を“築地編成局”と呼ぶ(電通の巨大な本社は東京の築地にある)(21)。日本では、扱い高が即、政治力になるので、電通はこうした役割を演じられるのである。このような状況下では、電通に気をかけて扱ってもらえることが一種の特権となり、立場が逆転して広告主が電通の指示に従うことになる。商業テレビ局にとっても事情は同じで、電通に極度に依存する形になっている。
 
 その結果、電通の影響力は日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、強力なマスメディアを通しての社会統制力になる。そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない。また、その中毒症状がこれほど強く蔓延しているところも他にない。レストラン、各種の店、観光バスの中、タクシーの中にまでテレビが備えつけられている。テレビ番組の相対的な質の高さを誇れる国は、あったとしてもきわめて少ない。だが、テレビが全世界的に文化を砂漠化しているとしても、その悲惨さの程度はかなりの差がある。皮肉な事に、NHKが、官界ともっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題について掛け値なしの疑問を投げかける、まじめな番組を放映することがある。それ以外はNHK定食番組にみられるように疑似学術的で無害の、論争を注意深く避けた番組をはじめとし、風刺漫画に近い日本人好みの社会風俗を描くホームドラマがあり、そして頭がまったく空っぽのショー番組までどの局にも揃っている。
 
 クイズ番組や素人のど自慢は外国のもの真似番組であるが、日本ではこの種の番組は愚神礼賛の域に達している。人気“スター”は大量生産され、その“キャリア”はめったに二年以上もたない。彼らは、単に有名であるがゆえに有名だという欧米諸国の芸能人現象の拙劣な劇画といえる(22)。
 
 このような現象を国際的に評価する一般的な基準はない。しかし、欧米諸国のたいていのテレビ番組が平均精神年齢十一、二歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビ番組は平均精神年齢八、九歳に合わせている。日本で日々の娯楽の質を決定する上で主要な役割を果たしているのは電通であり、電通はほとんどどすべてのものを最低レベルまで下げるのに成功している。頭の働きを鈍化させる芸能娯楽を作り出す機関は他の国にも存在するが、今ここで我々が検討しているのは、ほぼ完全に他者を締め出して、大衆文化の質の向上を抑制したり拘束できるだけの力を持つ組織のことである。
原註 6章 従順な中産階級 485Pより
(21) マスコミ関連産業労働組合共闘会議編『マスコミ 一九七〇』 (労働旬報社、一九六九年) 一三六頁。
(22) この現象についての先駆者的仕事であり、私の知っている限りで今も最良の記述は Daniel,Boorstin,The Image,Atheneum,1961〔邦訳:『幻影の時代』 後藤和彦、星野郁美訳、東京創元社、一九六四年〕である。
(転載終了)
 
 
 上記より、電通が握っている”独裁利権”をもってすれば、各局に低俗な馬鹿バラエティを垂れ流させることにより日本国民を愚民化することなど、いとも簡単にできるということである。各TV局は収入源であるCMスポンサーを完全に電通サイドに握られており、各局の意思に基づく番組編成など全くできないというのが、今の日本TV界の実態である。まったくもって”異常な状態”としかいいようがない。
 
 実際、正月になると、各局の社長が雁首揃えて、汐留の電通本社に年始のご挨拶に訪れるという話を耳にしたことがある。本来、たかが「広告代理店」であれば立場は逆であるのが普通である。番組制作に関する代理店業務を受託する立場の電通が挨拶に伺うのが普通であろう。しかし、実態は大手TV局の社長が自ら訪問する程に電通の持つ力が強大であるということなのであろう。
 
 このような”強大な利権”を有する電通が、政界・財界と結びつけばどんなことになるか、賢明な皆さんならもうお分かりであろう。電通と政界・財界の結びつきにより、我々日本国民は都合のいいように世論誘導され、糞バラエティ番組の洪水により、愚民(考えない国民)化されているのである。
 
 昔、小生がまだ小中学生学生だった頃、近所にまったくTVを観ないというおじさんがおり、そのおじさんは周りの人間から「変な人」「変わり者」というレッテルを貼られ、奇異の目で見られていた。自分自身も親や周りの人間同様、「変わったおじさん」という目でその人物を見ていた。しかし、今になって思うに、このおじさんは、”TV=バカ製造箱”ということに気がついており、むしろ周囲の人間が”愚民”に見えていたことであろう。
最後に、未曾有の景気低迷によるスポンサーの激減で、各TV局の収入源であるCM収入が激減する中、電通をピラミッドの頂点とした”強大な利権構造”が今後どのように変化するのか見ものである。
 
 
 
 






 
特集 サラリーマンの 生き方 —企業と個人の関係を探る—  その2
【局アナからフリーへ】
サラリーマン時代の福利厚生の恩恵は、趣味以上の好きなことで補う
キャスター 宮川俊二
 
http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi_blended-jp&u=http%3A%2F%2Fwww.jili.or.jp/kuraho/2005/special/s_2003_351_8_2.html&wsi=9b4a271af32b34fa&ei=4e-CT9bJDcqQkQWT4bX5Aw&wsc=tb&ct=pg1&whp=30
 
