詩「顔に刻まれる年輪~皺は全てを語る」 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

詩「顔に刻まれる年輪~皺は全てを語る」

皺には、

味のある皺と、

醜悪な皺がある。


思いやりをもって生きた人には、

味のある、仏を思わせるような、

慈悲深い皺が刻まれる事だろう。


人をいじめ抜き、常に憤懣を爆発させて生きてきた人には、

顔を背けたくなるような、

醜悪極まりない皺が刻まれることだろう。


顔は、美しいか、醜いかではない。


絶世の美女であっても、

恐ろしく冷たく、

近寄り難い者もいるし、

例え醜女でも、

海のような包容と、

安息をたたえた者もいる。


超高齢化社会に、僕たちは老人になる。

その時、家人やプロの介助者たちに、顔を背けられるような、

そんな老人には、なりたくはないものだ。


「山南さんから、デイサービスの依頼が、入っていますが」
   
「ああ、あの老人か。いつものように、ロボットを派遣しろ」

「それがですね。先方がいつもロボットなので、出来れば介護士を派遣してほしいと、懇願されまして……」

「冗談じゃない!うちのセンターから、山南宅へ行きたがるヘルパーなんてひとりもいないよ。人手がない、だからロボットだと言っておけ!」


老いて、

肌が弛み、

慌てふためき、

整形手術で皺をとってみても、既に遅い。


皺はもう、刻み込まれている。


積み重ねられた言動、

生き様、


それは、

ビデオゲームのように、

リセットなど、出来はしないのだから。