新世紀エヴァンゲリオン/ガイナックス
言わずと知れた日本アニメのエポックである。先日ようやくTVシリーズ26話とリテイク最終2話を見終わった。00年代初頭にLDボックスを入手して以来、コツコツと視聴して長い時間が掛かってしまった。今心中に去来するのは積年の重荷を下ろしたような、見終わった~という安堵感である。
なぜこんなに時間が掛かったのか。それは、やはり、好きになれなかったから。観たいと思わなかったから。そう思わせる魅力が無かったから。なのに、なぜ苦労して観たのか?それは、やはり、他の作品はもちろんアニメという枠を超えて広範な範囲に多大な影響を与えた作品であると思われるからである。
膨大な評論や研究が存在するであろうこの作品については、何を語ろうとも既に語り尽くされた後であろうし、ここではメモだけにとどめておきたい。
観終わって、まず口をついたのが、「何だこれ」という所。
よくもまあ、こんな陰気で救いの無い物語が受けたものだ、という驚きだった。
人類の危機だというのにグズグズするシンジをひっぱたいてエヴァのコックピットに蹴り込みたい衝動に駆られた人は多かったのでは。あまりロボットアニメには詳しくないのでトレンドは分からないが、アムロの根暗な自己愛ぶりはまだギリギリ許せても、シンジというキャラには、一片の共感も感じられなかったし感じたいとも思えなかった。ロボットアニメとしての構造上、彼の存在自体が害悪だろう。
もちろん、シンジやアスカを始め、その他主要な人物が多数抱える承認欲求などは、多くの物語に見られる普遍的な精神活動であり特に思春期には拡大するものだろう。だが、それをここまで病的に展開陳述することの意味とは何だろう。
思うに、監督の庵野は、これを批判の物語として描きたかったのでは無いか。
見てご覧、この病的な承認欲求と肥大した自己愛、その裏返しの自己否定、その帰結としての他者への無関心・無関与を!酷いよね、苦笑するしか無いよね、反面教師にしたいよね、という形で、社会に増加していると思われるシンジ様のニュータイプの台頭へのメッセージだったのでは無いか。むろんそれは自分自身を含めた、オタク文化を担う人々の多くをメインターゲットとした、精神的閉塞感への警鐘だったろう。
テレビシリーズ終盤の、あの異様な演出や構成は、このように、オタクの期待を裏切ろう裏切ろうとしているように思えてならない。
が、監督の読みが甘かった、と言う事か、オタクを叩いたつもりのアニメがオタクに大ウケしてしまった。病的な精神を批判したつもりが、病的な精神を普遍として描き肯定する免罪符として受け取られてしまったのだ。さすがはオタクの面の皮の厚さ、そして異様なほど巧みなコンテンツ消化技術、というべきだろう。社会学的にも、エヴァに強く共感できるような自己愛的傾向の強い人々が、思春期の一過性の状態という枠を超え、青年から中年までの常態として裾野を広げている、という背景があるものと思われる。
メモだけと言いながら、ついつい駄文を連ねてしまった。
あさりよしとお監修!みたいな、SF的ディティールのアニメ描写の数々は素直に楽しめたと思う。
ハッタリ爆発の設定や展開も素晴らしい。
が、そこで描かれるテーマが、対象があまりに幼くて、見ていて辛いだけ。
十分に成熟した大人であれば、この作品を見ても特に得られるものはないし、もし、監督の思惑が、本当に上で書いたようなものだったとしたら、監督もきっと見て欲しいとは思わないだろう。
それが社会的大ヒット。その無念さは推して余りあるだろう。
あまりの悔しさに、最終話を作り直して劇場公開し、トドメを刺そうとしたその執念には恐れ入る。しかし、その刃先が、オタクの分厚い皮下脂肪を貫通できたかどうかは怪しいところではあるが…。
なぜこんなに時間が掛かったのか。それは、やはり、好きになれなかったから。観たいと思わなかったから。そう思わせる魅力が無かったから。なのに、なぜ苦労して観たのか?それは、やはり、他の作品はもちろんアニメという枠を超えて広範な範囲に多大な影響を与えた作品であると思われるからである。
膨大な評論や研究が存在するであろうこの作品については、何を語ろうとも既に語り尽くされた後であろうし、ここではメモだけにとどめておきたい。
観終わって、まず口をついたのが、「何だこれ」という所。
よくもまあ、こんな陰気で救いの無い物語が受けたものだ、という驚きだった。
人類の危機だというのにグズグズするシンジをひっぱたいてエヴァのコックピットに蹴り込みたい衝動に駆られた人は多かったのでは。あまりロボットアニメには詳しくないのでトレンドは分からないが、アムロの根暗な自己愛ぶりはまだギリギリ許せても、シンジというキャラには、一片の共感も感じられなかったし感じたいとも思えなかった。ロボットアニメとしての構造上、彼の存在自体が害悪だろう。
もちろん、シンジやアスカを始め、その他主要な人物が多数抱える承認欲求などは、多くの物語に見られる普遍的な精神活動であり特に思春期には拡大するものだろう。だが、それをここまで病的に展開陳述することの意味とは何だろう。
思うに、監督の庵野は、これを批判の物語として描きたかったのでは無いか。
見てご覧、この病的な承認欲求と肥大した自己愛、その裏返しの自己否定、その帰結としての他者への無関心・無関与を!酷いよね、苦笑するしか無いよね、反面教師にしたいよね、という形で、社会に増加していると思われるシンジ様のニュータイプの台頭へのメッセージだったのでは無いか。むろんそれは自分自身を含めた、オタク文化を担う人々の多くをメインターゲットとした、精神的閉塞感への警鐘だったろう。
テレビシリーズ終盤の、あの異様な演出や構成は、このように、オタクの期待を裏切ろう裏切ろうとしているように思えてならない。
が、監督の読みが甘かった、と言う事か、オタクを叩いたつもりのアニメがオタクに大ウケしてしまった。病的な精神を批判したつもりが、病的な精神を普遍として描き肯定する免罪符として受け取られてしまったのだ。さすがはオタクの面の皮の厚さ、そして異様なほど巧みなコンテンツ消化技術、というべきだろう。社会学的にも、エヴァに強く共感できるような自己愛的傾向の強い人々が、思春期の一過性の状態という枠を超え、青年から中年までの常態として裾野を広げている、という背景があるものと思われる。
メモだけと言いながら、ついつい駄文を連ねてしまった。
あさりよしとお監修!みたいな、SF的ディティールのアニメ描写の数々は素直に楽しめたと思う。
ハッタリ爆発の設定や展開も素晴らしい。
が、そこで描かれるテーマが、対象があまりに幼くて、見ていて辛いだけ。
十分に成熟した大人であれば、この作品を見ても特に得られるものはないし、もし、監督の思惑が、本当に上で書いたようなものだったとしたら、監督もきっと見て欲しいとは思わないだろう。
それが社会的大ヒット。その無念さは推して余りあるだろう。
あまりの悔しさに、最終話を作り直して劇場公開し、トドメを刺そうとしたその執念には恐れ入る。しかし、その刃先が、オタクの分厚い皮下脂肪を貫通できたかどうかは怪しいところではあるが…。