 
1947年、愛媛県宇和島市生まれ。早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業後、70年に日本放送協会(NHK)に入局。福岡、名古屋、東京などの各局に勤務。93年に退職後フリーとなり、ベトナムで日本語講師として充電、94年以降さまざまなニュース番組などでキャスターを担当。主な出演番組に、毎日放送『世界バリバリ☆バリュー』、フジテレビ『ニュースJAPAN』『スーパーニュース』などがある。著書に、『アオザイの国へ』(同友館)がある。
■退職してわかった社宅のありがたさ
 思うところがあり、23年間勤めたNHKを1993年に退職して、フリーの道を選びました。いわゆる「局アナ」でしたが、NHKという組織のなかの一サラリーマンでもあったわけです。
 退職して何が困ったって、いちばん困ったのは住宅です。社宅でしたので、そこを出なくてはならない。ただ、子供には迷惑をかけたくなかったので同じ学区内で住宅を探そうとしました。川崎市内ですが、住んでいた社宅に匹敵する物件は16万円ぐらいする。それまで1万2500円で借りられていたわけですから、その差は大きく、たいへんでした。
 NHKは最初に赴任した土地では住宅手当はもらえません。次の土地からは自分の意思とはかかわりなく「異動」ということで、住宅が与えられます。私の場合、最初は山形で、4畳半一間の賄いつきで1万5000円、給料は4万5000円でした。それから岐阜、高松、福岡、名古屋、東京と、だいたい4年おきに転勤しました。
 その住宅の広さなんですが、これが非常に民主的で、子供をつくる能力で決まるといいますか(笑)、子供の人数によって広さが決まります。役職者でも子供がいなければ小さな住宅、平の社員でもたとえば5人子供がいれば大きな住宅というふうに。わが家は1人だったので、ずっと質素でした(笑)。
 名古屋の時もやはり社宅だったんですが、近所の子供たちが集団で家に入って来て、みんなパッとファミコンのある子供の部屋に迷うことなく直行する。間取りがみんな一緒だから間違えようがない(笑)。逆にそれがNHKの開かれていない部分といいますか、まさに一棟まるごと社宅の「NHK村」ですからね。いろいろな土地に転勤したら、その地域の問題を吸い上げなくちゃいけないのに、局の人間だけでかたまっちゃうんですね。これはメディアにいる人間としてはちょっと、と思いましたけど……。
 
■定期検診だってばかにならない
 定年前になぜやめたかというと、転勤があまりにも多いということ。東京に来るのに結局20年かかりましたからね。そして東京での3年ぐらいの間にメインの番組につかないと、管理職としてまたどこか地方に行きます。それも単身赴任になり、二重生活は大変だと思いました。また、ずっと大きな組織にいたものですから、そろそろペースをあげないと自分の人生だめだなと思って辞めました。
 その時に条件を調べましたら、45歳以上、勤務20年以上で早期退職した場合はプラス18ヶ月分もらえるという制度があり、その制度がなくなるという3月ぎりぎりに退職しました。18ヶ月分というと結構な額がプラスでもらえます。それだったら辞めてもいいかなと思ったわけですが、それが間違いだった……。家賃が無駄だという思い、それから新しい仕事が始まらない焦燥感なんかもあって。
 ですからね、最近、早期退職を勧められたという友人から相談された時は、とにかくダメ、最後まで会社にしがみつけと言いました。いくらか余計にもらったって、福利厚生などを考えると、瞬く間になくなってしまいますから。サラリーマンは一般的にすごく天引きされているという意識があると思うんです。でも、実際に辞めてみたら、いかにその恩恵に預かっていたのか、よくわかります(それだけ、NHKの福利厚生が充実していたということでもあるんですが)。
 たとえば定期検診もありました。退局後の今もNHK時代に行っていた健康センターで半日検診を受けています。長年の私のデータがありますからね。よくNHKの職員が並んでいるんですが、あの人たちはタダかなあと思ったり。私は辞めてからは6万5000円払ってるし。毎年やるところを16ヶ月に1度とか、少しずつずらして(笑)、だんだんけちになってます。
 保養所は、現在どうなっていますかね。ああいう大きな組織ですから、いい時代にいい場所をとってあって、全国にありました。山形なら蔵王、岐阜は下呂温泉とか、大半が温泉つきですし、しかも非常に安い。別府なんかもすごかったですね、家族で行きましたけど、料理も豪華で、私は数百円ですよ1泊。家族でも千円ちょっとで。でも、いまはだいぶ整理されたんじゃないでしょうか。
 運動会も昔は盛んでした。地方局でもあったし、取引銀行と一緒にやったり、名古屋では大運動会があった。NHKが体育系の福利厚生がいいというのは、アンテナの関係で敷地内にグラウンドやテニスコート、野球場もできたからです。私の草野球デビューは名古屋のNHKグラウンドでした(笑)。野球の時は子供を連れてってピクニック気分でした。
 そういうもろもろを考えますと、みなさん給料の明細をよくご覧になって会社に感謝しなくてはいけませんね………