想像という自由
友人からの一通のメール。
陶芸、いいぞ。
陶芸の町へ行き、刺激を受けたようだった。
感動が直に、伝わってくる。
陶芸で生きるなどという文面。
友人らしい。
頭の中に、ひとつの物語が浮かんできた。
それをまとめ、メールを返信した。
以下は、友人に当てたメール
偶然に良いものが焼けた。
3年前である。
一人の著名な陶芸家が、私の作品を高く評価してくれた。
生きる悲しみのようなものが焼き込まれている。
そんなことを言っていた。
私は会社を辞め、その年老いた陶芸家の勧められるまま、
この町へ移り住んだのだった。
こんな俺のメールを、友人は面白がっているようだった。
この続きも、書こうか。
考えて、自嘲する。
まるで、メールマガジンだな。
携帯を握り締めながら、片手はハンドルを握っている。
信号で止まっている間に、メールを書く。
そんなことを、時々するのだった。
止まっている時に、携帯を使うことは違反ではないらしい。
どこかで聞いた話だった。
次々に、頭の中に浮かぶアイデアを誰かに伝えたい。
言わば、無理やり友人に読ませているようなものだ。
話のあらすじを考えていた。
思い浮かんだラストシーンは、ちょっと切ないものだった。