祭りっ子が政(まつりごと)に関わるようになった | 後藤せいあんの ニューストピックス

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そんな強い思いで政治の世界にチャレンジしています。

 

loveaomori隊長 参政党県議ごっちゃんです 

 

4月2日は、両親に感謝を伝える日☆彡

 (そんな風に思えるようになったのは40近くなってからですが💦)

今日は、私がこの人生を与えていただいた日です。

 

東京下町に生まれ、一人っ子で育ちました。

(東京スカイツリーのすぐ近くです)

 

 

 

母方の祖母と4人家族

父は、いわゆるマスオさん

 

祖母は、助産師としての使命を全うした

強く自律した女性でした。

 

 

 

それもそのはず

31歳で弘前出身だった祖父が戦死。

 

 

 

2歳と0歳だった母と叔母、二人の娘を

戦後焼け野原の東京で

女手一つで育てなければならなかったのですから。

強く生きるしかなかったと思います。

 

そして、祖父の分まで長生きました。

満103歳まで。

 

 

 

祖母の口ぐせはいくつかありましたが

一番は、

人の役に立つ人になりなさい

 

わたしは、祖母と同じ助産師の道は

選ばなかったけれど

 

自分の仕事に誇りをもっていた祖母を

とてもカッコいい!と思っていたし

私も、そう在りたいと思ってきました。

 

一方、私の母は

小さい頃から長女として

祖母をサポートしてきた経験から

 

自らは、専業主婦を選び

私の子育てを使命として

ずっと側で愛情を与え続けてくれました。

 

 

2人の女性の違う生き方を見てきて

どちらも尊敬と感謝をしているし

どちらも素敵な生き方だと思っています。

 

 

 

そんな私は、

夢を叶えてチャレンジしたり

いろいろ失敗したり

迷ったり、悩んだりしながら

あっという間に53歳になりました。


自分の50代なんて想像もできなかったけど

祭り大好きっ子は、政(まつりごと)に

携わるようになりました。

 

 

これも、祖母の教え

祖父をはじめとするご先祖様からのご縁

 

両親からの愛情や信頼

 

これまで関わってくださった

多くの方々からいただいた御恩

 

その全てから「わたし」という

存在が成り立っていて

その価値観から選んだ

最善の道なのだと思っています。

 

50代なんてなってみたら、

胸張ってオトナ!って言えるほど

深みもないし

不完全極まりないし

 

むしろ、既に衰えていくので

不完全さは増すばかりですが・・・

 

でも、与えられた命の使い方は

わかってきたと思うし

自分が決断したことを正解にしていく

生き方をしたいと思っています。

 

大切なものを大切にする生き方をしたい

 

あなたの大切なものはなんですか?

 

そのために命の時間を使えていますか?

 

 時間は有限

  Time is Life

 

後悔しない生き方をしたいですね。

 

また一つ

年を重ねることができたことに

感謝を込めて✨

 

最後までお読みいただきありがとうございました💖