早くも文月も終盤戦。
これより仕事も月末戦になりますが、それでも大事な予定がいくつか入っており、時間を上手く使って色々と進めたいところ。
しかし、肝心の次の仕事の図案がいったい何を彫ったら良いかわからず、早くも苦戦中でした。
彫りたいものはあるのだけど、受け入れてもらえないからである。
これからずーっとこの辺の闘いは続くので、これしきでめげてはいられん!!
ダークなものもっともっと彫って、内に閉じ込めたる黒きものを昇華したいのだけど、そういう意匠を好まれる人があまりいないのが残念。
ダークなものが好きな人はいるだろうけど、それを手元に起きたいと言ってくれる人がいない。
一般的にそうか(^◇^;)
将来の個展用に彫ってとっておくのも良いだろう。
しかし、とっておける程生活も時間にも余裕など微塵もない。
好きなことを仕事にはしているけれど、丸っきり好きなことばかりやってる訳じゃない。
今の状況を不幸だなんて決して思わないけど、そういう辛さもある。
人の好みばかり聞いてると、自分で創造する力が衰える。
自分の好みばかりやってると幅が狭くなる。
どちらに偏っても良くないのだろうなぁ。
(´`)
仕事としては、人の好みの中で自分の好きなものを見つけて彫るしかない。
文章だと簡単に見えるが、実際にそれを見つけるのも容易じゃない。
そんな自分との闘いが、月末戦にも影響を落とす。
でも、何とかエンジンかかりました♪♪♪
月末戦スパートしないとヤバいっす!!
( ̄∇ ̄)
さて、蟲記事も溜まってきて、そろそろ書いておきたいのだけど、前回予告したので今回は京都歴史御一人様走馬灯ツアーを書きます。
祇園祭の真っ最中で、タクシー内から撮った月鉾。(正確には撮っていただいたのですが。)
祇園祭の鉾の中で1番大きく重いのだそうで、動く美術館と称されるほど円山応挙作品やインドの絨毯?など貴重なもので飾られているそうです。
正面に見えるのが、お稚児さんが乗る薙刀鉾。
お稚児さんに選ばれるのも大変なんだとか。
雷の日は中止するそうです。
でないと、あの子がお稚児さんだった日は雷が鳴って不吉だったと一生言われるそうです。
恐るべし京都!( ̄∇ ̄)
雷と言えば、菅原道真公の祟りが有名ですね!
そんな歴史背景もあるからでしょうかね。
翌日、寝不足で気温も真夏日で体調が心配な為、タクシーで建勲神社へと向かった。
運転手さんから、建勲神社へなんて珍しい!
あそこ行く人はあまりおらんへんのですよ~と言われた。
(^-^;)
上の画像は、正に応仁の乱が勃発した場所だそうです!
交差点左の角にある家がある所らへんが西軍大将を務めた山名宗全邸があった場所ということです!
11年間に及ぶ複雑な思惑が絡んだ戦により京の街のほとんどは灰になったとか。
道も碁盤の目に作られていたのですが、今では曲がったりしているのは、その時の焼き討ちが原因らしいです。
どちらが勝利したとか、負けたとかそういうのもなく、いったい何が原因でそんなに長引いたのか本人達もわからなくなっていたとか。
ほんとに政治を行う人達は気をつけてもらわんと、こんなことになるんですよ!
今も昔も。
いつの時代も迷惑被って犠牲になるのは我々平民達。
権力者達のくだらん思惑でね。(`_´)
くそ食らえだ!!
途中で運転手さんが、ここに紫式部と小野篁の墓所がありますねん!
京都の人もほとんど知らんのですよ!
