あっという間に7月。ということは半年が過ぎたのだ。私は4月から新しいバイトを始めたり、たくさんのイベントにも参加してきた。
自分でいうのもなんだが、すべてを楽しんでやってきたつもりである。
自分のフトコロはお構いなしに遊びまくった。お金がなくて、遊ばなくなったゲーム機や本、CDなど片っ端から売りに行った。今では家の中に売るものがない。
よって第二次経済危機が訪れた際にはもう道は残ってないことになる。
学生のうちはお金を借りてでも遊べというが、たくさんの面白い時間を得られるのでホントであると感じた。
先日、父親が東京に用事があるということで夜は私の家に泊まることになった。
幼いころから父親とはあまり話をする機会もなかったなとふと思った。
駅に迎えに行くとキョロキョロと周りを見ている父親がいた。
「おーい」と声をかけると、「遅いじゃないか」の声。
自分も駅に降りたばかりなのに、理不尽なことをいう人だなと思った。
なんとなく2人でいるのが違和感があった。別に嫌いとかそういうわけではないが、話の話題も見つからない。
そんな沈黙が続く。
「飲みに行こうか。」適当に居酒屋に入ると生ビールを2つ頼んだ。
私がいつもの調子で「かんぱーい!」とやると父は怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。
おもむろに煙草に火をつけた父は口を開いてこういった。
「お前は東京に来て日々成長してるのか?」
「してるさ!当然ね。」
目の泳いでいる私がすぐにわかったようで黙っていた。
正直、根拠のない大きな自信と何とかなる精神でやってきた自分に成長という言葉は当てはまらなかった。
「ココの枝豆まずい。え?なにこれ」と不満を漏らす父を見ながら成長とはなんだろうと考えた。
成長とは自分の中であらゆる幅が広がることだ。できるできないは別として、やってみるチャレンジ精神が大切。
この当たり前のような答えをぶつけてみた。
すると、「小さいころからずっと言ってんじゃーん。」と返されて終わった。
現状維持は楽だ。人は今日と同じ明日に、安心や安定を感じる。今日と違う明日は不安でしかない。しかし今日と違う明日を迎えないとどうなるか。新しいものやことには出会えないのだ。常に変化し新しいものを求めるのは人間だけが与えられた能力だ。
決まった人生なんてない自分自身が決められた人生を生きようとしているだけ。
つまらなくしてるのは自分だ。
周りと合わせて楽しいは心の底から楽しんでいるのか?
何も生まれない環境からはすぐに抜けたほうがいい。
自分から一つでも何か変えればその瞬間から楽しくなる。
口だけだ、って言われるかもしれない。口だけだって言ってる人は現実思考なんかじゃない。変化が怖くて変われないんじゃないの?
少しぐらい大口たたいてもそれが目標になってそこに近づいていくはず。
個性なんて後でおまけとしてついてくる。今は何でもがむしゃらにやるだけだ。
人は期待するほど見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない。
よしやるぞ!
いつの間にか、父親のビールはハイボールに変わっていた。「眠いのねぇ」と一言。
じゃあハイボールもう一つ。と注文した。
今夜は久しぶりに雨が降っている。猛暑が続き、寝苦しい日が多々あった中、久しぶりによく寝れそうだ。