詩 『与えられた刺激』 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

詩 『与えられた刺激』

刺激がまったくない世界。

それは、死んだ世界だ、

とも言えるし、

釈迦が言っていた、

涅槃かもしれない。


しかし、

僕らのような、

金の匂いや、

競争という虚構の中で育ち、

資本主義経済万歳だなんて、

洗脳されてきた人間にとっては、

常に刺激が必要だった。


例えば目隠しをされ、

長い間放置されると、

その人間は失明するらしい。


家に長い間いるとうんざりするのは、

当然だよね。


僕らは、そうなるように仕向けられているのだから。


新しい服。

新しい車。

ハイビジョンテレビ。
(最近では、3Dハイビジョンなんてのもある。地デジなんて糞喰らえ!) 

新しい家。

新しい音楽。

新しい映画。

新しいパソコン。

新しい携帯。
(みんな知ってる?iPhoneユーザーはミクシーに登録すら出来ない事を。なんて会社なのだ)

何故そこまで安いのか謎の、

二百五十円の牛丼。



環境に配慮だって?

本当か?

エコだエコだと言ったって、

どこかの誰かが札束をくんくんして、

ウハウハなだけじゃない。

地球に優しいなんて、

嘘っぱちだ。


ペットボトルは、再生しないで燃やした方が、

コストがかからないって、

聞いた事あるんだけれども。


僕たちは、


搾取され、


消費を強要され、

そして、

疲弊する。


刺激を求めて、

今日も、

街を彷徨う。


ひょっとして、

システム側の言いなりってわけ?