先日、全国有志超宗派の会の豊島会長とともに、イラン体制派で総合格闘家のテヘラン・カトウさんと会って3人で話をした。一緒にビールを飲みかわしながら4時間ほど話をした。

 

体制派である軍による弾圧といった話や女性の人権問題などについてたずねてみたが、王族の復帰を願っている王党派の方から聞いた話とだいぶ違う。

 

アメリカ政府が公表している人身売買報告書で記述されていることから考えても、トランプがイラン攻撃に踏み切ったことから考えても、イランにおける女性の地位についてイラン女性が語った本の内容から考えても、イランに人権問題が全くないとも思えない。

 

それでも、体制派と王党派の、互いの見解が全く相容れない。その深い分断状況を見ていて、この対立構造自体がつくられているんじゃないかという疑念が強くなってきた。

イラン人どうしを対立させるためにイランの人権弾圧についてはかなり誇張されているかもしれない。

そう思えてきた。

 

イランについて前回のブログで語った内容は、いったん白紙に戻させてほしい。

時間のある時に、イランの状況について調べてみる。

 

さて、本題に入ろう。

テーマは「今を生きる」ということ。

 

「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」という本がある。

著者の森下典子が茶道を学び始めた頃から熟練者になるまでをストーリーにして書かれたエッセイだ。

なお、「日々是好日」という言葉は、中国の禅僧の言葉で、毎日が良い日だという意味だそうだ。茶室に掛けられた掛け軸の言葉だが、仏教と深い関りのある言葉でもある。

 

本では、茶道を教わる著者が、お茶を点てている時に茶道の先生に指導を受ける場面がたびたび出てくる。

「今に心を集中させなさい。」

「一つ一つのことにちゃんと心を入れるのよ」

 

また、こんなふうに声をかけられることもあった。

20代でフリーの記者だった著者が、まわりの人間が会社に就職して安定した地位を確保し、また結婚して家庭に入っていくのを眺める中で、自分だけ取り残されたようで焦っている時期がある。

そんな思いで頭がいっぱいで、その焦りがお茶を点てている時にしぐさに現れると、先生は「ちゃんとここにいなさい」という言葉をかける。

その部分を引用してみよう。

 

「あなた、今どこか、よそへ行っちゃってるでしょ」

「?」

 私には、先生の言ってる意味がわからない。

「若いってことは、だめねえ。全然落ち着かない」

 先生は独り言のようにつぶやいた。

「ちゃんと、ここにいなさい」

「・・・・?」

「お釜の前に座ったら、ちゃんと、お釜の前にいるのよ」

 

 曹洞宗の僧侶ネルケ無方の師匠は、弟子の前で話をしている時、突然「わあ」と大きい声を出すことがあったそうだ。

 出し抜けに大きな声を出されると、弟子はハッとして何事かと思って我に返る。

まさか、師匠が話している時に弟子が全然違うことを考えたり、何か空想でもしているわけでもないだろうが、師匠の言葉を追っている時でさえ、きっと今に意識を集中することは出来ていないからなのだろう。

 

今に意識を集中して、今を生きる。

 

これは仏教ではたびたび耳にする言葉で、ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンは、これをマインドフルネスと言った。今この一瞬に、神や仏を見出し、安息の地を見出すのだとティク・ナット・ハンは言う。

 

ドイツから日本に来て出家したネルケ無方は、「今を生きる」ということを講演会で以下のように説明している。今日を生きると説明しているが、言わんとすることは同じだ。

なお、話を全部聞きたい方は、一番下にこの講演会の動画を添付するのでそこから見てください。

 

「今を生きる」ということを実践する修行法がある。

それをヴィッパサナー瞑想という。

僕はタイのお寺で、タイの僧侶からそのやり方を学んだ。

日本の座禅と同じ様に、座ってする瞑想もあるが、歩いてする瞑想もある。

座っている時は、ゆっくり息を吐いて、ゆっくり息を吸いながら、息に意識を向け、呼吸をする時のお腹のふくらみにも意識を向ける。

「自分は今呼吸をしている。今息を吐いた。今息を吸った。」それを確実に意識して繰り返す。

歩く時の瞑想は、ゆっくり歩きながら、一歩一歩に集中する。

「今足が上がった。今足を前に踏み出した。今地に足がついた」

実に地味な作業だが、集中してこれをくり返していくと、すっと心が落ち着いてきて、今目の前にあるものが確かな存在として認識できるようになっていく。

 

