本日コロナの感染者が1機関あたり1人を下回る

と記事がでた。

 

最近はすっかり過去の話となっているコロナ

 

2020年3月に始まり、今は2025年5月。

5年もの時が経ち、やっと話題にもならなくなったコロナ。

 

私は3回ワクチンを打ち、周りがコロナに感染する中、

ずっと感染したことがない!流行りもの経験してみたい!とふざけたことをのたまっていたこともありました。

 

実は今更感の漂う昨年24年夏に感染しました。。。。

ということで、感染経験ありです。

 

将来のため?に5年前からコロナ関連の備忘録を。。。

 

2020年2月 ダイヤモンドプリンセス号でのコロナ感染が話題になり

警戒が始まった。。。

そして、2月中旬には、熱があるのに白川郷へのバスツアーに参加した女性が

コロナだったことが判明し、ウイルスをまき散らしたとたたかれていた中、

私は2月23日の天皇誕生日の休日をからめて、白川郷へのバスツアーに行く予定が。

 

クレベリンのぶら下げタイプを購入し、マスクと消毒液を持参で結局ツアーに参加しました。

 

白川郷も限界体制で、茅葺の古民家の入り口は消毒液があり人数制限。

少しだけ背徳感はあったけど、まわりに内緒でツアーを楽しんだ。

 

そして、3月に入り、会社の出社禁止に。ま、それでも結構出社してたけど。

 

人が集まるところに出入りすることがいけないことになってたので、フラメンコのレッスンも

どうしようかと悩む中、先生と大喧嘩。。。 もうやめてやる!事件があったっけ。

 

そして、志村けんがコロナで亡くなり、いよいよコロナが恐ろしいものに。

 

4月にはいよいよ緊急事態宣言がでて、出社も禁止。フラメンコのレッスンも休止。

東京オリンピックも延期に。。。

 

そんな中で、新製品にトラブルが発生。自転車で近所のお店をまわって商品を買い集め、

トラブル対応はさすがに出社しないと無理ということで、事業部と販売のメンバーは出社して

品質会議を行った。

誰もいない会社。。。。。 そこに集まるメンバーの妙な一体感。

懐かしい、、、

 

一日家で仕事すると精神的につらい。

 

結局昼か夜のどちらかは外で食べようと、ご近所のお店の開拓をしまくった。

それも、どんどんお店の営業もできなくなり、お弁当対応になっていく。

 

そして、5月

GWはサンセバスチャンに旅行に行く予定だったけど、もちろん取りやめ。

世界的に、飛行機もとばない、ホテルやレストランは休業。

ちゃんと飛行機代は返金されました。

 

日本で過ごすGW

 

会社では、採用面接があり、初めてリモートでの面接をすることに。

家の回線が不安定で、面接中に切れたら困るので、会社に出社させてほしいとお願いしたが、

断られ、、、本当に出社を一切許してもらえなかった。

 

6月ぐらいから、少し落ち着き、だんだん出社へ。

7月ごろには東京以外で落ち込んだ経済復活のためのGOTOキャンペーンが。

 

東京は除外されていたけど、我慢ができずに、gotoキャンペーンに関係なく、

利尻・礼文島への旅行を8月に計画。

すいている島観光を快適に楽しみ、でも東京から来たというと地方の人に嫌がられるので、

「千葉からきました」と微妙な嘘を。。。。

 

あとは奥多摩でキャニオニングを楽しんで、野外だし東京からでてないし、と言い訳して楽しんだっけ。

 

10月から東京もGOTOキャンペーンが始まり、使いまくり!

母親の喜寿のお祝いに奈良旅行へ。

友人と金沢・能登・黒部へ旅行

そして年末に熱海へ温泉旅行。

 

楽しんでいたら変異株が現れ、gotoキャンペーンが中止に。

熱海旅行がまさに最終日!!!

 

そして21年の1月にまたまた緊急事態宣言。

私は新しい部署に移動。

日焼け止めなどを扱う部署だったので、コロナで人々が外出しないと市場が落ち込んで商売にならない。

20年がどん底で、21年は復活しますよと引き継がれたんですが、、、

 

2月からワクチン接種も開始されたけど、一般の人に広まるのには時間が、、

結局、やっぱり普段のようにみな外出しない生活。市場はボロボロ。。。

でも私は旅行熱復活!海外はいけないので国内を楽しむ。

 

GWに西表島にダイビングへ。

ここから西表島にさんざんお世話になることに。

 

7月には和歌山旅行で熊野へ。

8月は友人が都合が合わず、西表島へのダイビング旅行に一人で参戦!

