縁起の理法を悟った釈迦は、これらの教え以外に人間の煩悩、苦悩を救う道はないと信じ、 人々に次のことを絶えず説いていました。  

・すべての人に 「深い友愛の心」 を限りなくもちなさい。 
(慈無量心) じむりょうしん

・すべての人と 「共に悲しみ苦しむ心」 を限りなくもちなさい。
 (悲無量心) ひむりょうしん

・多くの人々の 「幸福を見てよろこぶ心」 を限りなくもちなさい。
 (喜無量心) きむりょうしん

・「あらゆる執着を捨て」 多くの人々に施す心を限りなくもちなさい 。
(捨無量心) しゃむりょうしん

人生は四苦八苦、「迷い」や「執着心」を断って「考えすぎない」のが一番だと悟りました。

苦から抜け出るには、正しい考えや正しい行いをしなさいと説いています。

四苦八苦から逃れるのではなく、それを根治する方法に、勇気をもって立ち向かおうとする宗教が『仏教』です。

人間が生きている事そのものが「苦」であることを知れ、次に、「苦」の原因は欲望と執着である事を見極めよ。

続いて、その原因である欲望と執着を捨て去り滅せよその為には八つの正しい道を実践せよ、その正しい道とは、

「正しく見」・「正しく思い」・「正しく話し」「正しい仕事をし」・「正しく暮らし」「正しくつとめ」・「正しく祈り」・「正しい生涯を送る」

の八つの正しい道を八正道という。

どこで生きようとも、害心ある事なく、何でも得たもので満足し、さまざまな苦難に耐えて、恐れる事なく、犀の角のようにただひたすら歩め世間のすべてに背く事無く、犀の角のようにただ一人歩め

人が人としてあるという事は、何故こんなにも苦しいのか・・・釈迦は人生について悩み、二十九歳の時に「さとり」を求め出家しました。そして、想像を絶する苦行の数々を行 いました。

そして考えました。

極端な偏りは何も生み出さない。

王子時代の快楽の日々、修業時代の苦行の日々、これら極端な偏りはいけない。

真理をとらえる為には、その中程を貫く過程「中道(ちゅうどう)」が大切で はないかと気が付きました。

そして、出家してから六年目にあたる、三十五歳の時に真理に目覚め「仏陀(ぶつ だ)」となりました。

さとりを開いた釈迦は、教えを広める伝道生活を送り、やがて八十歳で自分の死期を悟りま した。

そして故郷を目指し、最後の旅へ。 

やがて臨終を迎えた釈迦は、弟子アーナンダに漏らした。

「ああ、この世はなんと美しく、人間の命はなんと甘美なものなのだろう。」 

と言い残し、沙羅双樹の根元に身を横たえると、そのまま入滅した。   

その姿は、  
● 諸行無常(しょぎょうむじょう) 世は、すべて移り変わるものであり  

● 諸法無我(しょほうむが) 一切が、我が物でないことを知れば  

● 涅槃静寂(ねはんせいじゃく) 迷いや苦しみのない心に、たどり着くことができると、 無言の内に語っていたという。

欲望と執着を捨て何事もあるがままの姿で感謝し、正しく生きよ

引用元