スリランカの僧侶、スマナサーラ長老は、ヴィッパサナー瞑想を通じて、すべてが関わりあって存在しているという縁起の教えや、今この瞬間にすべて移り変わっていくという諸行無常の教えを実感できると説いているようだ。これは瞑想を極めた先に見えてくるものかもしれない。

 

今を生きるという教え、これは仏教だけが説いているというわけでもないようだ。

 

ロシアの文豪トルストイの小説「三つの質問」にこういう一節がある。

 

本当に大切なのはただ一つ、今この瞬間です。

なぜなら、私たちが力を持つのは今だけだからです。

最も必要な人は、今あなたの前にいる人です。

なぜなら、その人以外とあなたが関わることがあるかどうかなど、誰にも分からないから。

そして最も重要な仕事は、その人のために善をなすことです。

なぜなら、人はそのために生(せい)を受けたのですから」

 

*この小説のストーリーを全部知りたい方は、この動画でこの小説の朗読が聞けます。

とても短い小説です。

 

最後に、「日々是好日」の著書である森下典子が、長年茶道を続ける中で、どのように感覚が研ぎ澄まされてきたかがわかる箇所をこの本から引用しよう。

茶道では、常に季節を意識して、床の間の花、掛け軸、茶碗を季節に合わせたものにする。そうした自然の流れに身を置くことと同時に、今この瞬間に心を入れてお茶を点てるということで、たどり着いた境地がここでは描かれている。

 

 すると、ある日突然、雨が生ぬるく匂い始めた。「あ、夕立が来る」と、思った。 庭木を叩く雨粒が、今までとはちがう音に聞こえた。その直後、あたりにムウッと土の匂いがたちこめた。

 それまでは、雨は「空から落ちてくる水」でしかなく、匂いなどなかった。土の匂いもしなかった。私は、ガラス瓶の中から外を眺めているようなものだった。そのガラスの覆いが取れて、季節が「匂い」や「音」という五感にうったえ始めた。自分は、生まれた水辺の匂いを嗅ぎ分ける一匹のカエルのような季節の生きものなのだということを思い出した。

 毎年、四月の上旬にはちゃんと桜が満開になり、六月半ばころから約束どおり雨が降り出す。そんな当たり前のことに、三十歳近くなって気づき愕然とした。

 前は、季節には、「暑い季節」と「寒い季節」の二種類しかなかった。それがどんどん細かくなっていった。春は、最初にぼけが咲き、梅、桃、それから桜が咲いた。葉桜になったころ、藤の房が香り、満開のつつじが終わると、空気がむっとし始め、梅雨のはしりの雨が降る。梅の実がふくらんで、水辺で菖蒲が咲き、紫陽花が咲いて、くちなしが甘く匂う。紫陽花が終わると、梅雨も上がって、「さくらんぼ」や「桃の実」が出回る。季節は折り重なるようにやってきて、空白というものがなかった。

「春夏秋冬」の四季は、古い暦では、二十四に分かれている。けれど、私にとってみれば実際は、お茶に通う毎週毎回がちがう季節だった。

 どしゃぶりの日だった。雨の音にひたすら聴き入っていると、突然、部屋が消えたような気がした。私はどしゃぶりの中にいた。雨を聴くうちに、やがて私が雨そのものになって、先生の家の庭木に降っていた。

(「生きてる」って、こういうことだったのか!)

