Wii/Wiiの間/任天堂 | 読んだり観たり聴いたりしたもの

Wii/Wiiの間/任天堂

4/30をもって、Wiiの間が2年間のサービスを終えた。
帰省から戻って、5月になってから、そういえば、と試しに起動してみたらネットワークエラーとなって寂しさひとしおである。

コンテンツの更新がほぼ止まり、ショップとビデオ屋に変わってしまってからはほとんど稼働する事はなかったが、当初、Wiiの間は、毎日追加される新しい映像をチェックする楽しいチャンネルだった。

なんと言ってもよかったのは、料理レシピ番組である「Wiiの間クッキング」。一時は、これを見ながらご飯を食べるのが我が家の定番であった。
続いて多く作成されたのが「トンデモサイエンス」。これは、3DSでも配信テストが行われていたようであるので、ニンテンドービデオで生き残る可能性がある。時々外れもあったが、色々と楽しい実験映像を見せてくれた。
「修理魅せます」も毎回楽しみであった。これもできればニンテンドービデオへ移行して欲しいところ。
レコチョクのランキングは、最新ヒットの勉強にとても役立ったと思う。
他にも、「5つのたからもの」「これナンボの旅」「世界のライブアート」「にゅーすのきほん」「ねこえいご」などなど、色々と番組があった。個人的には「あさちゃん」の続きがどうなったか知りたいものだ。
企業のPR番組にも良作はあった。Wii専用に作った訳ではないが、ホンダのインサイト系番組は一時Wiiの間を席巻したと思うし、大和ハウスの「たてのもの探検隊」はかなり好きだった。ロームやニコンなどの科学・技術系番組もよかった。

Wiiの間は、何が失敗の原因なのだろう。
一つには、その最大の特徴である、ダイレクト評価機能が首を絞めた、という側面があるのではないか。
Wiiの間では、映像を視聴すると、その後必ず即時評価を要求される。
Wiiユーザーの誰が、いつ、どの番組を、どのように視聴して、評価(◎○△×)したか、番組1本ごとに入力させるのだ。
これにより、映像作品制作者には、視聴率等という曖昧な評価でなく直に良い悪いの評価が届き、提供したスポンサーはアクティブな視聴者への情報提供が可能となり、視聴者はフィードバックによる番組内容の向上を期待できる、という三方良い事ずくめの目論見だった。
しかし、多分、「悪い」ダイレクト評価は、その破壊力が強すぎて何もかも壊してしまったろう。
例えば、老年夫婦にキスをさせるという「還暦のキス」という番組は、多分、全国のリビングを気まずい雰囲気に追い込み、今ひとつの評価を多数受けたと思われ、ついに第1回を放送したきり打ち切りとなった。
これは極端な例だが、どんな番組でも回によってデキにムラはある訳で、いくらよい評価が続いていても、イマイチな回でどっと悪評が増えると、それはインパクトを持つという事だ。
ダイレクトすぎる評価は、センシティブなクリエーターには、百害あって一利なしだと思う。スポンサーの効果判断も同様だ。ある程度の長い目で、平均的に判断する事も必要なのではないだろうか。
フィードバックが上手くゆく例もあるとは思うが、ただ単に×を多数もらっただけでは、意気消沈以外何をしてよいか分からないというのがクリエーターの本音だろう。評価を気にするあまり、持ち味を殺してしまう事もあっただろう。
つまり、ダイレクト評価機能を持つ番組提供システムは、砂上の楼閣であった訳だ。これは直接民主主義が政治システムとして有用に機能し得ないという事とアナロジーであるようで興味深い。

最後なので愚痴だけ書いておくが、強制評価は視聴への心理的プレッシャーともなる事を重々知るべきだ。評価入力面倒だから見るの止めよう、となりうる。それでも入力させるというのならその扱いにはもっと心を砕くべきだ。
例えば、一度見たはずの映像が、再プッシュなどシステム上の登録情報が変わった等の理由で、新作扱いとして表示される事がよくあった。しかし、見始めて、あ、これ見たわとキャンセルしようとしても、新たに評価を要求される。この時の「前の評価は?以前評価入力したろう!」という憤慨感は自分でも驚くほど強かった。以前の自分の評価が蔑ろにされたという感覚は、かなりのネガティブ感情を生み出すという印象が強い。

番組提供が滞ると、視聴者が減る。視聴者が伸びなければ、スポンサーも付かない、という事で、Wiiの間は寂れていった。1年ほど前には、目玉であるWiiの間クッキングの更新も止まり、熱心なユーザーであったと思う我が家でも、定期的なチェックはしなくなり、1,2週に一回のみんなのニンテンドーチャンネルでのWiiの間更新情報をもとに、細々と続く番組を見るだけになった。

Wiiの「間」の変更も改悪だったのではないか。
そもそもWiiの間は、その名の通り、リビング風の「間」を模した空間で、Miiがテレビを中心とした生活を営む、というコンセプトを体現していた点が画期的だった。
家族のそれぞれのMii達が、もう一つのリビングで、くつろいだり、食事したり、掃除したり、部屋を出たり入ったり、遊んだり、話したり、丸いちゃぶ台を囲んだ家族団らんの図は、それ自体がとても心和む強力なコンテンツと言えるものであったと思う。確かにシステム上はまったく有効ではないこの仕様がカットされた点は理解できない事もない。映像の視聴とコンテンツレンタルとショッピングに迅速に誘導するには、そんなものは必要ないからだ。
しかし、生活感のすっかり消えたWiiの間は、全くよそよそしいものに感じた。
特に我が家のように、Wiiの間が始まってからのこの2年の間に家族を亡くした家庭ではなおさらだろう。当初のWiiの間で、テレビの中のリビングに、亡きみけぼんを含めた家族四人が、在りし日のようにほのぼの団らんしているイメージは、思い出すだけで神々しくて涙がにじむほどである。サービス終了後も、そうした環境ソフト的に使用可能だったらな、と願わずにはいられない。

そして、ホーム機能からの乖離も弱点だったと思う。
本気で使わせようと思うなら、Wiiを起動したらまずWiiの間が立ち上がる、ぐらいにすべきだ。わざわざチャンネルの一つであるWiiの間をいちいち起動して毎日更新があるかどうかチェックしようなどという奇特な暇人はすくないだろう。
3DSでは、eShopがWiiの間的な性格を持つが、これも同じ轍を踏みつつあり心配だ。eShopの更新・新着情報が、eShopを開かないと分からない、という構造になっているからだ。これは絶対に本体のお知らせメニューにねじ込むべきだろう。もしくは、現在、青丸でいつの間に通信、緑丸ですれ違い通信の情報更新をインジケートしているアイコンのマークに、情報更新ありを意味する赤丸を追加すべきだ。

さて、WiiUでは、Wiiの間的なサービスはどうなるのだろうか。Wiiの間で得られたデータと経験を生かし、本体機能の一部として実装される可能性も高いと思う。ネックだった決済系もNFCによって壁が崩れ、より便利なサービスとなる可能性がある。そういえば、DL版の店頭販売も、WiiUではNFCを利用した「付加価値付カード類」の発売にて行う可能性もある。特にマニア系では色々な展開が考えられそうだ。
E3ではそうした細かい点は発表されないかも知れないが、いろいろと期待したいと思う。

色々と書いたが、この2年間、特に前半1年間は、かなり楽しませてもらったチャンネルだった。