『ブレない人になりたい』

『自分軸をしっかり持ちたい』

と僕はずっと思っていました。

 

自分の意見に自信が持てなかったり

自分の判断に自信が持てませんでした。

 

 

しかし

ある時ふと疑問に思いました。

 

「ブレない」とか

「自分軸」ってなに???

 

「自分の軸」は目に見える形ではないので

すごく曖昧なものですよね。

 

 

 

 

僕が思う「自分軸」というのは

自分で決断できる人

だと思います。

 

 

逆に「他人軸」というのは

他人の評価を基準に決断すること

つまり

自分のことを他人に決断してもらうこと

だと思います。

 

 

 

 

でも・・・

「自分軸」とか

「他人軸」とか

そんなに大事なのでしょうか?

 

というか

「自分軸」とか

「他人軸」という

考えそのものが必要ないのでは?

と僕は考えています。

 

 

なぜなら

僕もあなたも

すでに自分軸は持っているし

それでいて

他人軸の要素も持っているからです。

 

 

 

どういうことかというと

 

「自分軸」というのは

元々持っているものではありません。

 

生まれて育っていく中で

学び、経験をして

徐々に育まれていくものです。

 

 

 

他人から見て軸がしっかりしているような人も

最初から軸がしっかりしていたわけではなく

それこそ最初はブレブレの人だったわけです。

 

 

それはどんな人にでも言えることで

『自分の軸が持てない』

と思っている僕やあなたでも

これまで生きてきた経験がある以上

少なからず軸というものが存在しています。

 

 

 

 

つまり大小の差はあれども

すでに「自分軸」は持っているということです。

 

 

 

すでに持っているものであるならば

あとは鍛えていけばいいという話です。

 

その鍛える段階で必要になるのは

「他の誰か」の力です。

 

そう、「他人軸」が必要なのです。

 

 

 

 

「自分軸」を鍛えるためには

どうしたらいいと思いますか?

 

それは

一つ目はいろいろな知識を学ぶこと

二つ目はそれらをやってみること

です。

 

これだけです。

すごくシンプルだと思いませんか?

 

 

 

 

 

知識を学ぶには

誰かに教えてもらわないといけません。

先人が書いた本から学ぶかもしれません。

尊敬する先輩から学ぶかもしれません。

その学ぶということは

ある意味「他人軸」だと僕は思うのです。

 

学ぶ人からの影響に流されている

ということになるからです。

 

 

今の自分では決断できるだけの

知識も経験もないため

先人や先輩に頼って決断する

ということはとても良いことですよね。

 

しかし

これはある意味「他人軸」になるわけです。

なぜなら自分の決断することを

他人の意見によって決断するわけですから。

 

 

 

 

だから僕は

「自分軸」も

「他人軸」も

必要ないと思うのです。

 

 

 

 

『ブレない自分を作りたい』

という風に僕は思っていましたが

そこは別にどうでもいいことで

『むしろブレていていいのではないか?』

と思うようになりました。

 

 

 

 

何かを学べばブレることもあります。

ブレるというのは

成長しているという証でもあると思うのです。

 

 

前と言っていることが変わることは

そんなに恥じることでも

恐れることでもなくて

学べば当然起こることだし

むしろ

ブレるくらいの遊びがないと

間違った道に行ってしまった時に

戻れなくなりますよ。

 

 

 

 

 

ブレること=悪いこと

のように扱われることが多いですけど

ブレることも

時には必要なのかなと思います。

 

 

 

 

鳥居剛志(ゴウ)

 

 

 

 

自分がブレていることは

なかなか自分ではわからないですよね。

『もしかしたら自分はブレてる』

と思ったら一度ご連絡を!!

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