女ノマド、一人砂漠に生きる/常見藤代 | 読んだり観たり聴いたりしたもの

女ノマド、一人砂漠に生きる/常見藤代

内容はタイトル通り。ラクダをつれてエジプトの砂漠で暮らす高齢のイスラム女性サイーダの密着ドキュメンタリ。
興味を惹くポイントとしては、砂漠・イスラム・女性で一人、の3カテゴリぐらいに分かれるだろう。しかし、そこへジャーナリストとしての自立、そして自らの人生を悩む著者の自語りが結構被ってくる。最初はうげっと思ったが、終盤は、まあそれも味かな、と思えた。しかし、人によっては結構気になる場合もあるだろう。もっと淡々として対象に肉薄した客観ドキュメンタリを読みたいという思いはぬぐえないが、悩む女性ジャーナリストの目を通す事で逆に見えてくるものがあったのも事実。

イスラムに根ざした遊牧民の誇り高き暮らしは、例に漏れず、近代化にによって失われつつある。信念を持って砂漠で暮らしているように見えるサイーダ自身、著者との接触により、どんどん変貌を遂げる。それが逆によかった。信念を貫く事は素晴らしいかも知れないが、人はとかく、勝手に見いだした信念を他人に押しつけがちだ。素晴らしい事なのであなたにはこうあって欲しいと思うのは勝手だが、思われた方は溜まったものでは無い。
いずれサイーダのような遊牧民の暮らしは消えるだろう。昔読んだキリンヤガを思い出した。

あと、もう一つのポイント、イスラムについても興味深かった。特にハラームの扱いや、一夫多妻などイスラム女性を取り巻く諸問題を、当人たちはどう感じてどう処理しているのか。そしてそれは、「客観的には」どう映っているのか。まあ、上に書いたように透徹な客観視点ではなく、そこにかなり著者のフィルタが載っているのは残念だが、それでも多数の興味深い記述を見た。

砂漠で一人暮らしと言っても、実際は、子供や親族友人などと定期的に交流しサポートを受けている。とくに砂漠にいる個人間の情報伝達速度には著者も舌を巻いていた。日本では孤独死を筆頭に孤独な老人というとマイナスイメージ先行だが、誰にも干渉されない干渉しない自由の素晴らしさについては一定の評価をキチンとすべきだと常々思う。特養で幼児扱いされながら死ぬのが望みの人がいても良いが、全員がそうだろうと決めつけてはいけない。

自分で殺した動物しか食べたくない、というサイーダの言葉にハッとした。どんな都会に住んでる現代文明の申し子であったとしても、この感覚は忘れず持っているべきだと肝に銘じた。


常見藤代
女ノマド、一人砂漠に生きる