シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち/ロバート・カーソン
お奨め本で取り上げられていたので読んでみたが、ミステリ風ノンフィクションで結構面白かった。
内容については副題に書いてある通りの本である。
アメリカ東海岸で深海の沈没船を探索し遺留物を収集するレックダイビングという趣味に興じる男達が、1991年、それまで知られていなかった未知の沈没船を発見した。どうも潜水艦らしいと言う事で興奮する彼らだったが、水深70m超という非常に危険で困難なダイビングや各種文献調査を行っても、この潜水艦の正体は謎に包まれたまま分からなかった。ハーケンクロイツの付いた食器を発見した事もあり第2次世界大戦のUボートではないかと調べるのだが、軍籍にあるはずのこの潜水艦の記録が、アメリカ側にもドイツ側にも存在しないという異常な事態に謎は深まるばかり。しかしそんな困難を乗り越え、誰に頼まれた訳でもなく報酬が出る訳でもないのに自身の信念だけを便りに、10年以上の歳月を掛け、主に2人のダイバーが、謎のUボートの歴史を探り当てる、そんな話である。
読後に振り返って考えると、事件の内容的規模的にはそう大した物ではないと思う。
行方不明のUボートを発見し、ダイビングで特定するための証拠を探し、文献や識者に当たって行方不明の原因を推理し、ついに特定したというそれだけの事である。
しかし、それにまつわる様々な事象を丁寧に取材し生き生きと書き起こしているので、ミステリ調の構成も手伝って、手に汗握る読み物となっており、その厚さにもかかわらずかなりすいすいと読み進める事ができる。
この本を読んで特に感銘を受けたのは、レックダイビングというマイナースポーツの、その過酷さである。
それは珊瑚礁に潜るようなリクリエーションダイビングとは、全く異質のものである。
実際、このUボート調査の間に、レックダイバー数名が命を落としているのだ。
もちろんリクリエーションダイビングとてなめてかかれば命に関わるし、海の中には危険が潜んでいるだろう。
しかしレックダイビングの場合には、危険は潜んでなどいない。それはむき出しで常にそこら中にあり、ダイバーがほんの小さなミスを犯すのを今か今かと待ちかまえているのだ。
そして作中に何度も出てくる言葉。ダイバーはミスを犯して死ぬのではない、パニックで死ぬのだ。
アクアラングを使ったダイビングでは、ボンベの空気がある限り、そう危険な目には遭わないような気がしてしまうが、実はそうではないのだと知って目から鱗を落とした。
潜水病・減圧症については多少は知っていた。地上で1気圧に慣れた人間には、水中では10m潜る毎に1気圧ずつ圧力が加わるので、血液や体液に吸った空気がどんどん溶け込んでいく。そのため急に浮上すると溶け込んだ気体が炭酸飲料の泡ように生じ、血管などが詰まり組織が破壊され、場合によっては死に至る事となる。
その為、深海から浮上しようとするダイバーは、所定の深度で所定の時間を過ごし、少しずつ減圧に慣らしながら浮上しなければならない。例えば海面からわずか1~2分で水深70mまで潜行し、そこで十数分を過ごしたダイバーは、1時間半も掛けて浮上しなければならない、と言うように減圧には非常に時間が掛かるものらしい。
つまりは、ダイバーはその間の空気をすべてボンベで持って行かなければならない訳だが、ここに非常に怖い点がある。それは、水深70mの8気圧の海底では、ボイル=シャルルの法則通り、気体の体積は1/8となり、つまり、呼吸による空気の消費量が8倍になるのだ。このような深海でパニックを起こして暴れまくり荒い呼吸でゼイハーやると、目に見えるスピードでボンベの残量メモリが減っていくのである。
そしてもう一つの恐怖は、深海で数分余計に過ごせば、それだけ減圧に掛けるべき時間も比例的に増えていってしまう、という点だ。
何かのミスのためにパニックになり必至で動いて空気を大量消費した上、時間を数分オーバーした事で、減圧に必要な膨大な時間に水中で呼吸するだけの空気が、もうボンベには無い、という事がいとも容易に起こりうるのである。
しかし、水面まではたった70m。普通に泳げば容易に1,2分で移動できる距離なのである。こんなときダイバーはどうしたらよいのだろうか?
