
石巻方面行ってきました報告第2段
4/21小雨の肌寒い1日、石巻方面へ行ってきました。
ガソリンの確保が出来てから最低毎週1回通うようになって4度目です。
今回は石巻地域のネットワークを持っているNPOの方との情報交換と
小学校対小学校(PTA,児童会全体)での絆を1対1で繋ぎたいという
茨城県の小学校からの依頼先探しも目的です。
*このブログは
NPO法人ハロードリーム実行委員会さま
笑顔のお守りプロジェクトさま
個人の知り合い
など、物資をご提供くださった方々へのご報告の目的で書いています。
それ以外のことはいずれ何かの形にしてからどこかで。
朝7時半に出発。仙台市内も三陸道も渋滞で目的の石巻市湊小学校へは10時過ぎに到着。
(通常なら1時間ほど)
今日は始業式で、1階が水没した湊小学校は湊第二小学校と合同、幼稚園も仮住まいという状況で
校舎はまだ避難所になっているため来週からは休校で本格的に学校が再開するのは
連休明けを予定しています。

校庭はまだまだ土砂や瓦礫もあって、作業中です。
ここは多くのサポートが入っていて、この日はおもちゃを配るイベントや炊き出し、
縄跳び遊びやあっち向いてホイやら、あちこちで子どもたちの笑い声や嬌声が響いていました。
幼稚園では絵を描いたり紙ヒコーキを作ったり、歌や遊戯など。
でも、理科室の実験テーブルの間に座っての再開です。

山のようなおもちゃと順番に選ぶ子どもたち

校庭の一角には中越からのお風呂設備
実はこの4月に湊二小に転勤された先生と会いたかったのですが
知らずに伺ったら合同始業式で、偶然こちらでお会いすることが出来ました。
ここでは、石巻のNPO関係者と情報交換とA先生との情報交換のみで目的を達したので
次の目的地飯野川一小へ
笑顔のお守りプロジェクトから託された化粧品など、
若いお母さん中心に選んでもらいました。
ダンボールの内側に、全国からの届いた温かい励ましのメッセージを添えてあったので
それをじっと読んで下さったかた。
「仕事に行ってる娘の分はもらっちゃダメかね?喜ぶと思うんだけど」と
遠慮がちに言うご年配の方にも選んでいただきました。

20個くらいかな。
1日ずっと給仕やその他のお世話に通っている方は
違う町からここに避難している方々が住んでいた町の病院勤務の看護師さんだった人でした。
病院の屋上を越えて津波は押し寄せたので、患者さん、病院関係者さん殆どが津波で流された中で
助かった方です。
ここでお世話をすることで、気持ちは繋がっているんですね。
その方にも、もちろん選んでいただきました。
「お化粧なんて贅沢な気がして気が回らないですよね。
(ダンボールのめっせーじもひとつひとつに読みながら)
嬉しいですね。本当に・・・・」と。
ここは100%津波で家を失った方々ばかりなので
平日の日中はみんなで浜の瓦礫片付けに通っていたり、
仕事の有る人はここから仕事に行ったり、
罹災証明など事務処理のために出かけたりと
ご年配の方や、行動への気力の起きない方が残っています。
「私も欲しいなぁ」というおばあちゃんたちとクリームを手にとって
少し塗ってみたりもしました。
「あらぁ~、○○さん、なんだが、手がわがぐなったんでねべがぁ」
(若返ったんじゃない?という意味です^^)
「んだがらぁ~、おらもそう思ったでばぁ」と笑い声。
肌がしっとりするだけでも笑顔が広がるのが女性なんですね。
「お母さんが、お子さんの顔や手に塗ってあげたり
触れ合う材料にも使ってください」と伝言してる間に
小学校から子どもたちが帰ってきました。
新しい小学校は現在使われていない廃校の高校施設で、
実は遺体安置所として使われているところだったので
学校の開校も危ぶまれたんですが、ほんの2,3日前に遺体を移動出来ての開校です。
正直、保護者の中には通わせたくない思いも強かったのですが
死体が並んでいたところにわが子をと思ったら正直な反応ですよね。

