かなり時間が経ちましたが、
3月4日に父が退院した。
1月5日に入院して、1月10日に手術。
手術から54日目で退院。
当初から40〜50日は退院までかかると言われていたので当初予定より少しだけ遅れました。
手術後、食事も不味くて吐きそうになりながらも、かなり早い段階で出された量はちゃんと食べ切れるようになり、発熱もなく、最大の懸案である膵液漏も起きず、思った以上に順調。
とはいえ、十二指腸、胆嚢を、胃と膵臓の一部も取り、小腸を伸ばしてつなげて、、、
なので、消化器系が普通に機能するようになるには時間がかかる。
食事の量自体も少ないので、全部食べてもどんどん痩せる。
言われてた10キロどころか15キロ痩せてしまったので体力の衰えが激しい。
あんなに一日一万歩を平気で歩けてたのに、まずは病室のはじまでふらふら歩くところから。
少しずつ歩く距離を増やしてフロアを一周、2周、3周と日々リハビリ。
筋力の回復を目指す。
私は水曜日と日曜日、母はそれ以外の三日ほどお見舞いに行って、元気づける。
たくさんついていた管が少しずつ取れていく。
苦労したのは排泄系。食べてないから大きいのはそんなでないとは思うんだけど、毎日出さないと気が済まない父は、便秘だ便秘だと訴える。
水をたくさん飲んで、お薬ももらって、2週間ぐらいでなんとか満足のいく出具合になった。
が、今度は排尿。カテーテルが入ってたのを抜いてみたものの、なぜかちっとも自力で出ないらしい。
仕方なくまたカテーテルを入れて、、、
と、まさかの3度のやり直し。
術後3週間かけて、カテーテルが取れました。
カテーテルが取れてからは、顔色も良くなり歩く量も増え、お腹のドレーンは残り4本、3本、2本と減っていく。
二月の半ばには、かなり歩きもスタスタと軽快に。
支えなしで室内を歩けるようになった。
もしかして、二月後半にも退院か?
主治医から、
最後のドレーンをそろそろ抜きます。
退院に向けて頑張りましょう
と初めて退院の話が出ました!
で、2/20にドレーンを抜くとなった前日、、、
トイレでよろけて倒れたとの連絡。
なんと発熱してしまいました。
合併症の胆管炎にどうやらなったらしい。
胆管炎はこの手術をした人は、今後も起こりやすい。
でも、まさかドレーン抜く予定の前日に発症するとは!
看護師さんから、なぜか退院の前日とかに発熱する人多いですよ。と励まされ、1週間抗生物質で炎症を抑える治療をすることになり、ドレーンを抜く日も先送りに、退院は遅れてしまった。
しかも、偽痛風という尿酸ではなくカルシウムが結晶化して関節が痛くなる病気が足の指の付け根で発症。
歩くのが痛くて辛い状態になり、あんなに元気に歩けるようになったのに、またヨタヨタ歩きに戻ってしまった、、、
一度退院と盛り上がったところで発熱すると気力を削がれてしまう。
抗生物質治療を1週間行い、今度こそ予定通りドレーンを無事に抜くことができました。
心配していた再発熱もなく、その後の体調も問題なし。
退院できる状態に。
ちょうどお見舞いに行った水曜日に主治医の先生と会えたので、
父も病院に飽きてきてたので、先生と話して、私が会社を休める三月四日の月曜日に退院することに。
手術後の生体検査の結果などは私が先生に直接聞いてたけど、父母には伝えておらず。
でも、ここまま、先生からの話もなく退院じゃあ納得いかないだろうな。
ということで、先生には詳しい結果というより、退院後の注意点や今後の治療方針を話してもらうことをお願いして、退院の前日の日曜日の午後に予約。
そんな段取りでいたら、父からラインが。
なんと母親が私が勝手に先生と話を進めて退院を決めたのが気に入らなかったとのこと。
それは母親の役目なのに私が取ったと拗ねてるとのこと。
なので、退院は母親に任せて私は付き添わなくていいと、、、
めんどくさっ。
一応何があるかわからないので、会社は休みの予定のままにして待機することに。
今回の父の件で何気に困るのが母親の対応。母親の精神的負担も十分わかるけど、頑張りすぎて全部抱え込もうとする。
負担を減らそうと私が動くと拗ねるとか本当に勘弁してほしい。
で、迎えた日曜日。
先生からの話を父母と私の3人で聞くことになってたので病院に14時に待ち合わせ。
