<前回>

会社員生活を振り返って、どうしても”気楽で楽したい”、”何をするにも億劫”というのが私の性分。

また仕事への熱意とか充実していると感じることもなく過ごし、

その結果認めてもらえることもなくなり、次第に冷めた諦めの境地で過ごすことになった。

 

(人の頑張りは育った環境次第か)

私はなぜ周りの人と比べてやる気や熱意がなく、頑張りを継続することができないのか。

私は普通の家に生まれ、決して裕福ではないもののお金に不自由な思いをすることなく育ちました。

だからお金を得ることにあまり関心がなく出世する努力ができなかったのでしょうか。

底辺の生活を味わったことがないから上昇志向が欠けていたのでしょうか。

いいえ私は生まれながらに頑張る意思が乏しいと思っています。

(成功者はどん底を経験している)

有名な成功者達の伝記を読んだことがあります。

成功した人は多くが幼い頃に凄まじい貧乏や困難を経験しているのも事実です。

それでは私もそのような経験をしていれば成功したのでしょうか。

いいえ、そんなことはないと思います。勿論小さい時の経験は大きく、成り上がる意思のようなものは強くなると思いますが、

成功した人は必ず、生まれながらに強い体(体力)、強い心(根性)、優れた商才などの能力を持ち合わせていたと思うのです。

草食動物は決して肉食動物にはなれないのと同じです。

 

(自分の殻を破れない)

私は人が生活する上で普通にできること、楽々できることができないという憂鬱が常にありました。

小さい頃から周りと比べて体が細く、虚弱だったこと。

女性に告白することはもちろん普通に会話することも苦手。所謂人と普通に交際することが苦手。

精神的にも弱くすぐ緊張してしまう。責任を負うことに強い恐れを持ち、何かやろうと思ってもすぐに尻込みする。

自分への関心が強く、常に人と比べるタイプだったせいかもしれませんが、

このような気持ちを持ち続けたこともあり、この世界はあらゆることにおいて自分よりも強い人達ばかりで、

その中では自分がいつも被害者になってしまうような気持ちになるのです。

(若い時に受けた指導、パワハラ)

私も若い頃は期待もされて、上司から度々ご指導も受けました。時代も時代ですから今で言うパワハラもありました。

しかしそのような指導を受けても”できる社員”にはなれませんでした。

私は体が細く、温厚なタイプでしたので指導されやすかったのですが、

それでも上司にしてみれば鍛えて有能にしてやろう、変わって欲しいという気持ちがあったと思います。

しかし私は変わることもできる人材にもなれませんでした。

 

(普通のことができない自分)

上司にすれば普通のことが私には普通ではなかったのです。当たり前のことができなかったのです。

人が軽々と飛び越えられることが私には遥か上空にある感じです。

まるでライオンがネズミを指導するようなものなのです。元が全然違うということです。

 

(まとめ)

普通のことができないという自分の心身の弱さや能力の欠如を感じ続けることで、

この世界には自分には適わない人達ばかりという状態になった。

上司から指導を受けても生まれながらのものが大きく違っている以上、変わることができなかった。