皮むきグローブ「ムッキー」が凄い。

近所のドンキホーテに売っていて、気になっていたのではあるが、買うまで至らずに数か月経過していたが、この度、偶然にも友人からプレゼントされた。

どういう意図があって、「ムッキー」をくれたのか不明であるが、ありがたく頂戴し、早速使用してみた。


相手?は、難敵「サトイモ」

包丁やピーラで皮むきを行うと、形が凸凹しているのに加え、皮の表面に生えた繊維に手こずり、大根や人参のように、「気持ちよい長さ」になるくらいまで一気に皮を剥ぐことができない。

さらに、ジワジワと泥と澱粉が出てきて、作業をしている手に不快感を覚え、水道に行って、これらの不快物を流す頻度が増えてしまう。

>ところが、「ムッキー」はやってくれます。!!

当初は、使い方の要領を得ず、両手のひら部分で、なんとなくゴシゴシしていただけで、まばらにしか皮が剥がれずに、「まあ、こんなもんか」くらいの感動度であったが、試行錯誤をして、親指部分をあてがい、繊維方向に沿って、指を動かすと、実にきれいに皮がはがれることが判り、自分の中での感動度が一気にMAXとなった。

$本と自転車とビール、ときどき落語。
 ↑ サトイモとムッキー


$本と自転車とビール、ときどき落語。
 ↑ 7分後(皮を剥いた状態)


$本と自転車とビール、ときどき落語。
 ↑ 豚肉とねぎとの煮物が完成!


凄い!

無駄な身を削ぐことなく、皮の部分だけが、きれいになくなっている。

これなら、気軽にサトイモやらジャガイモを料理する気になれる。

不慣れな部分もあったので、力が入りすぎたりもして多少筋肉が疲れたが、慣れてくれば、余計な力は入らずに、時間も短縮できるであろう。


それにしても、アイディア商品というのは尽きないものだ。

他国の事情はわからないが、創意工夫して商品に付加価値をつけていくのは、日本人の得意分野ではなかろうか?

まあ、「ムッキー」だって、根本的にはなくてもよい商品である。

包丁という基本商品に、ピーラーという既存のアイディア商品が定番化しているので、そこで思考を停止してもよさそうなものだ。

ただ、ピーラーにしても、冒頭書いた不快感は拭えない。

致し方ないとあきらめるか、さらに何かあるのではないかと考えるか。

ここが境界だ。

刃物系からの思考の脱却。

見事なり!

前提を鵜呑みにしない、軟らかい発想をせねばと思う。


今日の一言
「前提とか常識を突き破ってこそ、イノベーションが生まれる!」
とあるプロジェクトが面白くなってきた。

本業とは関係のない、不思議な集団で入学進行させているPJだ。

おっさん4人叫び(30代1人、40代3人)と美女2人キスマーク?歳と22歳)

基本的には 隔月でどこかの地域センターのような場所に集まり、打ち合わせを行う。集まりのない月は、スカイプ会議。

われわれはこれらを、地上戦空中戦と呼んでいる。

その他は、グループウェアを利用して、主催者(?歳美女)とプロジェクトリーダーが指示を出し、予め決めておいた役割りに基づき、課題をこなす。

主催者のマインドマップのセミナーに参加したのをきっかけに、なんとなく続いているグループで、当初はテーマを決めてのマインドマップの技術向上を目的としていたが、ある企業から製品のセールスに関するアイディアを考えて欲しいとの依頼があり、約2年目にして俄然盛り上がってきた。

先週の土曜日に、本番ではないが、企業の関係者とマーケティングの専門家(第三者)を前に、予行演習的なプレゼンを行った。

プレゼンのツールは、マインドマップ。
クライアント(一人は60才over)は、マインドマップの知識はないはずであるが、十分通じてしまうところが、素晴らしい。

ワードとイラストが直観的でよいのであろう。

思考ツールとしての価値や、マインドマップを知っている人への、プレゼンツールとしての価値はわかっているつもりであったが、違和感なく、コミュニケーションがとれた。

ただ、肝心の中身は、善し悪しであった。

どうも、われわれは、商品のアイディアに重きを置いていたが、先方は、販路をどうするかということに重きを置いていたようであった。

つまりは、新たな設備投資を要するもの、在庫リスクを抱える可能性が高いアイディアについては、厳しい評価がくだされた。
本業とは別のところで、ビジネスごっこに見られた面があったのかもしれない。

せっかく、素人の集まりに時間を割いてくれたのだから、次回プレゼンまでに、現実的な販路を示さなければならない。

そのためには、これまでのぬるま湯的な会合ではなく、厳しさも必要であろう。

本格的なマーケティングはできないので、まずは、効率のよい定性分析だ!