帰ってきた子どもたちに手伝ってもらいながら
ハロードリームから頂いたグッズを種類別に並べました。
ひとうひとつ欲しいものを選ぶ子どもたち

泊り込んでのボランティアは東北福祉大学陸上部の人たち。
学生さんたちは子どもたちとも仲良しで、まだ帰ってきていない子どものものを
「これすきなんじゃない?」
「これ、喜ぶよ!」と、相談しながら選んでもらいました。
毎回の露天商状態です(≧▽≦)
子どもたちと一緒におしゃべりしたり、ちょっとゆっくり時間を過ごしました。
この避難所は10km離れた大川小学校の子どもたちが借校舎として通い始める
飯野川第一小学校というところの体育館です。
火は使えないので配給のみで、後は個人でカップラーメンが温かいものかな。
石巻大川小学校は小学校が避難指定場所だったので、
児童は小学校で待機していて津波に襲われ、児童の7割が死亡・行方不明という学校です。
目の前で同級生や家族が流されていくのを見てしまった子どもたち。
しかも、安全だと思った学校で。今の全校生徒は22名での再スタートです。
そこで、第一小学校の職員室に伺ったら
養護の先生とゆっくりお話が出来る時間が取れました(ラッキー!)
先生ご自身も実家は流され、という状況の方です。
ハロドリのクリアケースは使える!ということでしたので、
先生方や学年を考えて(上級の学年とか)活用して頂くよう託してきました。
自分となかよく
みんなとなかよく
というハロードリーム憲章の入ったクリアケース、
きっと学校で役立ててもらえると思います。
そうこうしているうちに気がついたら14時半を回っていたので、
足を伸ばす予定だったそころ一箇所断念して、
帰り足に東松島の避難所へ。
日本三景で有名な松島の中でも奥松島というさらに海に突き出している地域です。
こちらは、湊小や他の避難所と違い、大きな支援は入ってなくて
(それでも、仮説トイレなど必要な環境にはしてありました)
40名弱の地元民の寄り合い所帯といった感じで
自分たちで運営しているところでした。
寒い中、対策本部のたて看板の有る外のテントに座っているのは地元の高校生です。
避難所には小学生3人と幼稚園1人の4人しか子どもがいないのですが
避難所全員の子どもといった感じで、とってもアットホームでした。
ここの子に「なわとび」をリクエストされていたのですが、
他にもサンリオグッズを選んでもらったら、
周りの大人の方々が
「○○ちゃん、よかったねぇ」
「かわいくて、似合うよ~」
「いいねぇ」
とみんなで声をかけてくれて、
子どもたちも喜んでくれました(どこでもそうだけど)

顔がわかる子どもの写真を撮るのは拒否されることが多いんですが
ここでは、周りの大人が、
「いい記念だから」
「笑って」
とむしろ写真を撮ることさえ喜んでもらえました。
今回は沢山の情報交換や次回に繋がる地元のネットワークとのご縁も出来、
個人的に一番気になっていた大川小学校にも間接的に繋がることが出来て
ちょっとほっとしながら帰途に着きました。
ガソリンの確保が出来てから最低毎週1回通うようになって4度目です。
今回は石巻地域のネットワークを持っているNPOの方との情報交換と
小学校対小学校(PTA,児童会全体)での絆を1対1で繋ぎたいという
茨城県の小学校からの依頼先探しも目的です。
*このブログは
NPO法人ハロードリーム実行委員会さま
笑顔のお守りプロジェクトさま
個人の知り合い
など、物資をご提供くださった方々へのご報告の目的で書いています。
それ以外のことはいずれ何かの形にしてからどこかで。
朝7時半に出発。仙台市内も三陸道も渋滞で目的の石巻市湊小学校へは10時過ぎに到着。
(通常なら1時間ほど)
今日は始業式で、1階が水没した湊小学校は湊第二小学校と合同、幼稚園も仮住まいという状況で
校舎はまだ避難所になっているため来週からは休校で本格的に学校が再開するのは
連休明けを予定しています。

