短編小説「夢」 第二話 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

短編小説「夢」 第二話

夢でも観ているのか。


事故の後、すべてが変わった。
今朝も妻は、軽く唇を重ね、笑顔で見送ってくれた。
どうにもならないくらいに壊れてしまっていた互いの関係が、結婚当初の良好な関係へと戻ったのである。
事故がきっかけで、事態が好転するとは皮肉なことだった。

仕事も順調だった。
すぺてのプロジェクトが信じられないくらいにスムースに進行している。
驚いたことに、私自身が飛び回ることが少なくなっていた。
事故の前、納期に追われていたいくつかの案件も、部下や同僚の献身的なフォローアップですべてがクリアされていた。
椅子がまだあることが不思議なほど、長期間の入院だった。

それなのに、入院中の記憶が、ほとんどなかった。


シャワーを浴び、ベットに横たわる。
しばらく、天井の木目を眺めていた。
幾重にも重なる年輪。
何故か、鬼の顔のように見えた。
事故の前、その鬼の顔をしばらく見続けていると、憤怒の形相に見えた。
今は、少し笑っているように見える。
妻が寝室に入ってきた。
私の傍らに、寄り添ってくる。
事故以前は、お互い別々の部屋で寝ていた。
妻は、事故で死にかけた私に同情しているのではないか。
それとも、私に対する愛情が、事故をきっかけに蘇ったとでもいうのか。
妻の腕が、私の体に絡み付いてくる。
何か切ないような、そんな疼きが胸の中にあった。



夢を観ていた。
妻が、居間のソファーで泣いている。
どうした。
そう声をかけても、妻は泣き続けるばかりで返事をしない。
私は妻に寄り添うようにして、肩に手をかけた。
なぜ、泣いている。
もう一度言った。
その時、居間の扉が開いた。
そこには、見知らぬ男が立っていた。
私は、思わず後退りしていた。
見てはならないものをみた。
何故かそう思った。
壁に背をつけて、二人の様子を眺めていた。
男が、床に膝を着き、妻の顔を覗き込むようにして何かを話している。
男の問いに対しても、妻は返事をしないようだった。

どのくらいの時間がたったのだろうか。
10分。いや、ほんの1,2分だったのかもしれない。
不意に、妻は床に伏せていた顔を男の方へ向けていた。
私は耳を欹てて、二人の会話を聞こうとした。


「主人は、もうすぐ、死ぬわ」


夢から覚めた。

天井に張り付いた鬼の形相は、やはり、微かに笑っていた。