闇のなかの気配 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

闇のなかの気配

深夜、誰かに揺り動かされ、眼を醒ました。

どこまでも、俺の娘の母親は、嫌なヤツだなと思い、ゆっくりと眼をあけると、

そこには誰もいなかった。

闇。

それだけだった。

あまり深く考えたくはなかった。

錯覚か。

夢か。

それとも、闇そのものの、意思か。


頭は完全に覚醒してはいなかったが、時間が気になった。

携帯を引き寄せる。

眠りについてから、三時間しかたっていなかった。

あと一時間眠れる。

眼を閉じると、俺はすぐに眠りに落ちた。

俺は、夢を観た。

とてつもない断崖を、素手で登っていた。

俺以外にも、無数の人々が、垂直に屹立する断崖に取り付き、一心に頂上を目指していた。

驚いた事に、まわりの人間は、すべて死人だった。

俺のすぐ横で、崖を登っているのは、先日、この世を去ったばかりの、有名なミュージシャンだった。

まるで、芥川の小説の、あれだった。   

下を見ると、驚くほどの蟻の大群が、崖を覆い尽くしている。

いや、蟻ではなく、死人の群だった。


ここは地獄なのか?


俺と、横のミュージシャンは、頂上に手を掛けようとしていた。

頂上は平らな大地だった。

ミュージシャンが、大地に手を伸ばした途端、頂上の大地に亀裂が入り、

岩盤ごと崖から剥がれ落ちていった。

俺は剥がれ落ちる岩盤から、大地へと飛んだ。

やったぞ。

指に確かな感触があった。

そして、俺は眼を醒ました。


すぐに起き上がれず、青白い、薄明かりに照らされた、天井を眺めていた。

嫌な感じだった。

俺は、何かの気配を感じたような気がした。

何かが、この部屋にいる。

しばらくの間、じっとしていたが、結局は何も起きなかった。


起き上がり、洗面所へ向かう途中、ちらと、父と母の遺影を見やった。

二人とも、微かに笑っていた。

そのまま、洗面所で歯を磨き、髭を剃り終えると、遺影の前の水を取り替えた。

父と母の遺影。

双方と、視線が合った。

もう、笑ってはいなかった。

そのとき俺は、思った。


闇の中の気配はいったいなんだったのか。

ひょっとして?

俺は遺影の視線に、耐えられなくなり、眼を伏せた。


そして、どうしようもないくらい、俺を消耗させるバイトへ向かった。