校庭はまだまだ土砂や瓦礫もあって、作業中です。
ここは多くのサポートが入っていて、この日はおもちゃを配るイベントや炊き出し、
縄跳び遊びやあっち向いてホイやら、あちこちで子どもたちの笑い声や嬌声が響いていました。
幼稚園では絵を描いたり紙ヒコーキを作ったり、歌や遊戯など。
でも、理科室の実験テーブルの間に座っての再開です。

山のようなおもちゃと順番に選ぶ子どもたち

校庭の一角には中越からのお風呂設備
実はこの4月に湊二小に転勤された先生と会いたかったのですが
知らずに伺ったら合同始業式で、偶然こちらでお会いすることが出来ました。
ここでは、石巻のNPO関係者と情報交換とA先生との情報交換のみで目的を達したので
次の目的地飯野川一小へ
笑顔のお守りプロジェクトから託された化粧品など、
若いお母さん中心に選んでもらいました。
ダンボールの内側に、全国からの届いた温かい励ましのメッセージを添えてあったので
それをじっと読んで下さったかた。
「仕事に行ってる娘の分はもらっちゃダメかね?喜ぶと思うんだけど」と
遠慮がちに言うご年配の方にも選んでいただきました。

20個くらいかな。
1日ずっと給仕やその他のお世話に通っている方は
違う町からここに避難している方々が住んでいた町の病院勤務の看護師さんだった人でした。
病院の屋上を越えて津波は押し寄せたので、患者さん、病院関係者さん殆どが津波で流された中で
助かった方です。
ここでお世話をすることで、気持ちは繋がっているんですね。
その方にも、もちろん選んでいただきました。
「お化粧なんて贅沢な気がして気が回らないですよね。
(ダンボールのめっせーじもひとつひとつに読みながら)
嬉しいですね。本当に・・・・」と。
ここは100%津波で家を失った方々ばかりなので
平日の日中はみんなで浜の瓦礫片付けに通っていたり、
仕事の有る人はここから仕事に行ったり、
罹災証明など事務処理のために出かけたりと
ご年配の方や、行動への気力の起きない方が残っています。
「私も欲しいなぁ」というおばあちゃんたちとクリームを手にとって
少し塗ってみたりもしました。
「あらぁ~、○○さん、なんだが、手がわがぐなったんでねべがぁ」
(若返ったんじゃない?という意味です^^)
「んだがらぁ~、おらもそう思ったでばぁ」と笑い声。
肌がしっとりするだけでも笑顔が広がるのが女性なんですね。
「お母さんが、お子さんの顔や手に塗ってあげたり
触れ合う材料にも使ってください」と伝言してる間に
小学校から子どもたちが帰ってきました。
新しい小学校は現在使われていない廃校の高校施設で、
実は遺体安置所として使われているところだったので
学校の開校も危ぶまれたんですが、ほんの2,3日前に遺体を移動出来ての開校です。
正直、保護者の中には通わせたくない思いも強かったのですが
死体が並んでいたところにわが子をと思ったら正直な反応ですよね。

