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不肖な私ではあるが、最近彼女ができた。その会話の中で、気づいたことがあった。
十代までに必要なことがある、それは「誰かに愛される」こと。誰かに必要とされる感覚をみにつけることー。と、ある本に書いてあった。おれは、できていない。
おれは末っ子長男で、愛されていた。かもしれない。だが俺の記憶の中では違う。
両親は共働きで、あまり家にいなかった。父親とあまり遊んだ覚えがない。祖母が早くになくなり、母親は家事と仕事、両方していた。仕事が忙しいときもあり家事ができなかったとき、祖父が母親を怒鳴りつけていた。母親がよく泣いていたことを覚えている。おれはあまり親に甘えることができなかった。そして親は俺を甘やかすことしか、しなかった。
自分自身こんなの言い訳にしかすぎないと思っている。俺が家事を手伝えばよかった。自分をしっかり持って、物事を考えればよかった。だが、その時は思えなかった。
今でも俺は他人にとって必要なものなのか、自信が持てない。彼女ができても、俺よりもいい男がいればそっちに行って欲しいし、絆が深まるほど、怖くなる。
おれは誰に対しても、心を開けない。だから親友など、いない。誰かが言ったのを覚えている。俺は他人に興味がないと。逆だ。他人が俺に興味を持つはずがない。だって、俺が他人ならこんなクズに興味を持たない。
だが、その考えに甘えている自分があった。
知り合いに、ライブに出るから来てくれ。と言われて先日行ってきた。
そいつはあまり目立たないほうの人間で、あまり期待していなかったというのが本音だ。
・・・だが違った。俺が馬鹿だった。感動した。。。打楽器研究会とは、似ているようでまた違う感動だった。
入りからいつもと雰囲気が違っていた。プロが持つ独特の緊張感をだし、歌いだした。その歌詞と歌声に込めた魂とでも言えばいいのか、その凄さに完全に取り込まれてしまった。侮っていた自分が恥ずかしくなるほどだった。
聴き終えて、あることを思った。器楽奏者は単なる遊びのように吹いているの過ぎない。自らの音にどれほどの心も込めず、ただ口先だけで吹いている。これはプロでも同じだ。あいつ ほど魂を込めて音を出せる人はほとんどいないだろう・・・・・。
器楽奏者が、思いを込めた言葉・歌に敵うだけのものを出すには彼らの何倍もの思いと、勉強が必要だ。
・・・・なぜなら、単なる音には、意味などないのだから。