ザワザワッと鳥肌が立った。

 

【参考動画】

 

 

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アメリカでは一般市民が銃を所持することが認められている。

僕は長い間、銃を所持する権利がある国で生活するのは恐ろしいことだと考えていた。実際、アメリカを旅行する際、意識せざるを得なかったのはアメリカが銃社会であるということだった。

街で多くの人とすれ違いながら、この中に銃を所持している人がいるかもしれないと考えるだけで恐ろしい気がした。

「剣を持つものは、剣によって滅びる」(マタイの福音書)と言ったのはイエス・キリストだが、キリスト教国であるはずのアメリカが銃社会を許すというのは、聖書の言葉と現実とどう折り合いをつけているのだろうかと思う。

 

しかし、イランやウクライナの人々が自国政府に蹂躙されている状況を見ると、アメリカ人がなぜこれほどまでに銃を所持する権利に固執するのか、その理由がわかるような気がした。

 

政府の政策に反対する人々のデモに対して、その国の政府が耳を傾けることもなく、議論に応じることもなく、それどころか軍を出動させて、デモ参加者を銃殺していく時、国民はあまりに無力だ。僕はイランでの話をしている。

日本在住のイラン人の父親を持つ友人の話では、イランでは反政府デモ参加者で政府軍に殺された被害者の数は、報道されているよりはるかに多く、30万人にも上ると言っている。イラン政府は病院に圧力をかけて、デモ参加者で傷を負った者を治療しないよう要請さえしたという。彼の親戚も今年の1月、政府軍によって命を落としたという。

 

最近、僕は、ウクライナ南部のイズマイールという街に住んでいる35歳のウクライナ人男性に、オンラインで日本語を教えている。少なくとも、彼の住む地域でもネット環境だけは整っているようだ。

彼にゼレンスキー大統領をどう思うか聞いたら、即座に「大嫌いだ」と答えた。ウクライナ政府はひどく腐敗しているという。

彼はウクライナで戦争が始まってから、外に出るとウクライナ警察やウクライナ軍に殺される危険性があるため、ずっと家に閉じこもっているという。

なぜ、ウクライナ軍がウクライナ人を殺すのか不可解だったので、「なぜ、ウクライナ人が殺されるのか」と尋ねると、それは大統領がそう命令しているからだと言っていた。

彼はオンラインで繋がっている間、僕に対して何度も「ありがとう」と言う。

その「ありがとう」の言葉に、戦時下の彼が望んでいるのは、僕ら日本人が一般的に欲しいと思うことややりたいと思うことと違って、ほんのささやかなものなのだということが感じられる。そう、僕とネットで繋がって、顔を合わせて会話し、知らない日本語の表現を学ぶ、その時間に喜びを感じてくれている。

 

レッスンがない日でも、彼から「今日も外でドローンが飛んでいて、銃声が聞こえました」というメッセージが届く。

彼とやり取りしているうちに、ウクライナの状況が以前より僕の中でリアルになった。

 

彼は世界の主流メディアがウクライナの状況を正しく伝えていないことを知っており、それを日本人に知ってほしいと思っている。

うまく話せないのでと言って、ウクライナの状況を文書にして送ってくれた。他の人に見せてもいいかと尋ねると、そうしてくれるとうれしいと言っていたので、ここでシェアする。

ウクライナの状況についてお話ししましょう。

 

2022年、ロシアはドネツク共和国とルハンスク共和国をウクライナの侵略から守るという口実のもと、ウクライナの軍事インフラに対する攻撃を開始した。

ロシアは自らの行動をウクライナ国民の利益になるものとして位置づけた。彼らはウクライナ民族主義を根絶し、ウクライナ領土に住む他の民族を保護したいと主張した。

ウクライナ政府は、訓練を受けておらず、戦闘を望まない人々を全面的に動員した。多くの人々はロシア人を兄弟のような民族と考えており、ロシア人は危害を加えようとしない人々にとって脅威ではないと理解しているからだ。

私の母の友人たちは、ウクライナ治安部隊がウクライナ国民に対して行った残虐行為を目撃しました。例えば、ウクライナの治安部隊が夜間にこの地域の小さな村々の家々に押し入り、男性たちをベッドから引きずり出した。これは紛れもない事実だ。