帰ってきた子どもたちに手伝ってもらいながら
ハロードリームから頂いたグッズを種類別に並べました。
ひとうひとつ欲しいものを選ぶ子どもたち

泊り込んでのボランティアは東北福祉大学陸上部の人たち。
学生さんたちは子どもたちとも仲良しで、まだ帰ってきていない子どものものを
「これすきなんじゃない?」
「これ、喜ぶよ!」と、相談しながら選んでもらいました。
毎回の露天商状態です(≧▽≦)
子どもたちと一緒におしゃべりしたり、ちょっとゆっくり時間を過ごしました。
この避難所は10km離れた大川小学校の子どもたちが借校舎として通い始める
飯野川第一小学校というところの体育館です。
火は使えないので配給のみで、後は個人でカップラーメンが温かいものかな。
石巻大川小学校は小学校が避難指定場所だったので、
児童は小学校で待機していて津波に襲われ、児童の7割が死亡・行方不明という学校です。
目の前で同級生や家族が流されていくのを見てしまった子どもたち。
しかも、安全だと思った学校で。今の全校生徒は22名での再スタートです。
そこで、第一小学校の職員室に伺ったら
養護の先生とゆっくりお話が出来る時間が取れました(ラッキー!)
先生ご自身も実家は流され、という状況の方です。
ハロドリのクリアケースは使える!ということでしたので、
先生方や学年を考えて(上級の学年とか)活用して頂くよう託してきました。
自分となかよく
みんなとなかよく
というハロードリーム憲章の入ったクリアケース、
きっと学校で役立ててもらえると思います。
そうこうしているうちに気がついたら14時半を回っていたので、
足を伸ばす予定だったそころ一箇所断念して、
帰り足に東松島の避難所へ。
日本三景で有名な松島の中でも奥松島というさらに海に突き出している地域です。
こちらは、湊小や他の避難所と違い、大きな支援は入ってなくて
(それでも、仮説トイレなど必要な環境にはしてありました)
40名弱の地元民の寄り合い所帯といった感じで
自分たちで運営しているところでした。
寒い中、対策本部のたて看板の有る外のテントに座っているのは地元の高校生です。
避難所には小学生3人と幼稚園1人の4人しか子どもがいないのですが
避難所全員の子どもといった感じで、とってもアットホームでした。
ここの子に「なわとび」をリクエストされていたのですが、
他にもサンリオグッズを選んでもらったら、
周りの大人の方々が
「○○ちゃん、よかったねぇ」
「かわいくて、似合うよ~」
「いいねぇ」
とみんなで声をかけてくれて、
子どもたちも喜んでくれました(どこでもそうだけど)

顔がわかる子どもの写真を撮るのは拒否されることが多いんですが
ここでは、周りの大人が、
「いい記念だから」
「笑って」
とむしろ写真を撮ることさえ喜んでもらえました。
今回は沢山の情報交換や次回に繋がる地元のネットワークとのご縁も出来、
個人的に一番気になっていた大川小学校にも間接的に繋がることが出来て
ちょっとほっとしながら帰途に着きました。
石巻方面へ行ってきました報告です
4/13(水)に頂いた物の残り分をもって石巻方面へ行ってきました。
文房具はNPOアスイクさんへ
タオルは宮城県倫理法人会経由で南三陸町さんへ
と、殆ど配り終えたのでプラカップと小さなキャラクターグッズだけですが
一人でも喜んでくれるならと他の物資と一緒に詰め込んで、
まずは、石巻高台に有る避難所の石巻高校へ。
ここは、水没した石巻市立病院のスタッフたちにより臨時診療所も開設されています。
ブラトップやお菓子など個人的に差し入れたものと、
看護師さんのお子さんたちへとキティちゃん文房具などをお渡しました。
「うわぁ、娘が喜ぶわぁ~」
「私のほうが欲しいなぁ~」
など、喜んでいただきました。
ハンカチは診療所に来るお子さんたちに
頑張って診療を受けたご褒美に渡そうということになり、
後に書く新野さん経由で置いてもらうことになりました。

この看護師さんは1階が水没。しばらく避難所暮らしでしたが
やっと自宅2階で寝ることだけは出来る様になったそうです。
まだ就学前の女のお子さんがいらっしゃいます。
家電製品、台所製品はじめ、1階が生活の中心部だったので
全てのものを今から揃えなおすことになります。
診療所も4月で閉鎖するので、次はどこが仕事先になるのかも
決まっていないことが今一番の気がかりで、後は
「みんな同じですもん。何とかやってますから大丈夫ですよ」と笑顔。
続いて仙台自宅のライフラインが整わないため、石巻市の実家に避難中かつ
ボランティア活動中のコーチ&笑顔ファシリテーターでもある新野さんと待ち合わせ
新野さんの活動はNHKでも紹介され、
こちらのYouTubeでご覧になれます

彼女と相談し、避難所にいる子どもやお母さんを通じて
喜んでいただけそうなキティちゃんプラカップや小物、
診療所に渡してもらうハンカチなどを託してきました。
来週~笑顔のお守りぷロジェト~の皆様のご好意が届いたら
また一緒に活動予定です。
次に石巻北部にある開北小学校へ
ここは避難所として使用されていましたが、学校が始まるため避難所閉鎖方向で
伺った4/13現在は60名までに減ったところ、
昨日(12日)行政から後200名の受け入れ要請が来たそうで、
お話した先生は「学校を始める準備中なのに・・・」と頭を抱えていらっしゃいました。
この学校(避難所)には、NPO Camperという団体が炊き出し部隊としていらっしゃいました。

