少し時間が経って落ち着きを取り戻したところで、また胸がざわざわしだした。
文化祭は何事もなかったかのように続けられている。
が、、、
火は消され、ボヤで済んだけど、幕は燃えた、、、
そして、消防車もきた。
あのステージで、明日、私たちは公演はできるのか??
この目で見たあの燃える舞台。
嫌な嫌な予感で
心は不安で満たされていく。
すると、校内放送がかかり、顧問の先生に呼び出された。
その瞬間、全てを察した。
先生から
「残念だけど、明日はホールは使えません。
消防の現場検証もあるので。」
はい。。。
今度はまた別の涙が溢れ出す。
この半年、明日1日のために、明日の2時間のために毎日過ごしてきた。
報われることなく、この文化祭が終わる。
なんだったんだろうか、、、
ひとしきり泣いた後、今度は私が校内放送で部員を呼び出す。
文化祭は何事もなかったように続けられ、普段にない活気と高揚とざわめきに溢れている。
その中で私だけ取り残されたように冷めた空気と倦怠感。
部員にホールで起きたこと、そして、明日の公演ができなくなったことを伝えた。
みんなのショックは計り知れない。
それを全部受け止められるほど私も強くない。
事実を伝え、解散した。
ただ一番伝えないといけない主役Iさんは、体調を崩して学校を休んでいる。
携帯電話もない時代、何が起こったか何も知らずに。
伝えないと、、、
Iさんには、私の口から直接伝えないと。
Iさんのショックを思うと胸が張り裂けそうに辛い。
そんな思いを胸に、泣きながら電話したのは覚えています。
でも、どんな会話だったか、どんな反応だったかは記憶がありません。
辛すぎてごっそり消し去られています。
そして、、
文化祭は続いています。私にはもう意味のない文化祭が。
やることもなく、友人のもとをふらふら彷徨う時間を過ごす、、、
そこに、
「中学英語演劇部の部員が、演劇部の部員に聞こえよがしに
「演劇部のせいで、公演がなくなった」
と言った」
と耳に入ってきました。
悲しくなりました。
ものすごく。
火事の原因は、舞台の設計上のミスだったんです。
フットライトと幕の間に十分な距離がなかったため、フットライトの熱で幕が燃えてしまった。
だから、演劇部のせいではなく、たまたま演劇部の公演中に起こっただけ。
私たちの公演中に起きても、おかしくなかった、
演劇部は、あのアクシデントも落ち着いて対応し、観客を避難させ、怪我人も出さず、火も消し、最小限に被害を食い止めた。
私たちにあんな対応はできただろうか。
そして、火事になったことで一番ショックを受けたのは演劇部の部員たち。
同じ舞台を創る者として、どうしてそんなこともわからないのか、、、
悲しくなりました。
また部員を校内放送で呼び出しました。
これ以上、傷をえぐり合うようなことはしないで。と。
こうして中学三年の文化祭が、
私にとって最後の中学英語演劇部の文化祭が終わりました。
中学生の私には重すぎる出来事。
平凡な日常に起きた非平凡な出来事。
私は中学卒業で演劇系の部活から離れ、
替わりに文化祭実行委員になりました。
お世話になった実行委員や他の部活の先輩たちとのつながりから、文化祭自体を運営したくなったから。
そして、今、、、
数十年経った今、、、
演劇は自分でやらないけど、舞台を見るのは好き。
特にカーテンコールは、今だに舞台を創りあげていく苦労が蘇り、演者やスタッフのやり遂げた表情をみると、こちらも胸が熱くなります。
そして、今も変わらず、何かをみんなと協力して創り上げるのは好き。
だからメーカーでモノづくりをしているんでしょう。
だから、フラメンコも群舞のステージをみんなで作りあげるのが楽しくて、続いているのでしょう。
今の私の原点はあそこにあるのかも。
そして、、、
あの時、私たちがアンに選んだIさんは、
大学生になったころ連絡がありました。
丹波哲郎道場に入り舞台に立っていることを教えてくれました。
舞台、続けてくれたんだ、、、
何よりも嬉しかった。。。
何十年経った今、彼女はどうしてるんだろう、、