戦争は女の顔をしていない | 八丁堀のオッサン「同時代をポップに『切り裂く』」ブログ

戦争は女の顔をしていない

 1945年の〝敗戦〟から75年が経ち、〝平和ボケ〟の日本では曲がりなりにも平和が続いています。

 この間も、世界では戦火が絶えていません。しかし、日本が参戦した第2次世界大戦の記憶は遠く薄れ、多くの国民が戦争の惨禍を〝実感〟しづらくなっています。

 毎年、夏になると戦争に思いをめぐらせる機会が増えます。今夏も、ミサイル防衛に絡んで「敵基地攻撃能力」の是非が語られるようになっています。 

 世界では今、大気圏外から飛んでくるミサイルやそれを撃ち落とす迎撃ミサイル、遠隔操作で地球の裏側からでも敵の拠点や部隊を攻撃できる無人機などゲームと見まがうような軍事技術のハイテク化が進んでいます。

 そうした技術は、戦争で「人が死ぬ」という現実とどこか〝遊離〟しているようにも見えてしまいます。

 ノーベル文学賞を受賞した作家スベトラーナ・アレクシエービッチは、著書「戦争は女の顔をしていない」で〝戦争の実相〟を女性兵士たちの証言を通して生々しく描いています。

 第2次世界大戦で最も苛烈だったとされる「独ソ戦」(1941~45年)では、ナチス・ドイツと戦った旧ソ連は2700万人もの犠牲者を出しています。

 ちなみに日本の戦没者は、厚生労働省によると日中戦争から太平洋戦争まで(1937~45年)で310万人でした。

 この桁違いの戦役で、ソ連軍には100万人を超す女性が従軍しています。彼女たちは狙撃兵や通信兵、戦車兵、爆撃手などとして前線に立っていたのです。

 アレクシエービッチさんは戦場から生還し、戦後、口をつぐんできた彼女たちを20年以上かけて訪ね歩き、500人以上の証言を一冊の著書にまとめ上げています。

 それが、「戦争は女の顔を咲いていない」です。

 そこには白兵戦で人間の骨がボキボキと折れる音の記憶、初めて敵兵を撃ち殺して号泣した狙撃兵がやがて何も感じなくなる憎悪と麻痺、弾よけに敵部隊の前面を歩かされる家族を見たパルチザンの悲嘆さなどが生々しく描かれています。

 一人一人が語る戦場の〝個人史〟が積み重なり、勝利の栄光や英雄譚とは無縁の過酷で容赦ない戦争の現実をあぶり出しています。