テントの中は20代から60代(?)の男女10名ほどが調理中でした。
お話を伺ったら皆さん会社員が中心で、神奈川や東京などから
自分の仕事をやりくりして交代しながら温かい料理を提供してくださっています(感謝!)
ここでは若いボランティアの男女と校庭で遊んでいた子どもたちに
好きなものを直接選んでもらいました。
フリーマーケットか夜店かって状態です。
これかわいぃ~と言いながらダンボールに顔を突っ込む子どもたち
(この後もっと群がってみんなにまわるよう調整しました)

選んだ髪止めや文具ボックスや小物を手にする子どもたち

10人以上いたのですが、
すぐにお母さんに見せに行った子、お姉ちゃんを呼んできた子など
この後少し出入りがありながら、なんと!
キャラクターグッズはキティちゃんストラップ5,6個残して無くなりました。
ここでお昼を過ぎていたので急いで北へ
次は石巻市雄勝町
に、向かう途中にある古い廃校(田舎の小さな分校)で
創作活動している陶芸作家のところにも寄ってみました。

作品は破損して殆どだめだったそうですが、古い家のほうが頑丈なんですね!
コーチ仲間でとんぼ玉や陶芸やバーベキューしに通っているところです。
密かに山崎まさよし似のだんなさんのファンなんです(^^;)
小さな女のお子さんが2人いるので、ここで残りのストラップを喜んでもらってもらって、
ハロドリからの物資は歯磨き(50弱)歯ブラシ(100弱)を残すのみ。
最後に雄勝町に行って歯磨きと歯ブラシを届けてきました。
帰り足に、飯野川小学校の避難所に寄って着ました。

お話してくださったのはこの避難所(同じ地区の方が固まって3地区ほど入っている体育館)で、
リーダー的役目を自然に担っているという山下さん。
3.11の前後の様子、その後生き残った近所の人たちと乗り切ったこと
避難所での暮らしなど1時間近くお話を伺いました。
写真のように、まだまだダンボールの仕切りもない避難所のほうが多いです。
ここでは、朝と夜に白い冷たいおにぎりが配られるだけです。
震災から2度ほど炊き出しのボランティアが来て味噌汁1回、トン汁1回だけ温かいものが食べれたとのこと。
この日まわったことで、
様々なニーズも聞こえてきたので、
行政や企業、NPOのネットワークなどに流しています。
先生と話しながら「花と笑顔」子ども絵画コンクールに学校で応募したらどうだろう? とか
避難所の方と話しながら、コーヒーメーカーを無料提供してもらって
ハロードリームカフェならぬスマイルカフェを開こうか? とか
縄跳びやボールなどの依頼はハロドリの事務局さんに頼もうか? とか
いろいろ浮かびながらの帰り道でした。
今後ともご支援、よろしくお願いします!
ハロードリーム実行委員会
宮城実行委員
ごとうみか
文房具はNPOアスイクさんへ
タオルは宮城県倫理法人会経由で南三陸町さんへ
と、殆ど配り終えたのでプラカップと小さなキャラクターグッズだけですが
一人でも喜んでくれるならと他の物資と一緒に詰め込んで、
まずは、石巻高台に有る避難所の石巻高校へ。
ここは、水没した石巻市立病院のスタッフたちにより臨時診療所も開設されています。
ブラトップやお菓子など個人的に差し入れたものと、
看護師さんのお子さんたちへとキティちゃん文房具などをお渡しました。
「うわぁ、娘が喜ぶわぁ~」
「私のほうが欲しいなぁ~」
など、喜んでいただきました。
ハンカチは診療所に来るお子さんたちに
頑張って診療を受けたご褒美に渡そうということになり、
後に書く新野さん経由で置いてもらうことになりました。