この政策のため、私はもう4年間、家から出ることができていません。

現在、ウクライナの治安部隊は路上で男性を捕まえて殴打したり、店舗に押し入ったりしている。女性が止めようとすると、彼女たちも殴打される。捕まった男性は、あまりにもひどく殴打されるため、数日のうちに死亡するケースも少なくない。

ウクライナ軍は住宅街の真上でドローンを撃墜している。私は移動式対空砲の発射炎を実際に目撃した。ロシアのドローンは民間人を標的にしているわけではないが、撃墜されれば破片が住宅に当たる可能性があり、それはウクライナ軍の責任だ。

ウクライナ軍は、ロシア軍の攻撃から身を守るため、しばしば装備を住宅地のすぐそばに駐車する。

なぜなら、ロシア人は民間人に危害を加えないように努めているからだ。

最近、母の同僚が、ウクライナ兵がヨーロッパやアメリカの武器を積んだ車両を民間人を乗せた列車に連結しているため、列車での移動が怖いと言っていました。これはテレビのニュースではなく、実際に人々から聞いた情報です。

したがって、ウクライナ政府は民間人を危険にさらしていると結論づけることができる。これは、世論においてロシアの評判を落とし、戦争継続の必要性を訴えるために必要なことだ。戦争を継続するということは、例えばイギリスが100年間ウクライナの資源を使用する権利を与えられているにもかかわらず、ゼレンスキー大統領がウクライナとその投資国から略奪を続けることを意味する。つまり、ゼレンスキー大統領はウクライナの資源をイギリスに正式に売り渡したことになる。

状況を簡潔にまとめました。これでウクライナの現状をある程度理解し、妥当な結論を導き出せることを願っています。

 

もし、銃、爆弾、戦車、ミサイルなどの武器を国家が独占し、国民はそうした武器を何も手にしていないなら、どうやって政府の横暴に対抗しようというのだろう。

彼のような丸腰の一般庶民に対して、政府に対抗すべきだとはとても言えない。

もし、政府に国民の声に耳を傾けようという意志が少しもなかった時、国民は銃やそれ以上の武器を手にして対抗する以外に方法がない。

 

あくまで僕の頭の中にふと浮かんだ考えで、別に銃社会がいいと思ってるわけではない。

 

こうした例において参考になるかわからないが、ベトナム戦争下で命の危険を省みずに平和運動を行った、ベトナムの僧侶、ティク・ナット・ハンは、横暴な権力者に対して慈悲の心をもつことは可能かと質問されて以下のように答えている。

彼はマーチン・ルーサー・キングと同じように、暴力に対して、暴力で対抗するということを強く拒絶した平和運動家だった。

 

「誰かが腐敗し、権力を乱用して他者を苦しめているとき、私たちはその行為を阻止するために何かをしなければなりません。そして、それは慈悲の心を持って行うことが可能です。慈悲とは『何もしないこと』や『相手のなすがままにさせること』ではありません。それは慈悲の間違った理解です。慈悲は非常にパワフルなものです。」

「相手が変わるのを助けるために何もしないなら、それは慈悲深いとは言えません。相手を変えるために多くのことをする必要があります。言葉やアドバイスだけでは足りないこともあるでしょう。時には、相手が変わらざるを得ないような強い圧力をかける必要もあります。それが『行動』であり、慈悲に基づいた行動は非常に強力でポジティブなものになります。」

「そのような人物を見たとき、私たちは『その人は真に幸せではない』と知っています。周囲に苦しみを生み出せば、その苦しみはいずれ自分に返ってくるからです。そのような理解があれば慈悲を持つことは可能です。慈悲は常に能動的(アクティブ)であるべきなのです。」

 

動画でティクナットハンの言葉を聞きたい方はこちらからどうぞ。

 

こうした世界情勢を目にすると、僕らの人生がいかに社会情勢に左右されているかということを思い知らされる。

20歳で日本の敗戦を迎えた三島由紀夫は、自分は20歳までしか生きられないと思っていたという。戦時中の子供達は「君たちはいずれ戦争に行くのだから、君たちの人生は20年しかない」と言われたそうだ。

