織田信長は〝改革派〟だった | 八丁堀のオッサン「同時代をポップに『切り裂く』」ブログ

織田信長は〝改革派〟だった

 美濃国を発展させたのは、今から450年前に稲葉山城(後の岐阜城)に入場した〝改革派〟の織田信長です。信長は、この地を岐阜と命名しました。そして城下町では、商人が自由に商売できる「楽市楽座」を開いています。今で言うなら「規制緩和」と「大幅減税」を同時に実行に移したようなもので、城下町は活気にあふれていました。

 現在の株式市場でも大手証券会社の寡占状態を壊し、源泉徴収税1%を復活させるぐらいの「規制緩和」と「税制改革」を同時に実行に移すと個人投資家を含めた株式市場に大いに活気が湧いてくるはずです。

 長良川の鵜飼いは有名ですが、美濃国では7世紀ごろから行われています。これをショーアップして「見せる」ことで、おもてなしの手法として取り入れたのも〝改革派〟の織田信長でした。このように歴史の原点を知り、あらゆる側面から歴史を知ることは大事なことです。