この看護師さんは1階が水没。しばらく避難所暮らしでしたが
やっと自宅2階で寝ることだけは出来る様になったそうです。
まだ就学前の女のお子さんがいらっしゃいます。
家電製品、台所製品はじめ、1階が生活の中心部だったので
全てのものを今から揃えなおすことになります。
診療所も4月で閉鎖するので、次はどこが仕事先になるのかも
決まっていないことが今一番の気がかりで、後は
「みんな同じですもん。何とかやってますから大丈夫ですよ」と笑顔。
続いて仙台自宅のライフラインが整わないため、石巻市の実家に避難中かつ
ボランティア活動中のコーチ&笑顔ファシリテーターでもある新野さんと待ち合わせ
新野さんの活動はNHKでも紹介され、
こちらのYouTubeでご覧になれます

彼女と相談し、避難所にいる子どもやお母さんを通じて
喜んでいただけそうなキティちゃんプラカップや小物、
診療所に渡してもらうハンカチなどを託してきました。
来週~笑顔のお守りぷロジェト~の皆様のご好意が届いたら
また一緒に活動予定です。
次に石巻北部にある開北小学校へ
ここは避難所として使用されていましたが、学校が始まるため避難所閉鎖方向で
伺った4/13現在は60名までに減ったところ、
昨日(12日)行政から後200名の受け入れ要請が来たそうで、
お話した先生は「学校を始める準備中なのに・・・」と頭を抱えていらっしゃいました。
この学校(避難所)には、NPO Camperという団体が炊き出し部隊としていらっしゃいました。

テントの中は20代から60代(?)の男女10名ほどが調理中でした。
お話を伺ったら皆さん会社員が中心で、神奈川や東京などから
自分の仕事をやりくりして交代しながら温かい料理を提供してくださっています(感謝!)
ここでは若いボランティアの男女と校庭で遊んでいた子どもたちに
好きなものを直接選んでもらいました。
フリーマーケットか夜店かって状態です。
これかわいぃ~と言いながらダンボールに顔を突っ込む子どもたち
(この後もっと群がってみんなにまわるよう調整しました)

選んだ髪止めや文具ボックスや小物を手にする子どもたち

10人以上いたのですが、
すぐにお母さんに見せに行った子、お姉ちゃんを呼んできた子など
この後少し出入りがありながら、なんと!
キャラクターグッズはキティちゃんストラップ5,6個残して無くなりました。
ここでお昼を過ぎていたので急いで北へ
次は石巻市雄勝町
に、向かう途中にある古い廃校(田舎の小さな分校)で
創作活動している陶芸作家のところにも寄ってみました。

作品は破損して殆どだめだったそうですが、古い家のほうが頑丈なんですね!
コーチ仲間でとんぼ玉や陶芸やバーベキューしに通っているところです。
密かに山崎まさよし似のだんなさんのファンなんです(^^;)
小さな女のお子さんが2人いるので、ここで残りのストラップを喜んでもらってもらって、
ハロドリからの物資は歯磨き(50弱)歯ブラシ(100弱)を残すのみ。
最後に雄勝町に行って歯磨きと歯ブラシを届けてきました。
帰り足に、飯野川小学校の避難所に寄って着ました。

お話してくださったのはこの避難所(同じ地区の方が固まって3地区ほど入っている体育館)で、
リーダー的役目を自然に担っているという山下さん。
3.11の前後の様子、その後生き残った近所の人たちと乗り切ったこと
避難所での暮らしなど1時間近くお話を伺いました。
写真のように、まだまだダンボールの仕切りもない避難所のほうが多いです。
ここでは、朝と夜に白い冷たいおにぎりが配られるだけです。
震災から2度ほど炊き出しのボランティアが来て味噌汁1回、トン汁1回だけ温かいものが食べれたとのこと。
この日まわったことで、
様々なニーズも聞こえてきたので、
行政や企業、NPOのネットワークなどに流しています。
先生と話しながら「花と笑顔」子ども絵画コンクールに学校で応募したらどうだろう? とか
避難所の方と話しながら、コーヒーメーカーを無料提供してもらって
ハロードリームカフェならぬスマイルカフェを開こうか? とか
縄跳びやボールなどの依頼はハロドリの事務局さんに頼もうか? とか
いろいろ浮かびながらの帰り道でした。
今後ともご支援、よろしくお願いします!
ハロードリーム実行委員会
宮城実行委員
ごとうみか
