サラダ野菜の植物史/大場秀 | 読んだり観たり聴いたりしたもの

サラダ野菜の植物史/大場秀

サラダ全盛の現在ではあまり意識しないが、サラダは日本では新しい食べ物だ。最近では温野菜なども復権しつつあるが、昔は野菜は火を通して食するのが普通だった。消化吸収をよくするという点に加え、寄生虫からの防衛が重要だったからだ。栽培技術の向上とアクが少ないなど生食に適する品種の改良が現在のサラダ文化を支えている。

この本では、こうしたサラダに使う野菜を、博物学の観点から分類や来歴などについて語った本である。
読み終えて強く心に残るのは、美味しい野菜を求める人間の欲求の強さ。歴史認識に対する先入観の強さ。そして、日本の均質化する貧弱な食品環境だ。

現在日本の大型スーパーには、世界中のありとあらゆる野菜が並んでいる。しかし、元々野菜というのは、固有の地域にのみ繁茂していた原種を現地の人間が発見し改良を行ってきた植物である。そして、交易路に乗って徐々に広まっていったわけだが、こうした事は、案外忘れがちだ。
例えば、インドの歴史映画を撮るとしよう。タージマハルよりやや古い時代、マハラジャたちの覇権闘争を描く傍らで、トウガラシのたっぷり入ったカレーを食べる民が出てきたら、それはおかしい。古代ローマ帝国で、トマトスパゲティを食べていたら、それはおかしい。中世ドイツの修道院で、修道女がジャガイモの皮をむいていたら、それはおかしい。
唐辛子・トマト・ジャガイモは、すべてコロンブスの大航海時代以降にアメリカからもたらされた植物だからである。驚く事にわずか500年前である。朝鮮半島を訪ねた古代の日本人は、キムチは食べられなかったのだ。

日本においても、当然、近代になってから入ってきた野菜はたくさんある。上記の野菜はもちろん、胡瓜などもそうだ。
日本の代表的な家庭料理、母の味、肉じゃが!と言っても、牛肉もジャガイモも、明治以降の話なのだ。

それだけ、美味しい食べ物は、広まり、定着する、と言う事だ。

少しでも美味しい野菜を食べたい、という需要に応えるために、野菜は様々な品種改良が続けられてきた。多種多様な品種が作られてきた。
しかし、現代の日本の食生活を支えるスーパーでは、あまり品種の表示がされず、ただ「にんじん」の表示しかないことに著者は警鐘をならす。

著者: 大場 秀章
タイトル: サラダ野菜の植物史 新潮選書