職場のおばちゃんとの会話~あなたは魂の存在を信じますか?
職場のおばちゃんが、宗教など信じないと言った。
更に付け加えて、
「わたしは何も信じない」
と言った。
おお、これはいい。
俺は少なからず、このおばちゃんに興味を覚えた。
俺はおばちゃんにこう質問する。
「死んだらどうなると思います?魂とかそういったものを信じますか?」
おばちゃんは、簡潔にわからないと答えた。
俺はその答えに、違和感を覚えた。
人は死んだらどうなるか。
魂は死後も、存在し続けるのか。
それとも、無に帰するのか。
「わからない」ですまされる問題なのか。
そもそも、人間の脳は、常に答えを求め続けるように出来ているという。
数学の問題が「わからない」というレベルではなく、己の存在の有無と言った問題には、
自分なりに片を付けなければ、精神的に安定しないのではないか?
拠って立つ場所がないまま、生きられはしない。
無理矢理にでも、納得しなければならない問題だろうと、
俺は考えていた。
だから、おばちゃんは嘘をついている。
実は、わかっているはずだ、答えはおばちゃんなりに出ているはずだと思った。
「死んだらどうなるか。それがとても不安なので、宗教が出来たんでしょうね、きっと」
俺はおばちゃんに言ってみた。
「死んでもいないのに、そんなことがわかるわけがないでしょう」
「わからないから、不安だから、魂は死後も、天国かどこかで生き続けると、宗教では教えるのでしょう?」
「そんなこと、わかるわけがないでしょう」
「その通りですね」
おばちゃんは、死んだら、何も残らない、無だ、と考えているのか?
「科学者ならばきっと、魂も天国も、存在しないと言うでしょうね?」
「そんなこと、わかるわけがないじゃない」
「……」
この、「科学者」という俺の物言いが、いけなかった。
おばちゃんは、声を荒げる。
「なんで、わからないと言えないのかしら?だれもそんなこと、わかるわけがないじゃない!」
「科学的に検証すると、魂の存在や、天国も含めて、物証がない、立証できないからでしょう?」
「だから、わからないのに、なぜ、無いと言えるわけ?なぜわからないと言えないのよ」
俺は、自分の言っていることが、破綻しているのではないかと、一瞬言葉を詰まらせた。
俺は、それでも話を続けた。
「科学は唯物論、物としてとらえることの出来ない現象を、認めないところがあるから……」
魂は、眼には見えないので科学的には、無い、とする。
俺はそう続けたかったが、おばちゃんは、俺の話を途中で遮って、話し始めた。
「ほんと、科学者って馬鹿じゃないのって思うわ。なんで、わからないと言えないわけ?まったく」
俺は、下を向いたまま苦笑した。
俺もう、おばちゃんから興味を失った。
物事、すべて「わからない」で済ませる事が出来るのならば、きっと楽だろう。
そんな世の中だったら、何一つ進歩しないだろうし、未来もないに等しい。
そうは思わないか?
わからないことは、なんとしてでも解明したいと願う。
それが人間だと思う。
魂の存在や、
意識、
自我、
この宇宙について、
それらはいずれ、科学が解明するのだろうか?
俺はおばちゃんに論破され、
科学の非力さを知った。
