地中生命の驚異―秘められた自然誌/D・W・ウォルフ
2004年1月17日読了。
最近は「進化」を知らない小学生もいるようだが、普通、我々人間は進化の最先端であり、この地球を支配していると認識しているものだ。むしろ、そうしたことを考えることすら必要ない立場にいるのだ、とする指摘もできよう。
しかし、生命の本質には、いまだ誰も触れたことがないのだ。我々が頂点である、と言い切る根拠は、本人たちの儚い願望を除いては、どこにもない。
例えば、生命の支配者たる資質を、繁殖により増加したそのタンパク質の総量をもって決するのなら、現在の地球上では支配者はウシである。人間という種が、ウシの生殖をひたすら合理的にサポートする為に進化した下僕であるのではないかと言う疑問が浮かんだとしても、倫理などという身勝手な理屈にたよらねば、合理的にそれを排除することはできないことは明らかである。
しかし、このような議論すら、釈迦の掌の上の遊びだったと思わせる内容が、この本には書いてある。
地球の薄皮の上に張り付いている生命などは飾りに過ぎず、本当に生命が栄えているのは、広大な地中においてではないのか?こうした疑問を生み出すような発見が、近年相次いでいるのだ。現在、地中生命の質量の総量は、地上生命に匹敵もしくは凌駕すると見積もられている。こうした地中生命に関する調査研究はまだその緒についたばかりだが、その一端に触れるだけでも非常に興味深い。
人間社会がもたらす環境破壊に対して、地球環境を守るなどという大風呂敷を広げても、無意識に意味のない優越性が漂い、本気に取り組む人も少ないのではないか。むしろ、もっと的確に、人間の生存環境を死守しよう、とすべきだろう。人間という種は決して地球生命の支配者などではないし、生命全体から見ればわずかな表層のいくつかの種を道連れに人間が絶滅することはあっても、生命を根絶やしにするなどと言うことは、このか弱い進化した猿ごとにきは不可能なのだから。
著者: デヴィッド・W. ウォルフ, David W. Wolf, 長野 敬, 赤松 真紀
タイトル: 地中生命の驚異―秘められた自然誌
最近は「進化」を知らない小学生もいるようだが、普通、我々人間は進化の最先端であり、この地球を支配していると認識しているものだ。むしろ、そうしたことを考えることすら必要ない立場にいるのだ、とする指摘もできよう。
しかし、生命の本質には、いまだ誰も触れたことがないのだ。我々が頂点である、と言い切る根拠は、本人たちの儚い願望を除いては、どこにもない。
例えば、生命の支配者たる資質を、繁殖により増加したそのタンパク質の総量をもって決するのなら、現在の地球上では支配者はウシである。人間という種が、ウシの生殖をひたすら合理的にサポートする為に進化した下僕であるのではないかと言う疑問が浮かんだとしても、倫理などという身勝手な理屈にたよらねば、合理的にそれを排除することはできないことは明らかである。
しかし、このような議論すら、釈迦の掌の上の遊びだったと思わせる内容が、この本には書いてある。
地球の薄皮の上に張り付いている生命などは飾りに過ぎず、本当に生命が栄えているのは、広大な地中においてではないのか?こうした疑問を生み出すような発見が、近年相次いでいるのだ。現在、地中生命の質量の総量は、地上生命に匹敵もしくは凌駕すると見積もられている。こうした地中生命に関する調査研究はまだその緒についたばかりだが、その一端に触れるだけでも非常に興味深い。
人間社会がもたらす環境破壊に対して、地球環境を守るなどという大風呂敷を広げても、無意識に意味のない優越性が漂い、本気に取り組む人も少ないのではないか。むしろ、もっと的確に、人間の生存環境を死守しよう、とすべきだろう。人間という種は決して地球生命の支配者などではないし、生命全体から見ればわずかな表層のいくつかの種を道連れに人間が絶滅することはあっても、生命を根絶やしにするなどと言うことは、このか弱い進化した猿ごとにきは不可能なのだから。
著者: デヴィッド・W. ウォルフ, David W. Wolf, 長野 敬, 赤松 真紀
タイトル: 地中生命の驚異―秘められた自然誌