とわざわざ止まって撮影させてくれた♪♪♪
小野篁(おののたかむら)
とは、平安時代初期、嵯峨天皇に仕え、優れた詩人であり、歌人でもあり、書にも優れた人物で、反骨精神も持ち合わせていた。
伝説ですが、昼間は朝廷に仕え、夜は地獄の閻魔様の裁判に出席する為に六道珍皇寺の井戸から地獄へ降り、仕事をしたとか。
素朴な疑問だが、いったいいつ寝てたんだろう. . .( ̄∇ ̄)
そして京都駅からタクシーで15分ぐらい?
目的地の建勲神社へ到着!
この急斜面わかります?
船岡山という山を登らなくてはならなくて、スーツで来たことを後悔しました(´`:)
めっちゃ暑くて汗かいた!
あの有名な一節が!
祭神は勿論、織田信長公です!
配祀は織田信忠卿。
こちらが拝殿ですが、能舞台にもなっているような。
奥にある本殿です!
織田木瓜の家紋があります!
今回、織田信長公を彫らせていただきました。
とご報告して参りました。
しかし、観光客は私含め5~6人のみ。
外国人カッポーもおりました!
タクシー運転手さんの言った通り、ここまで来る人は信長公マニアの方だけかな。
私はマニアではありませんが。
拝殿より、向こうの山を見ると. . .
あっ!!
これが有名な大文字焼き!!
2つある大文字焼きのうちの東山の方の大文字です!
帰りにお目当ての天下布武のかっけーご朱印帳と
天下布武の印と信長公の花押が書かれたご朱印をゲット♪♪♪
左端の天下布武のしおりが今ならいただけます!
(´▽`)ノ
かっけーです♪♪♪
この後、応仁の乱の際も両陣営から守られ800年前から今に遺る京洛最古のお寺で
本堂の内部柱には槍や刀による傷もある
千本釈迦堂 大報恩寺
という知る人ぞ知るお寺へ連れて行っていただき、快慶、定慶の息を飲むほどのすんばらしい仏像達と元祖おかめさんの塚や奉納された多様なおかめさんの人形やお面を堪能し、帰途につきました。
快慶、定慶の仏像のところは撮影禁止のうえ、図録やパンフレットもないため、残念ながらここには載せられませんでした。
※でも、大仏師快慶作 十大弟子像と 定慶作六観音像は必見です!!
十大弟子像は小さめだけど、何と言いますかとにかくリアルで生き生きとしていて、両者作の仏像を見れば計16回以上は溜息が出ます!
溜息て言っても残念な不幸な溜息でないので幸せは逃げて行きません!
むしろ幸せな気分になれます♪♪♪
仏像彫刻や根付彫刻、その他の彫刻を志す方々、そういうのを観るのがお好きな方々、是非とも行ってその眼で確かめてみてください!(´▽`)ノ
境内にあるおかめ塚のおかめさん。
本堂造営の際、棟梁の高次がかけがえのない柱の寸法を切り誤り、どうしたら良いか悩んでる所を見た妻のおかめさんは、いっそ斗ぐみを施せば?と一言言った。
そこから着想を得た結果、無事に完成できたそうです。
しかし上棟式を待たずしておかめさんは自刃して果ててしまう。
女の提言によって棟梁として大任を果たし得たということが世間に知られるより、ならばこの身はいっそ夫の為に捧げましょうということだったらしいのです。
てか、棟梁が寸法間違えたらまずいし、自刃してまで隠す必要があったのかどうか. . .
夫婦で黙っとけばいい話なのになどと美談をちゃかしてはいけませんね。(^-^;)
わずか2時間半ぐらいで走馬灯のように駆け抜けた京都のちょっとマニアックな歴史ツアー。
タクシー代は高くついたけど、歴史マニアの運転手さんのおかげで、体調も悪化することなく観光もできました♪♪♪
さすがに帰ったらドーッと疲れが出ましたけど。
京都は何処行っても人がたくさんだと思ってましたが、マニアックな場所にはほとんど人はいないことがわかり安心しました。
次は鞍馬山とか貴船神社へ行きたい♪♪♪
でも、ほんとは奈良に行きたい!(≧▽≦)
これより仕事も月末戦になりますが、それでも大事な予定がいくつか入っており、時間を上手く使って色々と進めたいところ。
しかし、肝心の次の仕事の図案がいったい何を彫ったら良いかわからず、早くも苦戦中でした。
彫りたいものはあるのだけど、受け入れてもらえないからである。
これからずーっとこの辺の闘いは続くので、これしきでめげてはいられん!!
