来客 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

来客

予想と違った人生を受け入れるのはラクじゃない。
だが人生にラクはない。

映画 ウェザーマンより



ぼんやりと音楽を聴いていたせいで、物音に気が付かなかった。

外で、誰かが扉か窓を叩いているような音がする。

このままやり過ごせるだろうか。


すべてが面倒で、

ひとに会うなどという厄介事はごめんだった。


物音は続く。


その執拗さに俺は立ち上がり、扉の隙間から覗いた。


どうやら窓を叩いているようだった。

いったい誰なのだ。

カーテン越しにそれは確認出来ない。


そのとき、聞き覚えのある、俺の名を呼ぶ声が明瞭に聞こえた。

(いや、聞こえたような気がしたのだ)


親戚が俺を心配し、訪ねて来たのだと思い、

俺はなんだかうれしくなって、玄関まで走った。

ドアを開ける。

俺は唖然とした。

家の向かい側の三軒北側に住んでいる老人だった。

「いったいどうなってるんだよ」

ものすごい剣幕で俺をどやしつけて来た。

何の事だかわからず、俺は玄関先で立ち尽くすしか無かった。

「なんで女房と子供は、出て行ったんだ。あんたと暮らしたくないとでも言っているのか。あんたの親や、向こうの親はなんと言ってるんだ」

「………」

「しっかりしろよ」

老人に両肩をつかまれ、思い切り揺さぶられた。

頭が前後に揺れる。

「ここが嫌だと言ってるのか女房は。この近所には子供がいないからだろう?」

「………」

「しっかりしろよ。何故戻ってくるように言わない?女房の電話番号をよこせ。俺が電話するから」

「俺は心配してるんだよ」


俺は何故か、別れたという事実を、口にしたくはなかった。

何故だかわからない。

とにかく、言いたくはなかったのだ。



そして頭の中で、

娘の母親と復縁する事を想像しようとしたが出来なかった。

代わりに、うんざりするような事ばかりが思い出されて来て、

俺は老人を突き飛ばし、家の中に逃げ込みたい気分になった。




老人は執拗だった。

「おい。そこの庭の戸を開けろ。俺がきれいにしてやるから」

「そんな。大丈夫です。自分でやりますから」

別れてから、庭の手入れなどしていなかった。

雑草が伸び放題で、みられる状態ではなかった。


更に、老人はまくしたてる。


しっかりしろ、

子供と女房を呼び戻せ、と。


唇の端から白い泡が見えた。

俺はそれから眼をそらした。


老人は、娘がお別れの挨拶に来たといい、あんなにかわいい子がなんで出て行くのだと言って、泣き出した。

そしてすぐに泣き止み、

また同じ事を繰り返す。

俺の肩に載せられた、老人の手に力が入る。


「何故戻ってこいと言えない?しっかりしろよ、何故なんだ?」


俺は言っていた。


「もう無理なんです」

「無理って、どういう訳だ?戻ってくるのが嫌だと言ってるからか、それとも別れたとでも言うのか」


「そうです。別れたんです」

それだけを言ってしまうと、

老人はあっさりと引き下がり、

自宅へと戻って行った。


動悸がした。

そして目眩も。


庭に眼をやると、

背丈ほどもある雑草が小さな庭を埋め尽くしていた。


なんてこった。


俺は陰鬱な気分のまま部屋に戻り、

椅子に腰掛けた。


音楽は鳴っているはずだった。



それなのに、


何も聴こえなかった。