怪物はささやく/P・ネス/S・ダウド/J・ケイ/池田真紀子
時間が無いのでメモだけ。
書評に上がっていたので読んでみた。大変素晴らしかった。
ある夜、母親と二人で暮らす13歳の少年、コナーの家に怪物が姿を現した。怪物はイチイの大木の形をしていた。怪物は言う「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はお前が四つ目の物語をわたしに話すのだ。おまえはかならず話す…そのためにこのわたしを呼んだのだから」
と言うような出だし。
一見ホラー系ファンタジーに思うし、序盤はそんな雰囲気もあるが、実はそうではない。
この話は、少年の喪失の物語である。自分の肉体の一部であるかのような肉親を失うという悲劇、特に、現在進行している喪失を直視する事の恐怖。否認がもたらす現実のゆがみ。そんなゆがみから、怪物は生まれた。少年に物語るために。少年に物語らせるために。そして、少年を救うために。
現実はハッピーエンドとは限らない。現実は強大で、人は余りに無力だ。ならば、その気持ちはどこへ向かえば良い?
複雑な背景にもかかわらず、すっきりとした構成で、すっと馴染む文体は、さすがの実力者か、イギリス児童文学の伝統か。淡々と進んでいくにもかかわらず、ぐっと引き込まれる。
1点だけ。ハリーという少年の存在が、難しいかな。
彼は優等生で、手下を連れてコナーをいじめる。特に、彼の母の問題がささやかれるようになってから。皆が腫れ物に触るようにコナーを扱う中、重病の母を持つ少年を、わざわざその話題でいじめるのだ。彼をどう評価するかで、この物語の軸が若干シフトするだろう。単なる度し難い現実の障壁にすぎないのか、それとも…。すくなくとも、周囲でコナーが抱える「悩み」に気付いていたのは、怪物とハリーだけである事はたしかである。
とくに、挿絵が素晴らしい。水彩のような版画のような独特の画法で、大胆に、かつ精緻に描かれる怪物の姿は、本文と渾然一体と化している。
P・ネス/S・ダウド/J・ケイ/池田真紀子
怪物はささやく
書評に上がっていたので読んでみた。大変素晴らしかった。
ある夜、母親と二人で暮らす13歳の少年、コナーの家に怪物が姿を現した。怪物はイチイの大木の形をしていた。怪物は言う「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はお前が四つ目の物語をわたしに話すのだ。おまえはかならず話す…そのためにこのわたしを呼んだのだから」
と言うような出だし。
一見ホラー系ファンタジーに思うし、序盤はそんな雰囲気もあるが、実はそうではない。
この話は、少年の喪失の物語である。自分の肉体の一部であるかのような肉親を失うという悲劇、特に、現在進行している喪失を直視する事の恐怖。否認がもたらす現実のゆがみ。そんなゆがみから、怪物は生まれた。少年に物語るために。少年に物語らせるために。そして、少年を救うために。
現実はハッピーエンドとは限らない。現実は強大で、人は余りに無力だ。ならば、その気持ちはどこへ向かえば良い?
複雑な背景にもかかわらず、すっきりとした構成で、すっと馴染む文体は、さすがの実力者か、イギリス児童文学の伝統か。淡々と進んでいくにもかかわらず、ぐっと引き込まれる。
1点だけ。ハリーという少年の存在が、難しいかな。
彼は優等生で、手下を連れてコナーをいじめる。特に、彼の母の問題がささやかれるようになってから。皆が腫れ物に触るようにコナーを扱う中、重病の母を持つ少年を、わざわざその話題でいじめるのだ。彼をどう評価するかで、この物語の軸が若干シフトするだろう。単なる度し難い現実の障壁にすぎないのか、それとも…。すくなくとも、周囲でコナーが抱える「悩み」に気付いていたのは、怪物とハリーだけである事はたしかである。
とくに、挿絵が素晴らしい。水彩のような版画のような独特の画法で、大胆に、かつ精緻に描かれる怪物の姿は、本文と渾然一体と化している。