最終兵器彼女/江良至 原作高橋しん
原作の漫画は読んだことはない。
以前、これのPS2版ゲームを妻がプレイしていた際に、よくある設定のADVかなと思いつつ、ちらちらシーンを眺めていた。しかしそもそも絵柄が全く好みではないので、全然興味を引かれなかったのだ。
妻はかなり試行錯誤を重ねたようであったが、ついにトゥルーエンドには至らなかった。妻もこの話の原作を読んだことはないので、お話の結末はどうなるのだろうかと、このノベライズを手にした次第である。そして妻が読み終わったので借りて読んだ。
何とも驚きの展開だった。ラブコメ中心でSF設定はスパイスかな、ぐらいに思っていたのが完全に裏切られた。そしてその結末。このノベライズのエンドが、原作通りなのか、アレンジか、それは分からないが、作品としてはかなり良かったのではと思う。
一言で言うと、あまり明るくない青臭い青春恋愛ものだ。この時期特有のじめっとした感情や心理は、多分、多くの人が郷愁を覚えるタイプの、そんな普遍的なお話である。しかし、その設定世界が、酷く陰惨に、しかも無表情に壊れていく。そのうえ、抵抗も出来ずなすすべもないまま、主人公自らが世界を壊していく事に加担してゆくのだ。突如として最終兵器に変貌させられた彼女が戦場で破壊と殺戮の限りを尽くすのを、そして健気に自身の生と青春を守ろうとするのを、ただただ見守るしかない主人公シュウジの心境は混迷の極みに彷徨う。
これはもちろん荒唐無稽なSFであり、しかしそれ故に、現代の若者にとって、逆に圧倒的リアリティがあるのではないかと思う。社会的な無能感、無常観が染み渡り、無関心を持ってその浸食を阻むしか手だてのない彼らにとっては、社会的な制約や障壁が、むしろ、こうした「世界の終わりの戦争」レベルのジレンマと葛藤としてその瞳に映っているのではないだろうか。
シュウジは悩みに悩むが、その悲運の彼女に対して、彼は一切、何もしない。出来ない。彼女を徴集し利用する軍に対して抵抗する事もなく、彼女を連れて逃げる訳でもなく、人を殺しに出かける彼女を止めることもない。こうした何も出来ない、何も変えられないという感覚は、現代の若者がまさに現実社会から受ける感覚そのものではないか。彼は結局、解れていく平和な現実という幻想を繕い続けることしかできず、そしてそれすら初めから分かり切っていた通り最後には失ってしまう。
シュウジはまた、彼女ちせの心の中にまでも、今一歩踏み込めなかった。彼女の気持ちを尊重しているつもりで、結局は彼女の気持ちを何も理解していなかったことに、最後に気付く。
むしろ典型的で古典的すぎるほどの主題と心情の描写である。
原作はどうか知らないが、この作品では、シュウジの視点で語られる。その人称はぼく、である。表面的に飾った強さと、内面の弱さを強調する書き方に、主人公シュウジの苦悩に目が行き勝ちである。彼の目で見て語られる世界と、物語の中の現実の世界にすら、当然隔たりはある。シュウジが見た目と違ってうじうじとした弱気な性格であるのと同様、彼女であるちせは、彼の目で見た姿形のままではなく、彼が思っているような純真な少女ではなく、もっと人間的でどろどろと渦巻くものが心中にあるだろう。彼女の発するごめんなさいはその裏返しであり、彼女の利己心や決して語られることのない、シュウジが気付くことの無かったネガティブな感情を踏まえて物語を俯瞰すると、シュウジの薄っぺらさが際だって面白い。まあ、そもそもこの年頃のこの方面の男性心理などは大抵、ひどく概念的で薄っぺらいものだが。ちせは決して魅力的なキャラクターではないが、こう思うとそれほど悪くもない。
こうした手法で描かれる物語は、ジャストミートした読者には大変な感銘を与える一方、その極度に主観的で極めて一部のみの活動を強調した心情描写と、これまた極端な世界背景とのギャップがむしろ重荷になる感じだ。音響で言う中音の弱いドンシャリといった、屋台骨のない構造が、そのもろい構造の軋み自体を作品のBGMとして利用している感覚である。
例えば、川原泉のキャラクターや世界は、まったくこの裏返しと言える。個人的な好みもあるだろうけど、平素ふとした時に思い出すキャラクターはどちらかとなると、エキセントリックなものではなく、豊かな中音域という事になるのはやむを得ないだろう。
お話として面白いし一読の価値はあると思う。特に原作のキャラが嫌いな人は、ノベライズがおすすめだ。