 

秋にはオミクロン株が現れて、なかなかコロナはなくならない。。。

 

大人数の飲み会もすっかりなくなり、おとなしい日々が過ぎていく。

 

年末はやっぱりまだ国外は無理だったので、与那国島へ。

 

本当に国内を旅しまくったな。

 

22年はやっと普通の生活に戻り、猛暑もあって日焼け止め市場も爆発!

 

京都の祇園祭りに協賛でサンプリングを行ったので、せっかくなので、急遽現地に行こうということになり、

メンバー2名つれて京都出張に。

 

暑くて死にそうな祇園祭りを堪能して、戻ったら、どうも体に不調が。

 

一緒にいった2名もめちゃめちゃ具合悪そうで、、、

でもみんな出張にいってコロナになったとは絶対に言えない空気が流れ、

私も強引にロキソニンで熱を下げ(熱がありました、、、)平気なふりをして出社しちゃってました。

 

一応、市販の怪しいコロナ診断はやってみたけど、陰性だったので、コロナじゃなかったということで!

(でもあれは絶対にコロナ)

 

8月は年末に行って気に入った与那国島へ旅行。楽しかったなあ。

 

そんなこんなで、22年はかなり生活は戻ってたっけ。

 

10月に直島旅行もしたし、出張で、北海道や福岡にもいって。。。

 

ただ、年末はどこにもいかず、紅白と嵐の最後のコンサートの配信をみてすごした。

 

で、23年はもう普通の生活!!!のはずだったのですが、、、

両親が米寿のお祝いで、沖縄に行きたいというので、GW明けのタイミングで

沖縄旅行をプレゼント。本島2泊、石垣島2泊の旅行で私の知っていることすべてをいれこんだ

超詳細ガイドブックを作って、万全の体制で。

 

旅行自体は楽しんでくれたんですが、、、、

 

まさかの父親がコロナ発症。そして母にすぐに感染し、両親ともにコロナで倒れる!!!!

プレゼントした旅行でコロナに感染するって、もうどう責任取ったらいいの???

 

父が夜中に具合が悪くなり救急車で病院に行ってコロナと診断。

そこでまさかの薬ももらえず自宅療法せよと強制的に帰らされた。

結果、母にもうつり大変な状況に。

親は医者不審になってしまい頑なに家から出ない。

都の相談窓口に電話したら、やっぱり高齢者に薬を出さないのはおかしいということになり、近所のコロナ対応の病院を教えてもらった。


強引に高熱の親を外に連れ出し、歩いて5分の病院へ2人を両脇に抱えて向かう。

5分が15分かかり、診察終了の時間だったけど、その病院はちゃんと待っててくれてみてくれました。


特効薬ももらい、また2人を連れて家へ。


高齢のコロナ患者2名を私一人で支えるのはマジできつかった。

 

でも、特効薬が聞いたようで、父が先に熱が下がり、1日遅れて母も回復。危機を脱出。

本当に勢いで買ったパルスオキシメーターが役に立つとは。。。

 

そして、二人を看病したからには、私も絶対感染すると覚悟してたのですが、

なぜか本当に一切感染しませんでした。

 

私にとっては23年がコロナ年でした。


夏には19年の年末以来の海外旅行!!!アイスランドへ。

 

完全に普通の生活に戻ってたんですが

24年の夏休みに会社の仲間と長野旅行を楽しんで帰ってきた2日後、どう考えても体調がおかしい。

夜中に一旦38度越えしたけど、ロキソニンで熱は治り出社。

会社のそばの病院で自費でコロナとインフルの検査をすると、、、

コロナでした。

これまた自腹で14000円するコロナの薬をもらって、今更コロナにかかりましたというのも、とこれまた会社には黙って1日休んで治しました。

コロナの薬、よくききました。


なんだかタイミングが相当ズレた感じで、私もコロナ禍の中を生きた5年間でした。