実は前にも書いてるんだけど、改めて。

幸せの瞬間を感じられる人は、実は希少だ。

美味しいモノを食べた時、感じるのは、美味い、だ。

良い事があっても感じるのは、嬉しい、だ。

そういう時間だけを幸せ、と呼ぶのは

やや幼い考えと思う。


幸せ、とはそういうプラス方向の事象では、

実は実感し辛い。

だからそういう場面で、

あ〜幸せだ〜と即座に思える人は、

とても良い習慣をお持ちなのだとは思う。


僕も含め大概人は幸せをその瞬間には

本当の意味では実感出来ない。

何故なら、

幸せは常に過去や周囲との比較によるモノだから。

人は比べる事でしか幸せを実感出来ない。

何かと比べてみないと、

今の自分がどれだけ幸せか、

本当には分からない。

例えば、自分の死を、自分に近しい人の死を間近に感じた時、それまで何とも思ってなかった事までも、

自分がどれだけ、幸せ、を見逃してきた事に気付く。

例えば、歩けなくなって漸く、歩けるという事が。

見渡せば周りを視る事が出来る。

耳を澄ませば喧騒が聞こえる。

呼吸が苦しく無い。

当たり前に出来てしまう事は、

残念ながらどうにも当たり前にしか感じられない。

でも、どれも失って初めて、どれ程幸せだったのか、

後になって理解出来るのだ。

ロード(虎舞竜)だね(笑)。


そう考えれば、この世界に少しも幸せでない人は、

真の意味では一人も存在しない。


気付けるか気付けないか、でしか無い。


未だ自死を選ぶ方は多く、

そこまで行かなくても不幸を呪う人も少なくない。


この宇宙では、

今の所我々しか生命体は確認出来ない。

そこからみれば、辺境にある地球という星にしか生息してない、既に超絶絶滅希少種。

こりゃ生きてるだけで価値がある。

ニホンオオカミも真っ青だ。


まあ、そう言っても、そんな実感が無いから

分かっちゃくれないんだよね。

取り敢えず実感は無くても、そういう事実や、

その判断が周りを悲しませないか、は、

熟慮してくれ、と思う。


ゴメン話ズレた。