マンガ嫌韓流/山野車輪
職場で拾った本。タイトルからして、いかにも、という感じだが、興味本位で読んでみた。
この手の本は、読むと、かなりエネルギーを削がれた感じがして気分が良くない。
人を怒ったり、憎んだり、攻撃したりする事は、すごく精神的に疲れるものだ。
悪意というものは増幅する。皆実感があるのではないかと思うが、誰かに対して1の悪意を出すと、自分の中にも新たに悪意が1だけ生まれる。結局、倍しんどいのだ。
この本は表面的には、相手の間違った主張を客観的に論証するという体裁だが、本当はそうではない、ということは一読すれば明らかで、誰しも分かっていて読 んでいる筈である。それなのにこの本が売れているとすれば、金を払ってまで怒りたい人がいるということで、なんともご苦労さんな事である。
90年頃から増えてきたと思うが、マンガを使った○○論、という体裁の論文もどき、これは頂けない。
こうした本は誰でも読むとすぐに、狡いな、と思うだろう。
マンガは、基本的に三人称視点の視覚表現である。
誰かが何かを主張するとき、通常、それは主観のはずである。
だが、マンガの中で、ある人物が何かを主張する場面を描くと、それは客観にすり替わってしまう。
主張する人物と、ステージと、そしてその主張を受け止める人々、とくに同意者のみならず、反論者をわざわざ登場させて、そして屈服させる場面を描く。
それはもはや主張ではなく、神の視点による世界の創造と等しい。つまり、創作である。
フィクションをあたかもノンフィクションのように装うことは、狡い。
こうした本を読むときは眉に何回唾をつけても付けすぎという事はないだろう。
内容についてはあまり触れたくないが、一言だけ書いておくと、唯一の正しい歴史などというものは存在しないということである。
人間が知りうるのは、散らばった事実だけで、真実などというものが存在すると思うのは幻想である。
世界に散らばった事実の欠片は影を落とす。光の当て方、眺める向きや角度によって、影は離合集散し、どんな形をも描くのである。
私にとって大切なのは、明日、私が健やかに過ごすことである。そして私の愛する家族と、明後日も明々後日も。そのためには、私が属する地域や社会が健やかであり、ひいてはこの地球という閉鎖系が健やかである方が、私の希望にとって望ましい結果が得られやすいという事が導かれる。しかし、けっして逆ではない。
私はありとあらゆる意味において、ナショナリズムは下らないものだと考えている。
国や地域を主語として語る言葉は、まず疑ってかかるべきである。
ナショナリズムの臭気で窒息しそうになる、こうした本で語られる言葉は、私の願う明日には繋がらないだろう。ただのゲームプレイをしているようにしか見えないのだ。双方が憎悪という炎に魅せられ共に灼かれていく蛾のゲームである。
山野車輪
マンガ嫌韓流
この手の本は、読むと、かなりエネルギーを削がれた感じがして気分が良くない。
人を怒ったり、憎んだり、攻撃したりする事は、すごく精神的に疲れるものだ。
悪意というものは増幅する。皆実感があるのではないかと思うが、誰かに対して1の悪意を出すと、自分の中にも新たに悪意が1だけ生まれる。結局、倍しんどいのだ。
この本は表面的には、相手の間違った主張を客観的に論証するという体裁だが、本当はそうではない、ということは一読すれば明らかで、誰しも分かっていて読 んでいる筈である。それなのにこの本が売れているとすれば、金を払ってまで怒りたい人がいるということで、なんともご苦労さんな事である。
90年頃から増えてきたと思うが、マンガを使った○○論、という体裁の論文もどき、これは頂けない。
こうした本は誰でも読むとすぐに、狡いな、と思うだろう。
マンガは、基本的に三人称視点の視覚表現である。
誰かが何かを主張するとき、通常、それは主観のはずである。
だが、マンガの中で、ある人物が何かを主張する場面を描くと、それは客観にすり替わってしまう。
主張する人物と、ステージと、そしてその主張を受け止める人々、とくに同意者のみならず、反論者をわざわざ登場させて、そして屈服させる場面を描く。
それはもはや主張ではなく、神の視点による世界の創造と等しい。つまり、創作である。
フィクションをあたかもノンフィクションのように装うことは、狡い。
こうした本を読むときは眉に何回唾をつけても付けすぎという事はないだろう。
内容についてはあまり触れたくないが、一言だけ書いておくと、唯一の正しい歴史などというものは存在しないということである。
人間が知りうるのは、散らばった事実だけで、真実などというものが存在すると思うのは幻想である。
世界に散らばった事実の欠片は影を落とす。光の当て方、眺める向きや角度によって、影は離合集散し、どんな形をも描くのである。
私にとって大切なのは、明日、私が健やかに過ごすことである。そして私の愛する家族と、明後日も明々後日も。そのためには、私が属する地域や社会が健やかであり、ひいてはこの地球という閉鎖系が健やかである方が、私の希望にとって望ましい結果が得られやすいという事が導かれる。しかし、けっして逆ではない。
私はありとあらゆる意味において、ナショナリズムは下らないものだと考えている。
国や地域を主語として語る言葉は、まず疑ってかかるべきである。
ナショナリズムの臭気で窒息しそうになる、こうした本で語られる言葉は、私の願う明日には繋がらないだろう。ただのゲームプレイをしているようにしか見えないのだ。双方が憎悪という炎に魅せられ共に灼かれていく蛾のゲームである。