サイン
ああ、疲れた。
妻が言った。
それは、機嫌が悪いという妻流のサインだった。
こういうときは、何を言っても駄目なのである。
黙っているのが、一番いいと思えた。
娘を寝室に残して、子供用の歯ブラシを取りに来た。
食事の後の歯磨きがまだ済んでいなかったのである。
台所で歯ブラシと、麦茶を用意する。
「ちょっと、○○の食べたお皿ちゃんと片付けて。ゴキブリが出てしょうがないから」
俺はわかったと短く答え、娘の食べ残した食器を洗った。
寝室へ向かおうとすると、また妻が言った。
犬の世話が終わっていないという話だった。
俺は短く答えて、外に出て犬の世話をした。
玄関で妻がまた何か言ったが、今度はよく聞こえなかった。
多分、散らかったものをそのままにするなということなのだろうと思い、娘のおもちゃを簡単に片付け、自分の
私物も部屋へ放り込んだ。
寝室に、入ると娘は寝ていて、扉を開ける音で跳ね起きたのだった。
歯を磨き、麦茶を飲ませた。
やはり俺は、気が利かないのだと思った。
妻に言われる前に、用事を済ませることが出来ない。
特に、サインがあったときは。
もっとも、サインが無いときは妻が用事のほとんどを片付けていたりするのだった。
相手の気持ちを考えないから、わからないんでしょうよ。
そんなことも、以前言われたことがあった。
俺は妻のことなど、一片も考えていないのだろうか。
娘に、すぐに戻るからねと声をかけ、寝室を出た。
酒が飲みたくなった。
調理用の日本酒に手を伸ばしたが、止めた。
かわりに、インスタントコーヒーを水道の水で入れた。
氷を入れ、指でかき混ぜて飲む。
飲んだ後、すぐに後悔した。
今夜も眠れなくなるかもしれないと、しばし思った。