聖☆おにいさん/中村光
妻が1,2巻をゲットして、何の前知識も期待もなく読んだらしいが、かなりはまった様子。
で、つられて読んでみた。
この作品自体は、新聞などでよく紹介されていたので面白いらしいとは知っていた。全く読んだ事がなかったが、ギャグマンガとしては結構面白いと思う。
宗教ギャグに斬り込んだ点は評価できるし、質も高いと思うが、いかんせんネタが特殊なため完全に人を選ぶ漫画だと思う。雰囲気としては吉田戦車や相原コージをどことなく彷彿とさせる感じがした。特に吉田戦車はネタ的にも雰囲気的にも絵的にもかなり通じるところがあると思う。
肝心の宗教ネタはキリスト系も仏系も、常識レベルで分かるものもあれば、ちょっとよく分からないネタも結構ある。よほどの教養人か宗教マニアでないとコンプリートとは行かないだろうが、分からないギャグをやっているところが面白い、と言う構造も当然あるので、分かる範囲は存分に、分からない範囲は雰囲気で自然に楽しめばそれで良いと思う。
この作品の存在意義とチャレンジを認めた上で、敢えて言うなら、誰しも思うだろうが、イスラムがないのは片手落ちだろうと言う事だ。
もちろん、ムハンマドが彼らおにいさんに加わった場合には、雰囲気も展開も全く、それこそ天と地ほど異なった物になってしまうだろう事も、誰しも想像に難くない訳だが、それでも三大宗教の一翼が丸ごと無視されているのは構造として不安定で落ち着かない印象だし、何か幽霊でも見たような、そこはかとない気味悪さを禁じ得ない。
けれど、本当にイスラムを入れてしまったらそもそも作者の身の安全も問題だし結果的に作品も破綻する可能性が強く、むろん常識的判断だったと思うし商業的にも創作的にも当然の決断だろう。ただ、いくら優等生的な英断だとはいえ、ある種の「逃げ」みたいな感覚を、作者も読者も心の奥底にずっと隠し続けなければいけない、そんな背徳的な共通認識を消す事ができない訳だ。
そして実は、このシンパシーが見えない構造として、おにいさん世界のギャグ構造を支える屋台骨の、軽くはない重量の幾分かを支えているのではないかと思う。こうした空気を読ませるような暗黙の設定の張り方は非常に現代的でありまた日本的であると思う。
そもそもこの漫画においては、宗教的事象という最も空気読みを要求されるはずであるものについてのギャグ自体が、ある意味空気読みの変奏モチーフの集合体で構成されているようだ。おにいさんには、オリジナル要素を破壊するようなタイプのギャグはほとんど無く、オリジナルのコピーの変奏に対する評価、という形のギャグがほとんどであるように思われる。対象が対象だけに、非常に無難で工夫された手法だと思うし、このある種空気読みギャグのオンパレードが、この作品の非常に現代的な雰囲気を醸し出している原因だと思われる。
実際、東京の立川に月26万の生活費でささやかに暮らすブッダとイエスだが、彼らは聖人であるにもかかわらず、なぜか現代の草食系男子にしか見えない。他の人間と濃厚な関係を築く事は避け、かといって傍若無人では無くむしろ過度に空気を読み合い、ネットなどの表層的なつながり感を重視し、自身の欲望に忠実で、かといって妙に現実的で過大な夢は抱かず、安定志向で、苦労や傷心を出来るだけ避けようとする、そんな現代の草食系男子のようなキャラ設定の聖人なのである。
草食系男子が宗教ネタで空気読みギャグ。これが聖☆おにいさんの基本的なベースであって、この3要素に対する好みの有無で、漫画への評価も変わってくるだろう。草食系男子と空気読みギャグは非常に現代的要素であるし、ここにインパクトの強い宗教ネタが加わることで、高い人気を生み出しているものと思われる。
最も目に付き強調される宗教ネタは実はスパイスであって、極端に言えば宗教ネタをカットしても、他の2要素だけで、十分にこの漫画は維持できうるのではないかと考えている。逆に、それだけがっちりとしたベースがあるために、のびのびと宗教ネタを展開する事ができるのだと思う。