江良至 原作高橋しん
最終兵器彼女
以前、これのPS2版ゲームを妻がプレイしていた際に、よくある設定のADVかなと思いつつ、ちらちらシーンを眺めていた。しかしそもそも絵柄が全く好みではないので、全然興味を引かれなかったのだ。
妻はかなり試行錯誤を重ねたようであったが、ついにトゥルーエンドには至らなかった。妻もこの話の原作を読んだことはないので、お話の結末はどうなるのだろうかと、このノベライズを手にした次第である。そして妻が読み終わったので借りて読んだ。
何とも驚きの展開だった。ラブコメ中心でSF設定はスパイスかな、ぐらいに思っていたのが完全に裏切られた。そしてその結末。このノベライズのエンドが、原作通りなのか、アレンジか、それは分からないが、作品としてはかなり良かったのではと思う。
一言で言うと、あまり明るくない青臭い青春恋愛ものだ。この時期特有のじめっとした感情や心理は、多分、多くの人が郷愁を覚えるタイプの、そんな普遍的なお話である。しかし、その設定世界が、酷く陰惨に、しかも無表情に壊れていく。そのうえ、抵抗も出来ずなすすべもないまま、主人公自らが世界を壊していく事に加担してゆくのだ。突如として最終兵器に変貌させられた彼女が戦場で破壊と殺戮の限りを尽くすのを、そして健気に自身の生と青春を守ろうとするのを、ただただ見守るしかない主人公シュウジの心境は混迷の極みに彷徨う。
これはもちろん荒唐無稽なSFであり、しかしそれ故に、現代の若者にとって、逆に圧倒的リアリティがあるのではないかと思う。社会的な無能感、無常観が染み渡り、無関心を持ってその浸食を阻むしか手だてのない彼らにとっては、社会的な制約や障壁が、むしろ、こうした「世界の終わりの戦争」レベルのジレンマと葛藤としてその瞳に映っているのではないだろうか。
シュウジは悩みに悩むが、その悲運の彼女に対して、彼は一切、何もしない。出来ない。彼女を徴集し利用する軍に対して抵抗する事もなく、彼女を連れて逃げる訳でもなく、人を殺しに出かける彼女を止めることもない。こうした何も出来ない、何も変えられないという感覚は、現代の若者がまさに現実社会から受ける感覚そのものではないか。彼は結局、解れていく平和な現実という幻想を繕い続けることしかできず、そしてそれすら初めから分かり切っていた通り最後には失ってしまう。
シュウジはまた、彼女ちせの心の中にまでも、今一歩踏み込めなかった。彼女の気持ちを尊重しているつもりで、結局は彼女の気持ちを何も理解していなかったことに、最後に気付く。
むしろ典型的で古典的すぎるほどの主題と心情の描写である。
原作はどうか知らないが、この作品では、シュウジの視点で語られる。その人称はぼく、である。表面的に飾った強さと、内面の弱さを強調する書き方に、主人公シュウジの苦悩に目が行き勝ちである。彼の目で見て語られる世界と、物語の中の現実の世界にすら、当然隔たりはある。シュウジが見た目と違ってうじうじとした弱気な性格であるのと同様、彼女であるちせは、彼の目で見た姿形のままではなく、彼が思っているような純真な少女ではなく、もっと人間的でどろどろと渦巻くものが心中にあるだろう。彼女の発するごめんなさいはその裏返しであり、彼女の利己心や決して語られることのない、シュウジが気付くことの無かったネガティブな感情を踏まえて物語を俯瞰すると、シュウジの薄っぺらさが際だって面白い。まあ、そもそもこの年頃のこの方面の男性心理などは大抵、ひどく概念的で薄っぺらいものだが。ちせは決して魅力的なキャラクターではないが、こう思うとそれほど悪くもない。
こうした手法で描かれる物語は、ジャストミートした読者には大変な感銘を与える一方、その極度に主観的で極めて一部のみの活動を強調した心情描写と、これまた極端な世界背景とのギャップがむしろ重荷になる感じだ。音響で言う中音の弱いドンシャリといった、屋台骨のない構造が、そのもろい構造の軋み自体を作品のBGMとして利用している感覚である。
例えば、川原泉のキャラクターや世界は、まったくこの裏返しと言える。個人的な好みもあるだろうけど、平素ふとした時に思い出すキャラクターはどちらかとなると、エキセントリックなものではなく、豊かな中音域という事になるのはやむを得ないだろう。
お話として面白いし一読の価値はあると思う。特に原作のキャラが嫌いな人は、ノベライズがおすすめだ。