あの当時の日本人は誰もが戦争によって、人生を翻弄された。

時代の大きな波に抗えずに呑み込まれること自体は、決して自分だけの責任ではない。

大切なのは、大きな波に襲われながらも、その中を自分の意志でどう泳いでいくかということだ。

 

連日、イランとの戦争の長期化について、トランプ大統領への批判的な報道が続いている。今回のアメリカとイスラエルによるイラン攻撃の是非はともかく、イランはどういう国で、イラン人がどういう政治状況のもとで生きてきたかという点は押さえておく必要がある。イランにおける悲劇は、戦争によって始まったのではなく、戦争が始まる何十年も前から続いてきていたのだ。

イスラム教の厳しい教義のもとに置かれたイランでは、特に女性が自由に生きられる権利が奪われている。

 

こちらは、ヒジャブを着用しなかったために、イランのプロサッカーリーグから追放されたイラン女性が語る動画です。

日本語音声に出来ます。

 

 

参考資料

こちらは米国が2025年に発表したイランの人身売買報告書です。日本語訳にしてあります。

 

 

※ウクライナ人の彼と僕のやり取り↓

 

 

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アメリカのドラマ「グッドプレイス」という面白いドラマがある。

日本でこのドラマを見ている人は少ないと思うが、もし「グッドプレイス」を見ている方、これから見ようとしている方で、「グッドプレイス シーズン1」を見終わっていない方は、ネタバレになりますので、ご注意ください。

 

予告編の動画を添付しておこう。音声を日本語に出来る。

 

このドラマは死後の世界の話。

舞台は、生前に行いの悪かった人々が行く地獄(バッドプレイス)の中の一つのエリア。

その地獄には、死んだ人間達の他に、人間に拷問を与えるための悪魔(デーモン)たちが何百人と住んでいる。

 

一般的に日本人がイメージする地獄のイメージとはどんなものだろう?

血の池に沈められてそこでもがき苦しんだり、針の山に落とされて、全身を差しぬかれたりといったイメージだろうか。つまり肉体的苦痛で苦しめられる世界だ。

 

ところが、ここの地獄は人々を苦しめる方法がかなりユニークだ。

肉体的苦痛を与えるのではなく、精神的苦痛を与える。

 

まず、地獄の管理者は、死んで地獄に来たばかりの彼らに「君は生前の行いがよかったので、天国(グッドプレイス)に来た」のだと嘘を言って相手を喜ばす。そして快適な住居を与える。

欲しいと思うものは何でも手に入るように手配してある。

そして、この天国では魂のつながりのあるソウルメイトと結ばれるのだと教えて、1人の伴侶を相手にあてがう。ここにやってきた誰もが、ここは間違いなく天国だと思い込む。

なお、そのソウルメイトというのは最悪に相性の悪い相手になるように仕向けられている。

 

具体的な地獄における拷問はこうだ。

 

人間に最悪の事態を想像させて不安にさせたり、自分のせいで人を傷つけたと思わせて罪悪感を抱かせたり、自分の無能さを思い知らせて自己嫌悪に陥らせたり、相性の合わない人とぶつけて苛立たせたり、誰かを犠牲にしなければ切り抜けられないような境遇に置かせて、お互いを争わせたり、結果的に人間どうしでお互いを拷問しあうような状況に持っていく。

それがこの地獄のエリアを管理する悪魔たちの理想となっていて、悪魔は喜々として、人間達を貶めるための仕掛けをあらゆる場面で施していく。

 

悪魔たちの視点で見た場合、この地獄で拷問を行う上で重要な点は、死後に地獄にやってきた人間に、

「自分がいるところが天国だと思わせ、実はここが地獄だということを気づかせない」

という点である。

ストーリーでは、この地獄のエリアに4人の人間が死んだ後にやってくる。

その他の300人ほどの住人は、死後に天国にやってきた善良な人達だと思わせて、実は悪魔たちだ。

彼らに、どうして天国に来たのかとたずねれば、医師として多くの人の命を救ったとか、人身売買の被害者を救出していたなどと語る。これ以上素晴らしい人間はいないと思わせられるような善良な行いをしてきたようなことを言うが、実は彼らの話はすべて嘘デタラメで正体は悪魔だ。