中村光
聖☆おにいさん
で、つられて読んでみた。
この作品自体は、新聞などでよく紹介されていたので面白いらしいとは知っていた。全く読んだ事がなかったが、ギャグマンガとしては結構面白いと思う。
宗教ギャグに斬り込んだ点は評価できるし、質も高いと思うが、いかんせんネタが特殊なため完全に人を選ぶ漫画だと思う。雰囲気としては吉田戦車や相原コージをどことなく彷彿とさせる感じがした。特に吉田戦車はネタ的にも雰囲気的にも絵的にもかなり通じるところがあると思う。
肝心の宗教ネタはキリスト系も仏系も、常識レベルで分かるものもあれば、ちょっとよく分からないネタも結構ある。よほどの教養人か宗教マニアでないとコンプリートとは行かないだろうが、分からないギャグをやっているところが面白い、と言う構造も当然あるので、分かる範囲は存分に、分からない範囲は雰囲気で自然に楽しめばそれで良いと思う。
この作品の存在意義とチャレンジを認めた上で、敢えて言うなら、誰しも思うだろうが、イスラムがないのは片手落ちだろうと言う事だ。
もちろん、ムハンマドが彼らおにいさんに加わった場合には、雰囲気も展開も全く、それこそ天と地ほど異なった物になってしまうだろう事も、誰しも想像に難くない訳だが、それでも三大宗教の一翼が丸ごと無視されているのは構造として不安定で落ち着かない印象だし、何か幽霊でも見たような、そこはかとない気味悪さを禁じ得ない。
けれど、本当にイスラムを入れてしまったらそもそも作者の身の安全も問題だし結果的に作品も破綻する可能性が強く、むろん常識的判断だったと思うし商業的にも創作的にも当然の決断だろう。ただ、いくら優等生的な英断だとはいえ、ある種の「逃げ」みたいな感覚を、作者も読者も心の奥底にずっと隠し続けなければいけない、そんな背徳的な共通認識を消す事ができない訳だ。
そして実は、このシンパシーが見えない構造として、おにいさん世界のギャグ構造を支える屋台骨の、軽くはない重量の幾分かを支えているのではないかと思う。こうした空気を読ませるような暗黙の設定の張り方は非常に現代的でありまた日本的であると思う。
そもそもこの漫画においては、宗教的事象という最も空気読みを要求されるはずであるものについてのギャグ自体が、ある意味空気読みの変奏モチーフの集合体で構成されているようだ。おにいさんには、オリジナル要素を破壊するようなタイプのギャグはほとんど無く、オリジナルのコピーの変奏に対する評価、という形のギャグがほとんどであるように思われる。対象が対象だけに、非常に無難で工夫された手法だと思うし、このある種空気読みギャグのオンパレードが、この作品の非常に現代的な雰囲気を醸し出している原因だと思われる。
実際、東京の立川に月26万の生活費でささやかに暮らすブッダとイエスだが、彼らは聖人であるにもかかわらず、なぜか現代の草食系男子にしか見えない。他の人間と濃厚な関係を築く事は避け、かといって傍若無人では無くむしろ過度に空気を読み合い、ネットなどの表層的なつながり感を重視し、自身の欲望に忠実で、かといって妙に現実的で過大な夢は抱かず、安定志向で、苦労や傷心を出来るだけ避けようとする、そんな現代の草食系男子のようなキャラ設定の聖人なのである。
草食系男子が宗教ネタで空気読みギャグ。これが聖☆おにいさんの基本的なベースであって、この3要素に対する好みの有無で、漫画への評価も変わってくるだろう。草食系男子と空気読みギャグは非常に現代的要素であるし、ここにインパクトの強い宗教ネタが加わることで、高い人気を生み出しているものと思われる。
最も目に付き強調される宗教ネタは実はスパイスであって、極端に言えば宗教ネタをカットしても、他の2要素だけで、十分にこの漫画は維持できうるのではないかと考えている。逆に、それだけがっちりとしたベースがあるために、のびのびと宗教ネタを展開する事ができるのだと思う。