終焉~そして、始まり。
離婚。
とんでもなく、事が簡単に運んだ。
「とにかく、娘の小学校入学に間に合わないから、とっとと離婚届に判を押してよね!」
娘の母親の、あまりにも横柄な態度に、俺は印を押すことを拒んだのだが、
すると娘の母親は逆上し、家じゅうのものを蹴飛ばし、払い落とし、めちゃくちゃにした。
俺は恐怖を感じた。
(最後の最後まで、俺を暴力で従わせるつもりか?)
精神的苦痛や肉体的苦痛を受け続けてまで、
離婚について、俺が拒む理由は何もなかった。
(俺は入院中に、離婚すると決めていたのだ)
それでも、最後までこちらの意思とか、要望など知ったことかという娘の母親の心根には、
心底まいった。
よくもまあ、今まで「これ」を続けてきたものだと、自分自身に呆れもした。
離婚後の、俺の唯一の願いは、娘に定期的に会うことだった。
娘に会うための約束事を、書面にしてくれ。
俺が頼むと即座に、
「それなら、きっちりと養育費を払ってよね!」
と、そういわれた。
話が違っていた。
養育費もなにも要らないと、言っていたのに。
まあ、養育費に関してはこちらが払うのは、当然のことではあるのだろう。
娘の母親は、公証人役場で書類を書いてもらえと言い、それで終わりだった。
その、公証人役場とやらで、養育費の額や娘と会う条件などを取り決めるのだという。
娘の母親の言い分はこうだ。
~これから私が身を粉にして、女で一人で娘を育てなければならない。
それなのにあんたは養育費も払わずに、娘に会いたいときだけ会うというのか。
ふざけるな、ということだった。
金はなかった。
取り上げられたカードは、小出しに返却されている。
どれも、残高がマイナスのものばかりだった。
昨日、俺は食パンを焼いて食った。
あるとき、鍋一式が持ち去られたため、パスタを茹でる事が出来なくなったからだ。
一袋90円のパスタソースが2個、キッチンに置かれたままだ。
当分は、封を切られることはないだろう。
鍋を買うまでは。
娘の母親は今も、クレジットカードを持ち続けていて、それで買い物をしているようだ。
新生活のための、家電製品は必要だろうと、俺はそれを許したのだが、金額が半端ではなかった。
(どんなに借金が増えようと、そんなの私の知ったことか!というわけだ。)
俺は、来月。
無事に生き延びることが出来るのだろうか?
離婚に引き続き、自己破産などということでは、たまったものではない。
それでも俺は、
日々を生きる。
そう、俺はまだ生きている。
這いつくばっても立ち上がり、何とか生き続ける限り、決して「負け」にはならないのだから。
ブログの副題を、変更しようと思います。
第一、もうすでに離婚が成立しているため、「妻」という言葉が当てはまりません。
ふさわしい副題を考えなければなりません。
私の人生を棚卸し、新たなスタートを切るために。