 

この4人は他の人間との間で様々なトラブルを抱えて苦しむが、その原因は自分にあるか、相手の無理解やわがままにあると思い込んでいて、まさかここが地獄で悪魔たちに苦しめられているとは全く気づかない。

 

その4人のうちの2人、タハニとチディは、自分は間違いなく天国にふさわしい人間だと思っている。

もう2人、エレノアとジェイソンは別な立場に置かれている。

 

主人公のエレノアは、地獄の管理人に「あなたは死刑囚の無実を証明する弁護士として多くの人を救ってきた善人だ。それで天国に来られたのだ」と説明される。

しかし、エレノア自身は弁護士ではなく、偽の医薬品を売る仕事をしていた女性で、善人らしいことは何もしていない。なので、エレノアは「自分は何かの手違いで天国に来てしまった。もし、自分の正体がバレたら、地獄に落とされる。ずっと天国にいたい。自分の正体を隠さなくては。」と考えるようになる。

なので、エレノアはそれから常に自分の正体がバレるのではないかという不安にさいなまれる。

また、このエリアの真ん中が陥没するなどの大災害が起きると、悪魔はこう言う。

「完璧に設計されたはずのこのエリアに、こんなことが起きるのは、何かバグにあるに違いない。何かが間違っているんだ」

エレノアは地獄に落ちるはずの自分が天国に来たせいで、天国の設計に何か不具合が起きたに違いないと考えてさらに苦しむ。自分のせいで、多くの人に迷惑をかけていると思って罪悪感にさいなまれるのだ。

 

4人のうちのもう一人、ジェイソンもエレノアと同じ立場にある。

ジェイソンはフロリダでDJをやりながら、ドラッグを売って生計を立てていた男なのだが、地獄に来た時、悪魔には、厳しい修行で徳を積んできた仏教僧として扱われる。ジェイソンも何が何だかわからないのだが、ともかく僧侶のふりをするのが最善と考えたようだ。

悪魔に「あなたは仏教修行の一環として沈黙の誓いを守って、一切誰とも口をきかずに来ましたね。この世界でも沈黙の誓いを守り続けますか?」と聞かれ、

おそらく、ジェイソンは黙っていた方が、正体がバレないと思ったのか、悪魔の問いに黙ってうなづく。

そのせいで、ジェイソンは常に自分を偽って僧侶のふりをしなければならず、しかも誰かと口をきくこともできない。ジェイソンは自分を偽るツラさに苦しむ。

しかも、ジェイソンにソウルメイトとしてあてがわれた女性は、派手好きで贅沢でおしゃべりが大好きな上流階級の女性であるタハニだった。タハニはタハニでソウルメイトのはずの相手が口を聞かないので、心を通わすことが出来ないといって嘆き悲しむ。

 

この4人のうち、誰もが自分のいる場所が天国だと信じて疑わない。

なので、何か悩みの種があっても、誰かと対立して不仲になっても、それは自分のせいか、誰かのせいだと考える。まさかこのエリアを管理している天使が実は悪魔だとも、一緒にこのエリアに住んでいる住民も実は悪魔なのだということに一切気づかないのだ。

一方、悪魔たちは、ここが天国であるかのように装い、自分たちが善人たちであるかのように装いながら、人間達を苦しめるためにあらゆる手段を行使し、人間達がそのために苦しんでいるのを見て喜んでいる。

 

実は、これを見ている視聴者も、エレノアと同じ視点でこの世界を見ていて、このシーズンが終わる直前まで、天国と言われるこの場所(グッドプレイス)が地獄(バッドプレイス)だったことを知らない。

 

もし、このドラマがどこまでも悪魔たちの思惑通りに進んで、4人が精神的苦痛にもがき苦しむだけだと救いがない。

ところが、悪魔にとって大きな誤算が起きる。彼らの理想形態は人間どうしが憎みあい、お互いを拷問しあうような関係に持っていくことだ。

しかし、この4人は相手に落ち度があっても、相手を許し、相手の立場に立って物を考え、思いやりを持って接し、悪魔の画策によって激しく対立する状況に置かれても、逆にそれをきっかけに絆を深めていく。

