萎縮 後編 「暗闇」 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

萎縮 後編 「暗闇」

「お風呂洗ってないから」

そう言って、妻は仕事に出掛けていった。

妻が出掛けた後に、娘に飲み物を与える。

遊んでいた娘が、食卓に着き、飲み物を飲み始めた。

甘い父親だな。

いつも、そう思う。

妻がいたら、甘やかすとあんたの様になる、などと言われただろう。



娘は飲み物を一気に飲んだ後、残りの飯を食べ始めた。

「旨いか」

「はい」


返事たげはいい。

「沢山食べろ」

それだけ言い、風呂を洗いに行った。




娘は、すぐ泣く。

風呂に入れても、泣きっぱなしだ。

頭を洗うとき。

身体を洗った後、湯舟に入る時。



おもちゃを指差して、娘が声を上げた。


「あれ、汚れてる」

裏側が黒く変色している。

それは、カビだった。




娘を寝かしつけ、寝室を出た。

もう眠りたい。


布団の中で眠りに落ちそうになった時、妻が帰宅した。

ドアを開け、粗っぽく閉める。

いつもの、不機嫌な息遣い。

近付いて来る。



俺は固く眼を噤じた。

俺は寝てしまった。

そう思えばいい。

一日の終わりを、妻の侮蔑を含んだ言葉で締め括るのは、ごめんだった。

部屋に入ってくる。

クローゼットを開け、閉める時大きな音を立てる。

俺は寝ている。

深い眠り。

このまま、目覚めなくてもいい。


俺のことがそんなに嫌いか。

ならば、このまま二度と目覚めなければいいだろう。

死んだように眠り、起きない者に、罵声を浴びせることなど出来はしない。

ふと、睡眠は死ぬことに近いかもしれない。

そんなことを、なんとなく考えていた。


無。

何もない、ただの闇。

俺は、寝ているときだけ、幸福なのか。

その夜は、夢を見なかった。