「究極の水商売」

これが私の宗教に対する考えだ。


私の家の近くにある神社は、由緒ある神社だ。
(いわゆる「一宮(いちのみや)」)

そこの宮司が、ローカル新聞の広告欄にこんな広告を出していた。


「厄祓い 初穂料6,000円〜」


初見での印象は「世も末だな。」だ。

「現実は水商売です。」と暴露したようなものだと思う。


地元では、神社周辺の町会住民は自動的に「氏子」になる。「強制的に氏子になる」と表現した方が正しいかもしれない。




当然、私は断った。

そして当然、氏子総代から声がかかった。


氏子総代
「ここに住んでいるんだから神社には協力しなきゃいけないぞ。」

「嫌です。例大祭とか御神輿ワッショイとか苦痛でしかありません。そして、金を取られるとか意味が分かりません。」

氏子総代
「ただでさえ人がいないのに、地元の若い奴が積極的に参加しなきゃ伝統が途絶えるだろ。神社も無くなってしまう。大変でもやるのが大人だろ。世の中、自分だけ良ければいいわけじゃないだろ。周りからも白い目で見られるぞ。俺が氏子総代のうちは皆参加してもらいたい。」

「強制参加にしないと伝統が途絶えてしまうなら、途絶えるべき伝統だと思います。神社が無くなっても何も困りません。神社や氏子総代の考えは『今だけ、金だけ、自分だけ』の典型だと思います。未来のことを考えず、今だけ上手くまとまれば良い…金を集められれば良い。…自分の時だけまとまれば良い。それの積み重ねで『今』になっていると思います。」

氏子総代
「もう知らん。もう2度とお前には話しかけない。」



こんな感じのやり取りになった。

私は、神社が嫌いな訳では無い。
神道を信仰する人を否定する訳でもない。
信仰は自由だ。

ただ、私は…厄祓いに6,000円払うなら、健康診断を受けるし…氏子になって、金を取られるなら、子供に金を使う。
そして、令和という時代に…なぜ目に見えない何かに縋るのか理解出来ない。



だから、私の宗教に対する考えは…

「究極の水商売」