チームの役割を見直し、小さくてもよいから、実際の販路を見つけるまでいってみたい。


このプロジェクトについては、継続的にブログでアップしていきたいと思う。


今日の一言

「できることをやってみる!やらないよりましである!」


$本と自転車とビール、ときどき落語。-ピチケットMM
プレゼンで使用したマインドマップ
先週の金曜日に、グロービス経営大学院で行われたライフネット生命の岩瀬大輔氏のセミナー(講演会)に参加してきた。

岩瀬氏の講演会への参加は2回目。
一昨年になるか、アカデミーヒルズで開催された、小山龍介氏との対談以来である。

私のような若輩者が言うのも変な話であるが、岩瀬氏は日本における若き企業家の代表者であるのに、物腰が柔らかく、自然体で、まさに絵に書いたような好青年だ。
著書「132億円を集めたビジネスプラン」を使いながら、ライフネット立ち上げ時の話を中心に、岩瀬氏のビジネスロジックの一端を惜しげもなく話してくれたという印象。

結果を見てからということもあるが、まず感じたのは、基礎がしっかりしているということ。

当たり前の話しではあるが、やみくもに生命保険分野に挑戦したのではない。

東大時代に合格したという司法試験、卒業後に就職したコンサル会社、会社を辞めて自費で入学したというハーバードでのMBAなど、物凄く勉強し、様々な経験をし、確固たる信念を確立したうえで、生命保険会社という、成熟産業を立ち上げている。

いわく、
1 市場が大きいこと
2 非効率が存在すること
3 技術のブレークスルーあるいは規制緩和のタイミングであること

ここに、ベンチャーが大きく成長するチャンスがある。

僕も仕事がら保険業界の事情はわかっているつもりであるが、あえてこの業界に参入する気にはなれない。

日本国内の人口が減少傾向に参入突入し、経済成長が望めない状況の中で、勝算がないと考えるのが普通であろう。

それを、ターゲットを絞り、頑なに「インターネット引受け」という事務処理に拘って、経費を圧縮している。

ただ、とても興味深かったのは、はじめから「ネットありき」ではなかったという点。
ターゲットを絞りこんだ結果がネット専業だったということ。

イメージではなく、マーケティングなので、説得力がある。

 「どれだけ捨てられるか」

これが、ベンチャーにとって大事とも仰っていた。

 「納得と共感が人を動かす」とも。

この「納得」こそが、「仮説→データでの立証」の賜物であろう。


岩瀬さんの話は、ベンチャーに限らず、どんな仕事にも携わっていても役立つ。

あとは、もらったヒントを一つでも、二つでも実践するのみ。

さあ、がんばらなければ!アップ


今日の一言

「彼の立場から見た世界はどうなっているのか?」

昨日(2月24日)、「掛けたくなる軸」刊行記念で、丸善丸の内店で開催された、女優の山口智子さんの「お話し会」に行ってきた。
(いや~、なんと顔が小さいこと。ラブラブ


ミーハ的な参加で、正直あまり期待をしていなかったのだが、いやいやなんの、とても刺激流れ星を受けた。

山口智子さんは、松丸本舗の「有名人の書棚」でも紹介されていたような方なので、無類の本好き本なのかななどと思っていたが、子供時代、学生時代は本をほとんど読まなかったとのことである。

ただ、今回の「お話し会」でのアドリブ的なやりとりに対する言葉の選び方や、今回出版された「掛けたくなる軸」での文章を見ると、もちろん本だけではないであろうが、表現者として実に深みがある方であると同時に、へんに格好つけるところがなく等身大でナチュラルな方であると思った。


「掛けたくなる軸」は、AERAの連載を1冊にまとめたもので、職人の技が光る逸品をアーティスチックな写真と、山口さんのセンスのよい文章で紹介しているものだ。

山口さん自身も、「頭で理解するよりも、細胞で反応してしまうようなもの」と説明していたが、一見すると、こじゃれた逸品カタログのようにも思えてしまう。

ただ、山口さんの文章は、商品のセールスをしているわけではなく、美しい風景に出会ったときに溢れだす、叙景詩のようだ。

決して芸術品ではなく、普段使いのために職人が作ったモノたちが、軟らかく重厚な煌めきを放つ。

「お話し会」の中で、漆のつけ爪をはめたときに、「皮膚に溶けていく感覚」であると語っていたが、その漆の深い色(実際に会場で見ることができた)が、溶けていくとは、なんとも艶っぽい。