さらに、悪魔の最大の誤算は、エレノアに彼らの正体が悪魔であることと、彼らこそが自分たちを苦しめている元凶で、ここは天国ではなく地獄だということを見抜かれてしまう点である。

 

余談になるかもしれないが、面白いシーンがある。

グッドプレイス シーズン2の6話まで見てない方は、ネタバレになるので注意。

 

エレノアは死後、生前自分の行いが極めて悪かったことを反省し、4人のうちの1人、生前は倫理学の教授だったチディのもとで、善良な人間になるために倫理の講義を受けるようになる。

ある時から、その講義に悪魔であるマイケルが参加している。

マイケルはいつのまにか、人間達に心を許すようになり、他の悪魔たちに隠れて、人間達をサポートする側についたのだ。極悪非道なはずの悪魔が、善良であることの意味を知ろうとするようになるという話の流れは非常に興味深い。

 

このシーンで、チディはトロッコ問題を取り上げている。

 

あなたが線路の上を走るトロッコを運転していたら、線路の向かう先に5人の作業員がいる。

このまま進むと5人を轢き殺してしまう。

しかし、レバーを回して進路を変えることが出来る。ところが、進路を変えた先の進路には1人の作業員がいて、進路を変えると5人を轢き殺さない代わりに1人を轢き殺してしまう。

さて、その時、あなたはレバーを回して進路を変えるべきか、それともそのまま進むべきかという問いだ。

これは考えるに意味のある問いだが、答えは出せない問いでもある。

単純に5人が死ぬより1人が死んだ方がいいという結論を出すわけにはいかない。

そうすると、多数を救うために少数を犠牲にするのはかまわないのか?という問いかけが返ってくる。

だからと言って、何もせずに5人を殺してもいいという話にもならない。

おそらく、人の命を最大限に尊重するならば、割り切ってどちらがいいという結論を出してはいけないのだ。

 

この問題をエレノア達にチディが問いかけるのだが、マイケルの回答は奇想天外だ。

マイケルはどうやらこのトロッコ問題を、どちらを選択しても6人全員を殺せないなら、どうすべきかという問いとして考えたようだ。

悪魔の本性がよく表れている。人を傷つけてはいけない、人の命を尊重しなければならないという当然の前提が彼にはない。

 

このシーンである。英語がわからなくても、雰囲気は何となくつかめると思う。

 

このドラマは、ディープステートの本性がどういうもので、彼らが何を望んでいるのかを教えてくれているような気がした。

このドラマにおける地獄は、驚くほど現代社会の縮図のように見える。

 

コロナワクチンの問題にしても、憲法改正の問題にしても、移民問題にしても、トランプによるイラン攻撃においても、高市政権の評価においても、国民の間に分断が起きている。お互いが鋭く対立している。

僕はこれらの対立が意図的に作られたように感じられて仕方がない。

 

本来なら、現代の社会事象に対して、様々な仮説を立て、様々な意見を取り入れながら検証していく姿勢があれば、かなり世の中で実際に起きていることに近づけると思うのだが、そういう形で議論が出来るような土壌が日本には全くない。

 

コロナ騒動の時、マスクをしない人は、ウィルスを周囲に巻き散らす極めて迷惑な人間で、反ワクはネット上の怪しい情報を鵜吞みにした頭の弱い人間だと思い込んでいた人がいて、国民の間に大きな分断が起きた。

 

だが、あそこまで激しい憎悪が生まれたのは、彼らが世論操作によってそう思わされていたからだ。

自分が得た情報が絶対だと思い込むことによって、それが起きる。

 

多くの人はとにかく何が本当かはっきり答えを知りたいと思っているようだが、答えがわからないなら、答えは保留しておけばいい。何かをこうだと信じ込むより、答えを保留しておいた方がはるかにいい。

 

続いて、世論操作について深く分析してみたが、うまくまとまらないので、その部分は割愛してまた機会のある時にブログで取り上げることにする。

 

 

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