レックダイバー達は、その状態では彼はもう死んでいる、と言う。死んでるが、本人がまだそれに気づいていないだけだ、と。減圧を無視して浮上するぐらいなら、俺ならその場で喉を掻き切るね、とも言う。それだけ減圧症とは酷い事になるのだ。
そして、それが分かっていても、パニックになっていれば特に、ダイバーは減圧を無視して浮上してしまう。
Uボートの調査時にも、このようにパニックで減圧を無視して浮上したダイバーが2名死んでいる。
落ち着いて予定通りに行動すれば良いし、何か起こっても冷静に判断すればパニックにはならないのでは、と思うだろう。
しかしこの当時のダイビングでは窒素酔いと言う物がダイバー達を非常に悩ませていた。これは高圧下で血中に溶け込んだ窒素が、まるでアルコール酔いのように、視野狭窄や判断力・思考力の著しい低下を及ぼすなどの作用の事である。70mの深海とはただでさえ危険な世界なのに、そこでは人は非常にパニックに陥りやすい状態となってしまうのだ。
例えば、熟練のダイバーは言う。ナイフは安物を持っていけ、と。これは、深海でうっかり高価なナイフを落としてしまった時に、ボンベの空気の残りや減圧に掛かる時間をすっかり忘れてナイフを探してしまう事故を防ぐためである。落としても諦められるような安物でないと生きて帰ってこれないのだ。熟練のダイバーがこんな事で死ぬような世界なのである。入り組んだ沈没船の中の帰り道を忘れるなどよくある事で、空気切れの恐怖感から、もう一本背負ってるボンベの事をなぜか思い出せなかったり、パニックの結果ボンベを捨ててしまったりすることもある程だ。また、一緒に潜っている友人を殺してボンベを奪い取るような事故も起こっているらしい。そのため、リクリエーションダイビングがバディ制をとり基本二人で潜るのに対し、レックダイビングでは巻き添えを食わないよう基本的に一人で潜る人が多いそうだ。
また光の届かない70mの深海で、入り組んだ沈没船に潜り込むのである。元々暗黒の世界の上に、視野狭窄にもなっており、おまけに、普通に泳いだだけで堆積物が舞い上がりあっと言う間に視界ゼロとなってしまう。帰り道は、来た時の道順の記憶と事前調査で頭にたたき込んだ横倒しになった船体の構造図を思い出し、シミュレーションを繰り返した手順を冷静に実行するのである。道を忘れたり迷ったりしたダイバーの末路は明かであろう。
沈没船は、当然破損している事が多いし、また経年劣化も進んでいる。うっかり触ったり動かしたりして船体が崩れてくる事もある。飛び出している棒や針金などに、装備が引っかかってしまう事もある。鋭利な破片がアクアラングのホースを斬ってしまう事もある。
地上の冷静な頭のままで対処できれば、なんて事のない問題かも知れない。しかし、自分の命を天秤に載せながら、パニックを押さえつつ迅速に対処する事はこの環境では難しいだろう。パニックで数分暴れてしまえば凄い勢いで死が近づいてくる。
ダイビング船から沈没船へは、アンカーに付けたロープをたどって降りてくる。減圧時もロープに掴まりながらでないと、正確な深度を保てないし、そもそも潮に流されてしまう。だから、暗闇で帰り道を間違え、アンカーロープを見つけられなかったダイバーも非常に危険である。仮にきちんと減圧を行えたとしても、1時間半のうちには数キロ以上は流されてしまう。いくらダイビングスーツを着て海面に漂っていたとしても、じわじわ体温を奪われて長い事はもたない。
このように、レックダイビングとは、驚くほど危険なスポーツなのだ。辛い物好きが高じて信じられないほど唐辛子を料理にかける人のように、ある意味危険という麻薬に感覚が麻痺してしまった人達なのではないかと思う。
しかし、自分自身のために、またUボートに眠る多数の乗組員の為に、事実そのもの以外には何の見返りも求めず、長い年月に渡って困難な調査を進めた人達の精神力には脱帽するほか無い。仕事でやっている訳ではないただの一般人なのだ(職業ダイバーもいるが、Uボート調査は仕事ではない)。家族に向けるべき情熱をUボートにかけるあまり様々なトラブルを背負い込む事もあり、離婚や不和など打ちのめされる事もあったが、それでもやり遂げた彼らの偉業はすばらしいし、元乗組員の家族をドイツに訪ねる終章は胸を打つ。