「ほのかな暗さの中の色気」、蛍光灯ではなく、暗闇に揺れる和蝋燭の灯りキャンドルでこそ、映えるばかりか、感覚も研ぎ澄まされる。

確かにそうかもしれない。

暗闇は、危険から身を守るような感覚が蘇り、人間の余分なものを削ぎ落した、研ぎ澄まされた感覚に近づくのであろう。

ほのかな灯りの中で、お気に入りのモノを観賞したり、手に触れたりすると、ひと味もふた味も違うはずだ。


「行き交い」とい言葉を繰り返していたが、物の「行き交い」「人の行き交い」が文化を育み、人を成長させていく。

自分の軸を持っている人の話を聴くと、刺激を受ける。

昨晩は、とても心地のよい時間を過ごせた。


今日の一言

「古今東西の交わるところに格好よいモノがある」
$本と自転車とビール、ときどき落語。
クライストチャーチの地震について、不幸にもお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、今も瓦礫の下で救助を待つ被災者の方々が一刻も早く救出されることを望む。


しかし、それにしても大地震が起こるたびに、いろいろなことを考えさせられる。

地震について、それから大後悔時代のヨーロッパの移民について、それほど知見があるわけでなはないが、今回の件について自分なり整理をしてみたい。


ニュージーランドは、日本と同じ地震大国であり、かつては、日本がその耐震技術を学んだほどである。

私も一度彼の地を訪れたことがあるが、この度崩落してしまった大聖堂をはじめとする建造物は、あろうはずのない大英帝国の中世の名残する感じ、その街中を可愛らしいトラムが走り、公園の小川にはカヤックが浮かんでいる。

イギリスよりもイギリスらしい町と言われるのも理解できる。

大航海時代の植民地政策のエネルギーを感じる。


ただ、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカなど、もともとのネイティブが少なかった地域は、もともとの土着の文化との融合を行わず、ヨーロッパ文化をそもなま押し付けているような印象を拭えない。
そのあたりに何か問題があったのだろうか?

クライストチャーチは、観光都市として世界中に名を馳せている。
美しい庭を持つ家々が立ち並び、先にも書いたように、移植した当時イギリスの顔を持った景観に優れた都市である。

しかし、改めて言うことでもないが、景観に重きを置き、耐震性が軽んじられてたのではなかろうか。
景観=政府、耐震性=人名と置き換えると、「政府の都合により人名が軽んじられた」とも思える。

地震多発地域においては、関東大震災の例を見てもあきらかなように、耐震性を重視した建物に立て替える必要があるのは自明の理だ。

被害の大きかった建物はレンガ作りで、補強が完全ではなかったとも報道されているので、真実からそうは遠くないであろう。(もっとも、液状化現象が起こってしまえば、近代工法による建造物でも、どうにもならない面もあろうとは思うが・・)


ただ、「景観=政府」>「耐震性=人命」という価値観について、絶対的に誤っていたと言えるのであろうか?

結果的には、地震による人為的な被害が明白になった部分があり、行政が批判に晒されることになるであろう。
しかし、そこに住む、あるいは、そこを訪れた人々は、これまでクライストチャーチという街の景観で、どれだけ心が洗われたことであろう。

命という、かけがえのないものを失った当事者あるいは、その親族にしてみれば、到底許容できないことは理解をしたうえで、敢えて言うが、耐震のための補強工事を後回しにして、伝統的な景観を守った行政について、簡単に批判することはできないのだと思う。

イギリスがニュージーランドを植民地としえ開拓した時点で、土着文化との融合を図っていれば、本国と同じような建造物を作らなかったのかもしれない。

しかし、ヨーロッパとは地理的に離れた南半球に、世界中から観光客が集まるような、イギリスの歴史感を漂わせる街を作り上げたこと自体が、立派な文化であり、称賛に値する。

結果として、非常に残念なことになってしまったが、単純にニュージーランド政府の耐震検査の甘さを糾弾するような事態にならなければよいと思う。


今日の一言

「すべてに万能な絶対的正解など存在しない。