ダークなものもっともっと彫って、内に閉じ込めたる黒きものを昇華したいのだけど、そういう意匠を好まれる人があまりいないのが残念。
ダークなものが好きな人はいるだろうけど、それを手元に起きたいと言ってくれる人がいない。
一般的にそうか(^◇^;)
将来の個展用に彫ってとっておくのも良いだろう。
しかし、とっておける程生活も時間にも余裕など微塵もない。
好きなことを仕事にはしているけれど、丸っきり好きなことばかりやってる訳じゃない。
今の状況を不幸だなんて決して思わないけど、そういう辛さもある。
人の好みばかり聞いてると、自分で創造する力が衰える。
自分の好みばかりやってると幅が狭くなる。
どちらに偏っても良くないのだろうなぁ。
(´`)
仕事としては、人の好みの中で自分の好きなものを見つけて彫るしかない。
文章だと簡単に見えるが、実際にそれを見つけるのも容易じゃない。
そんな自分との闘いが、月末戦にも影響を落とす。
でも、何とかエンジンかかりました♪♪♪
月末戦スパートしないとヤバいっす!!
( ̄∇ ̄)
さて、蟲記事も溜まってきて、そろそろ書いておきたいのだけど、前回予告したので今回は京都歴史御一人様走馬灯ツアーを書きます。
祇園祭の真っ最中で、タクシー内から撮った月鉾。(正確には撮っていただいたのですが。)
祇園祭の鉾の中で1番大きく重いのだそうで、動く美術館と称されるほど円山応挙作品やインドの絨毯?など貴重なもので飾られているそうです。
正面に見えるのが、お稚児さんが乗る薙刀鉾。
お稚児さんに選ばれるのも大変なんだとか。
雷の日は中止するそうです。
でないと、あの子がお稚児さんだった日は雷が鳴って不吉だったと一生言われるそうです。
恐るべし京都!( ̄∇ ̄)
雷と言えば、菅原道真公の祟りが有名ですね!
そんな歴史背景もあるからでしょうかね。
翌日、寝不足で気温も真夏日で体調が心配な為、タクシーで建勲神社へと向かった。
運転手さんから、建勲神社へなんて珍しい!
あそこ行く人はあまりおらんへんのですよ~と言われた。
(^-^;)
上の画像は、正に応仁の乱が勃発した場所だそうです!
交差点左の角にある家がある所らへんが西軍大将を務めた山名宗全邸があった場所ということです!
11年間に及ぶ複雑な思惑が絡んだ戦により京の街のほとんどは灰になったとか。
道も碁盤の目に作られていたのですが、今では曲がったりしているのは、その時の焼き討ちが原因らしいです。
どちらが勝利したとか、負けたとかそういうのもなく、いったい何が原因でそんなに長引いたのか本人達もわからなくなっていたとか。
ほんとに政治を行う人達は気をつけてもらわんと、こんなことになるんですよ!
今も昔も。
いつの時代も迷惑被って犠牲になるのは我々平民達。
権力者達のくだらん思惑でね。(`_´)
くそ食らえだ!!
途中で運転手さんが、ここに紫式部と小野篁の墓所がありますねん!
京都の人もほとんど知らんのですよ!
