これはペンです/円城塔
書評で興味を引かれたので最近読んだ。この著者は初めて読む。
短編2本収録。この2話は関連している。
奇想天外な小説である。
前半は、自動論文生成プログラムを作成した才人の叔父と文通する姪の話。
後半は、完全なる記憶力を持った奇人の父を追憶する息子の話。
生きること、存在すること、記憶すること、語られること、そして語る言語そのもの。
これらの同値性がたすき掛けのようにめぐり、互いに入れ替わり、その意味を問い続ける。
私が私であるのは、私が私である記憶があるからだろうか。
私は記憶だろうか。記憶が私なのだろうか。
私は私であることを、あなたに語る。
私は言葉だろうか。言葉が私なのだろうか。
私とは記憶であり言葉であり言葉を紡ぐ行為そのものであるのだ。
「これはペンです」という言葉だけを書くことが出来るペンは、「私は何者か」と問い続けるだけの自意識へと繋がってゆくのだろう。
文体もスッキリとして読みやすいし、ほのかな衒学趣味がマイルドで心地よい。何の前置きも説明もなく、ソーカルとかハリ・セルダンとかオブジェクト指向のメソッド命名とか出てきて、そのままスッと放られるような文章展開の連続にゾクゾクする向きにはお奨めだ。実際の処、私もこうした引用の元ネタは6割ぐらいしか分からないが、それでも十分楽しめる。
こうしたコンテキストのなかで、叔父、という単語でふと思い出したのが、ホフスタッターの「ゲーデル、エッシャー、バッハ」での一節だ。もしかして、あちらは伯父だったかな?
是非別の作品も読んでみたい。
短編2本収録。この2話は関連している。
奇想天外な小説である。
前半は、自動論文生成プログラムを作成した才人の叔父と文通する姪の話。
後半は、完全なる記憶力を持った奇人の父を追憶する息子の話。
生きること、存在すること、記憶すること、語られること、そして語る言語そのもの。
これらの同値性がたすき掛けのようにめぐり、互いに入れ替わり、その意味を問い続ける。
私が私であるのは、私が私である記憶があるからだろうか。
私は記憶だろうか。記憶が私なのだろうか。
私は私であることを、あなたに語る。
私は言葉だろうか。言葉が私なのだろうか。
私とは記憶であり言葉であり言葉を紡ぐ行為そのものであるのだ。
「これはペンです」という言葉だけを書くことが出来るペンは、「私は何者か」と問い続けるだけの自意識へと繋がってゆくのだろう。
文体もスッキリとして読みやすいし、ほのかな衒学趣味がマイルドで心地よい。何の前置きも説明もなく、ソーカルとかハリ・セルダンとかオブジェクト指向のメソッド命名とか出てきて、そのままスッと放られるような文章展開の連続にゾクゾクする向きにはお奨めだ。実際の処、私もこうした引用の元ネタは6割ぐらいしか分からないが、それでも十分楽しめる。
こうしたコンテキストのなかで、叔父、という単語でふと思い出したのが、ホフスタッターの「ゲーデル、エッシャー、バッハ」での一節だ。もしかして、あちらは伯父だったかな?
是非別の作品も読んでみたい。