行ってみると、ラウンジに母が具合悪そうに座っている。
どうしたのか聞いたら、気持ち悪いとのこと。
父の個室に母を連れて行き、ソファに寝かせる。
吐き気が止まらず動けない、、、
一体どうしたんだろう。
というか、お正月に倒れたことから、父の退院に向けての受け入れと介助ができるかの不安でストレスで具合悪くなってるんじゃないかな、、、
とにかく動ける状態じゃないので、先生との話は父と2人で聞くことに。
いや、この予約はどちらかというと私だけ話を聞いてないと拗ねるであろう母のための会だったんだけど、、、
先生からの話は、退院後の過ごし方と今後の治療の話だと言ってたのに、母がいないからか、先生は普通に生体検査の結果を父に伝えてしまった。
あまりに淡々と伝えてちょっとびっくり。
癌は当初の見込み通り十二指腸乳頭部癌であること。
リンパ節に転移があったこと。なので、ステージは3です。と。
私は一度聞いてるので、その時に遠隔転移がなかった旨、リンパ節に転移していても一応全部取ることはできていることなど、確認してるけど、しらじらしくその質問をまたするわけにもいかず、、、
淡々と聞いている父はどう思ったのだろうか、、、
個室に戻ると母はまだ倒れたまま。
父の体温計で測っても熱はなく、巡回にきた看護師さんにお願いして血圧を測ってもらうと180とめちゃ高い。
相談して救急外来で診てもらうことに。
車椅子に母をのせ、救急外来へ。
父の退院の準備できたのにまさかこんなことになるとは。
緊急外来は救急車で運ばれてきた人もいて混んでいる。
なかなか順番が来ない。
なんとか診てもらったけど休日の外来は明らかに研修生。
何もわからず、血液検査と一応、脳のCTを取りましょうということに。
眩暈がするとか言ってたので脳も見てもらえるのは安心です。
結局吐き気止めと脱水症用の点滴を打ってもらい、だいぶ元気になった母。
2時間ぐらいかかって全ての結果が出た。
ありがたいことに異常は何もなし!
良かった。
これで母まで何か病気が見つかったらもう私1人では対応できないと途方に暮れるところでした。
やっぱり退院のストレスだな、、、
なんとか歩けるようになった母と父の病室に戻る。
この状態では、明日の退院はやめた方がいいのでは?
私は退院の翌日から和歌山に出張。
何があっても対応できない。
木曜日は休み取れそうだから木曜に退院を延ばそうか?と聞いても、母が頑なに大丈夫と言い張る。
これで機嫌悪くなられても面倒なので、退院は私が付き添い、母は家での待機をお願いした。
この日は実家までタクシーで母を送り届け、すぐに休んでもらった。
で、翌日は昼ごはんを食べ終わったところでお迎えに行き、介護認定を申請したいという両親の話を受け、病院のスタッフに相談。
どこのケアセンターに行けばいいのか、どんなことを支援してもらえそうかを教えてもらう。
1人で基本生活はできるので、認定は降りないのでは?という見立てですが。
それでも15キロ痩せた父は筋力がなく、立ち上がるのに支えがないと厳しい。
なので、ベットの手すり、トイレの手すり、お風呂の椅子は絶対必要!
要介護が降りなくても支援はおりるのでは?なんて話して、いよいよ退院です。
あっさりしたもので、ナースステーションにこちらから、お声がけしましたが、いつもの仲良し看護師さんはこの時間はいなくてお礼は言えなかった。
タクシーで家に帰ると体調を戻した母は、スーパーに買い出しに行っていた。
まだ夕方まで時間があったので、せっかくお休みを取って実家に来ているので一気に用は済ませようというので、ケアセンターへ足を運んだ。
窓口の担当者はとても親切で、昨年我が家に様子見に来たことがあるとのこと。
地域の福祉ってすごいなぁ。
介護保険の申請書を書き、必要なものについての相談をすると、介護認定が降りるまで地域の提携店から、無料で貸し出してもらえるとのこと。
認定降りるまで数週間かかるので、必要なものは翌日に業者を連れて持ってきてくれることになりました。
助かる。
そんなこんなで、ばたばたの退院。
無事に終え、今は1ヶ月経ちました。
母もその後ストレスで倒れたりすることもなく、父は頑張ってお散歩して筋力をつけてます。
病院にいる時よりよく食べるようになったし!
我が家にも
春が来ました。