とわざわざ止まって撮影させてくれた♪♪♪
小野篁(おののたかむら)
とは、平安時代初期、嵯峨天皇に仕え、優れた詩人であり、歌人でもあり、書にも優れた人物で、反骨精神も持ち合わせていた。
伝説ですが、昼間は朝廷に仕え、夜は地獄の閻魔様の裁判に出席する為に六道珍皇寺の井戸から地獄へ降り、仕事をしたとか。
素朴な疑問だが、いったいいつ寝てたんだろう. . .( ̄∇ ̄)
そして京都駅からタクシーで15分ぐらい?
目的地の建勲神社へ到着!
この急斜面わかります?
船岡山という山を登らなくてはならなくて、スーツで来たことを後悔しました(´`:)
めっちゃ暑くて汗かいた!
あの有名な一節が!
祭神は勿論、織田信長公です!
配祀は織田信忠卿。
こちらが拝殿ですが、能舞台にもなっているような。
奥にある本殿です!
織田木瓜の家紋があります!
今回、織田信長公を彫らせていただきました。
とご報告して参りました。
しかし、観光客は私含め5~6人のみ。
外国人カッポーもおりました!
タクシー運転手さんの言った通り、ここまで来る人は信長公マニアの方だけかな。
私はマニアではありませんが。
拝殿より、向こうの山を見ると. . .
あっ!!
これが有名な大文字焼き!!
2つある大文字焼きのうちの東山の方の大文字です!
帰りにお目当ての天下布武のかっけーご朱印帳と
天下布武の印と信長公の花押が書かれたご朱印をゲット♪♪♪
左端の天下布武のしおりが今ならいただけます!
(´▽`)ノ
かっけーです♪♪♪
この後、応仁の乱の際も両陣営から守られ800年前から今に遺る京洛最古のお寺で
本堂の内部柱には槍や刀による傷もある
千本釈迦堂 大報恩寺
という知る人ぞ知るお寺へ連れて行っていただき、快慶、定慶の息を飲むほどのすんばらしい仏像達と元祖おかめさんの塚や奉納された多様なおかめさんの人形やお面を堪能し、帰途につきました。
快慶、定慶の仏像のところは撮影禁止のうえ、図録やパンフレットもないため、残念ながらここには載せられませんでした。
※でも、大仏師快慶作 十大弟子像と 定慶作六観音像は必見です!!
十大弟子像は小さめだけど、何と言いますかとにかくリアルで生き生きとしていて、両者作の仏像を見れば計16回以上は溜息が出ます!
溜息て言っても残念な不幸な溜息でないので幸せは逃げて行きません!
むしろ幸せな気分になれます♪♪♪
仏像彫刻や根付彫刻、その他の彫刻を志す方々、そういうのを観るのがお好きな方々、是非とも行ってその眼で確かめてみてください!(´▽`)ノ
境内にあるおかめ塚のおかめさん。
本堂造営の際、棟梁の高次がかけがえのない柱の寸法を切り誤り、どうしたら良いか悩んでる所を見た妻のおかめさんは、いっそ斗ぐみを施せば?と一言言った。
そこから着想を得た結果、無事に完成できたそうです。
しかし上棟式を待たずしておかめさんは自刃して果ててしまう。
女の提言によって棟梁として大任を果たし得たということが世間に知られるより、ならばこの身はいっそ夫の為に捧げましょうということだったらしいのです。
てか、棟梁が寸法間違えたらまずいし、自刃してまで隠す必要があったのかどうか. . .
夫婦で黙っとけばいい話なのになどと美談をちゃかしてはいけませんね。(^-^;)
わずか2時間半ぐらいで走馬灯のように駆け抜けた京都のちょっとマニアックな歴史ツアー。
タクシー代は高くついたけど、歴史マニアの運転手さんのおかげで、体調も悪化することなく観光もできました♪♪♪
さすがに帰ったらドーッと疲れが出ましたけど。
京都は何処行っても人がたくさんだと思ってましたが、マニアックな場所にはほとんど人はいないことがわかり安心しました。
次は鞍馬山とか貴船神社へ行きたい♪♪♪
でも、ほんとは奈良に行きたい!(≧▽≦)