今日は、訳あって、社会勉強のため、
東京地裁の裁判を傍聴することに。
初めて法廷に入った。
地裁だから、意外と小さい。
その分、傍聴席と被告人の席が近い!
凶悪犯だったら、すごく怖い距離。
今日傍聴したのは、覚せい剤取締法で
起訴された事件。
被害者はいないので、緊迫感はない。
被告人が入ってきた。
手錠をつけて、腰縄もつけられて。
ドラマでよくみる光景だけど、
実際目の前でみると寒気がした。
腰縄なんて、効力は対してないだろうけど、
精神的な屈服感が物凄い。
この事件は40年間、覚せい剤が
止められず、今まで8回つかまり(覚せい剤取締法前科8犯)、
つい1年半前に出所したのに
また覚せい剤で捕まったという事件。
傍聴人もほとんどなく、淡々と進行。
想像してたより、わかりやすい話し言葉で
穏やかな口調で裁判官と国選弁護人が話す。
一方、検察官は威圧的。
もちろん、人によって違うんだろうけど。。。
被告人が犯罪を犯した背景を知るために
生い立ちが語られる。
9度目の再犯だから、皆、反省の弁が虚しく空を切ることは承知のこと。
被告人も
「今度こそ止めるといっても信じてもらえないでしょうが」と前置き。
「でも年も年だから今度こそやめて、シャバで残りの人生をまっとうしたい」
と。
なんとも、やるせなく、悲しくなった。
覚せい剤をやめられない、弱い人間。
今までだったら、それ以上
何も思わなかったかも。
でも、生い立ちをきき、本人を目の前にすると、
年老いた姿、
人生を諦めてしまった表情、
誰も恩情酌量の証言にきてくれない環境、
不幸にも若い頃におってしまった身体的障害。。。
悪い人生のスパイラルにはまってしまったきり、
抜け出せない虚しい状況がみえ、やるせなくなった。
人生の分かれ道はどこにあるのか、
分かれ道は必ずしも自分の意志で選べない、、、
人生って不公平なこともあるし、
反面、誰でも、ふとしたきっかけで悪いスパイラルにはまることもある。
傍聴席と被告人席の距離の近さは、あやうい人生の境目にみえた。
そして、裁判の意味についても考えさせられた。
この人にとっての裁判ってなんの意味があるんだろうか。
8回も服役しても、薬はやめられない。
今まで8回の刑罰は何の意味があったのか。
私が考える刑罰の意味は、
犯罪を抑制する楔であり、
罪を犯した人が更生するためのもの。
更生せず、社会を乱すままであれば、
刑罰の意味はないのでは。
この被告人だって8回も同じことを繰り返すなら、
刑務所に服役する以外にクスリをやめさせるための何か手立てがないのか?
クスリは再犯も多く、別の凶悪犯に繋がり易いことは周知のこと。
性善説で考えるなら、本当に悪人になってしまう前に
軽犯罪の時点で、更生させられる刑罰が、必要なんじゃないか、、、
初めての傍聴で、色んな疑問や感情が湧いてでた。
今日は特別に閉廷後、裁判長と質疑応答の時間があった。
優しい裁判官だったので、思わず質問してしまった。
今回の被告人にとっての刑罰の意味について。
裁判官は丁寧に応えてくれた。
でも、裁判官も人が人を裁くことの限界や
改善の可能性を探っているようだった。
答えに納得したとか言えないが、そうではないが、
ただ、気づかされたことがある。
、
たまたま私が今日きいた事件は被害者がいなかった。
が、被害者がいた場合、同じ疑問を抱いたのかどうかということ。
刑には「応報刑=目には目を」という意味もあること。
確かに、被害者がいる事件において、私自身も性善説を
唱えてられるか疑問。
罪と罰
難しい、、、難しすぎる。。。。。