ロバート・カーソン
シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち
内容については副題に書いてある通りの本である。
アメリカ東海岸で深海の沈没船を探索し遺留物を収集するレックダイビングという趣味に興じる男達が、1991年、それまで知られていなかった未知の沈没船を発見した。どうも潜水艦らしいと言う事で興奮する彼らだったが、水深70m超という非常に危険で困難なダイビングや各種文献調査を行っても、この潜水艦の正体は謎に包まれたまま分からなかった。ハーケンクロイツの付いた食器を発見した事もあり第2次世界大戦のUボートではないかと調べるのだが、軍籍にあるはずのこの潜水艦の記録が、アメリカ側にもドイツ側にも存在しないという異常な事態に謎は深まるばかり。しかしそんな困難を乗り越え、誰に頼まれた訳でもなく報酬が出る訳でもないのに自身の信念だけを便りに、10年以上の歳月を掛け、主に2人のダイバーが、謎のUボートの歴史を探り当てる、そんな話である。
読後に振り返って考えると、事件の内容的規模的にはそう大した物ではないと思う。
行方不明のUボートを発見し、ダイビングで特定するための証拠を探し、文献や識者に当たって行方不明の原因を推理し、ついに特定したというそれだけの事である。
しかし、それにまつわる様々な事象を丁寧に取材し生き生きと書き起こしているので、ミステリ調の構成も手伝って、手に汗握る読み物となっており、その厚さにもかかわらずかなりすいすいと読み進める事ができる。
この本を読んで特に感銘を受けたのは、レックダイビングというマイナースポーツの、その過酷さである。
それは珊瑚礁に潜るようなリクリエーションダイビングとは、全く異質のものである。
実際、このUボート調査の間に、レックダイバー数名が命を落としているのだ。
もちろんリクリエーションダイビングとてなめてかかれば命に関わるし、海の中には危険が潜んでいるだろう。
しかしレックダイビングの場合には、危険は潜んでなどいない。それはむき出しで常にそこら中にあり、ダイバーがほんの小さなミスを犯すのを今か今かと待ちかまえているのだ。
そして作中に何度も出てくる言葉。ダイバーはミスを犯して死ぬのではない、パニックで死ぬのだ。
アクアラングを使ったダイビングでは、ボンベの空気がある限り、そう危険な目には遭わないような気がしてしまうが、実はそうではないのだと知って目から鱗を落とした。
潜水病・減圧症については多少は知っていた。地上で1気圧に慣れた人間には、水中では10m潜る毎に1気圧ずつ圧力が加わるので、血液や体液に吸った空気がどんどん溶け込んでいく。そのため急に浮上すると溶け込んだ気体が炭酸飲料の泡ように生じ、血管などが詰まり組織が破壊され、場合によっては死に至る事となる。
その為、深海から浮上しようとするダイバーは、所定の深度で所定の時間を過ごし、少しずつ減圧に慣らしながら浮上しなければならない。例えば海面からわずか1~2分で水深70mまで潜行し、そこで十数分を過ごしたダイバーは、1時間半も掛けて浮上しなければならない、と言うように減圧には非常に時間が掛かるものらしい。
つまりは、ダイバーはその間の空気をすべてボンベで持って行かなければならない訳だが、ここに非常に怖い点がある。それは、水深70mの8気圧の海底では、ボイル=シャルルの法則通り、気体の体積は1/8となり、つまり、呼吸による空気の消費量が8倍になるのだ。このような深海でパニックを起こして暴れまくり荒い呼吸でゼイハーやると、目に見えるスピードでボンベの残量メモリが減っていくのである。
そしてもう一つの恐怖は、深海で数分余計に過ごせば、それだけ減圧に掛けるべき時間も比例的に増えていってしまう、という点だ。
何かのミスのためにパニックになり必至で動いて空気を大量消費した上、時間を数分オーバーした事で、減圧に必要な膨大な時間に水中で呼吸するだけの空気が、もうボンベには無い、という事がいとも容易に起こりうるのである。
しかし、水面まではたった70m。普通に泳げば容易に1,2分で移動できる距離なのである。こんなときダイバーはどうしたらよいのだろうか?
