月髑髏下弦 ライビュ観劇 感想 | 埜乃のblog[なから ずくなし]※「なから」は「だいたい」、「ずくなし」は「ヤル気ない、根性なし」という意味の方言です。

月髑髏下弦 ライビュ観劇 感想

先月、劇場で観劇した髑髏城の七人 season月 下弦の月 のライブビューイングが、今回はちゃんと地元であったので行って来ました!
ライビュだからこそ、役者の皆さんの表情までしっかりと見えて楽しかったです。
そしてカテコ3回目での拡樹くんの笑顔!
基本的にカテコまで「役」のままの佇まいを崩さない拡樹くんが、マモの笑顔につられるように「素」の笑顔で一緒に踊ってたのが可愛かったー!
最後はライビュカメラを意識して、演者さんみんなでカメラ目線。
マモと拡樹くんとちゃんともが笑顔で手を振ってくれました。

見終わって、また観たくなった髑髏城。
とても中毒性のある舞台ですおねがい


そこで、私なりの髑髏城の考察。
あくまでも、私なりの。
原作本読んでないし月髑髏下弦以外は観たこと無いので、解釈違いがあったとしても御容赦くださいませ・・・


信長の小姓だった蘭丸と影武者の人の男、そして外で信長のために動いていた地の男。
それぞれ信長に夢中だったのは同じで、それぞれ信長から愛されていたんだろうけど、想いはには違いがあったんだと思う。


蘭丸→信長は、忠誠心。この人のために生きて死ぬ、っていう心酔。
だから、自分だけ本能寺から先に逃がされたのが辛いし、死に目に立ち会えなかったことを悔やんでいる。そのせいで、名前を変えても「(信長を)忘れて生きる」ことができない。

信長→蘭丸は、幸せを願う愛しい子。親子愛に近そうなイメージ。大事に大事に可愛がってきたんだろう。だから先に逃がしたし、「自分を忘れていいから幸せに生きて欲しい」と願った。

人の男→信長は、憧れ。そして絶対的な理想。この人になりたいという崇拝と、この人に一番に愛されたいという憧憬。
最期まで共にあれたのが自分であるという喜びと、最期に託されたのが自分への言葉ではなく蘭丸への気遣いだったことへの嫉妬。

信長→人の男は、信頼してる子。最期の時に側に置いたこと、蘭丸には忘れろと言ったのに人の男には言わなかったことから、人の男には「覚えていて欲しかった」のではないかと推測。または、共に連れて逝くつもりであったのかもしれない。

地の男→信長は、理想の世を作る人。蘭丸、人の男より信長への距離がある分、ちゃんと信長を「人間」として見ていたんじゃないかと。
劇中で蘭兵衛に「今度は間に合う」って言ってることから、信長の最期に間に合わなかったことを悔やんでいるのかな。

信長→地の男は、忠実な部下。忍び的な役割を担っていたであろう地の男、劇中で人の男のことを「信長さまと俺の繋ぎだった」って言ってたから、まともに対面したことは少なかったのかもしれない。

こう考えると、地の男(捨之介)が、しがらみも縁も捨てられた(捨てようと思えた)のは、二人よりも客観的に信長を愛していたからかもしれない。
蘭丸(蘭兵衛)と人の男(天魔王)は、小姓と影武者いう立場で信長の懐に入っていたから、より信長に囚われていたんだろうな。
近くにいたからお互いの気持ちも理解できるし(共感は出来なくとも)、それぞれの愛され方に嫉妬もしたんだろう。
だから二人は信長の死を受け入れられずにいて、地の男は受け入れられた。




物語自体は、他にもたくさん登場人物がいて、それぞれに想いがあるんだけど、
今回はメインの3人について掘り下げて考えてみました。
あくまでも、私なりの、舞台を観ての考察なので、正解は違うかもしれないし、人によっては全然違う感想を持っているかもしれませんが、
もう想いが滾りすぎて、どこかで吐き出したかったので(笑)
周りに観劇仲間がいないので、語ってくださるかた、コメントください!(笑)