レックダイバー達は、その状態では彼はもう死んでいる、と言う。死んでるが、本人がまだそれに気づいていないだけだ、と。減圧を無視して浮上するぐらいなら、俺ならその場で喉を掻き切るね、とも言う。それだけ減圧症とは酷い事になるのだ。
そして、それが分かっていても、パニックになっていれば特に、ダイバーは減圧を無視して浮上してしまう。
Uボートの調査時にも、このようにパニックで減圧を無視して浮上したダイバーが2名死んでいる。
落ち着いて予定通りに行動すれば良いし、何か起こっても冷静に判断すればパニックにはならないのでは、と思うだろう。
しかしこの当時のダイビングでは窒素酔いと言う物がダイバー達を非常に悩ませていた。これは高圧下で血中に溶け込んだ窒素が、まるでアルコール酔いのように、視野狭窄や判断力・思考力の著しい低下を及ぼすなどの作用の事である。70mの深海とはただでさえ危険な世界なのに、そこでは人は非常にパニックに陥りやすい状態となってしまうのだ。
例えば、熟練のダイバーは言う。ナイフは安物を持っていけ、と。これは、深海でうっかり高価なナイフを落としてしまった時に、ボンベの空気の残りや減圧に掛かる時間をすっかり忘れてナイフを探してしまう事故を防ぐためである。落としても諦められるような安物でないと生きて帰ってこれないのだ。熟練のダイバーがこんな事で死ぬような世界なのである。入り組んだ沈没船の中の帰り道を忘れるなどよくある事で、空気切れの恐怖感から、もう一本背負ってるボンベの事をなぜか思い出せなかったり、パニックの結果ボンベを捨ててしまったりすることもある程だ。また、一緒に潜っている友人を殺してボンベを奪い取るような事故も起こっているらしい。そのため、リクリエーションダイビングがバディ制をとり基本二人で潜るのに対し、レックダイビングでは巻き添えを食わないよう基本的に一人で潜る人が多いそうだ。
また光の届かない70mの深海で、入り組んだ沈没船に潜り込むのである。元々暗黒の世界の上に、視野狭窄にもなっており、おまけに、普通に泳いだだけで堆積物が舞い上がりあっと言う間に視界ゼロとなってしまう。帰り道は、来た時の道順の記憶と事前調査で頭にたたき込んだ横倒しになった船体の構造図を思い出し、シミュレーションを繰り返した手順を冷静に実行するのである。道を忘れたり迷ったりしたダイバーの末路は明かであろう。
沈没船は、当然破損している事が多いし、また経年劣化も進んでいる。うっかり触ったり動かしたりして船体が崩れてくる事もある。飛び出している棒や針金などに、装備が引っかかってしまう事もある。鋭利な破片がアクアラングのホースを斬ってしまう事もある。
地上の冷静な頭のままで対処できれば、なんて事のない問題かも知れない。しかし、自分の命を天秤に載せながら、パニックを押さえつつ迅速に対処する事はこの環境では難しいだろう。パニックで数分暴れてしまえば凄い勢いで死が近づいてくる。
ダイビング船から沈没船へは、アンカーに付けたロープをたどって降りてくる。減圧時もロープに掴まりながらでないと、正確な深度を保てないし、そもそも潮に流されてしまう。だから、暗闇で帰り道を間違え、アンカーロープを見つけられなかったダイバーも非常に危険である。仮にきちんと減圧を行えたとしても、1時間半のうちには数キロ以上は流されてしまう。いくらダイビングスーツを着て海面に漂っていたとしても、じわじわ体温を奪われて長い事はもたない。
このように、レックダイビングとは、驚くほど危険なスポーツなのだ。辛い物好きが高じて信じられないほど唐辛子を料理にかける人のように、ある意味危険という麻薬に感覚が麻痺してしまった人達なのではないかと思う。
しかし、自分自身のために、またUボートに眠る多数の乗組員の為に、事実そのもの以外には何の見返りも求めず、長い年月に渡って困難な調査を進めた人達の精神力には脱帽するほか無い。仕事でやっている訳ではないただの一般人なのだ(職業ダイバーもいるが、Uボート調査は仕事ではない)。家族に向けるべき情熱をUボートにかけるあまり様々なトラブルを背負い込む事もあり、離婚や不和など打ちのめされる事もあったが、それでもやり遂げた彼らの偉業はすばらしいし、元乗組員の家族をドイツに訪ねる終章は胸を打つ。