娘の魂と生き続ける母の

この世を生きる証を書いています。

繋がってくださりありがとうございます。

 

 

前回は感情的な部分も含んだブログを書きました。読んでくださり

そして、いいねやコメントやメッセージをいただき

ありがとうございます。気持ちが落ち着きました。

 

今は、相手も自分も「許そう」という気持ちです。

 

まずは自分を許そう。

頑張って生きている自分を許そう。

 

絶望体験をして偏った見方をしたりする自分を許そう。

絶望体験をしていない人の何気ない言葉を許そう。

 

なんだかんだと「仕方ない」という言葉しか出てこないのですが

自分の人生だから、誰のものでもないし自分に起こったことに

何か嫌な気持ちを自分に矛先向けても、状況は良くなりませんね。

 

 

あれから連絡をくださった方には連絡を返しました。

 

 

生きている人ができることは、行動。

言い合える。伝え合える。捉え方が違うと全然違ってくるんですがね。

今回私がやったことですね。許してもらおう。

 

 


 

自分の人生の最期の時に、

「やっと死ねるよ〜」と死を

最大のご褒美として受け入れたい。

こう思えるのは、生きるを精一杯生きた最期だからだと思うんです。

 

長女は最後の手紙にこう書いていた。

「先に死ぬのは本当にごめん。でもやっと死ねる」

彼女が精一杯生きた証拠。そして死をご褒美として受け取ったんだろうね。

 

 

彼女の思想は分からないけれど、

それも人それぞれだと思う。

親だから全てわかっていないし、言いたくないことは嘘をついてでも

言わないのは私も一緒だから、仕方ないことないのだろう。

 

 

自分のこと以外で起こることは

仕方ないことばかりなのだろうね。

その事柄に意味付けを後付けのようにしているだけなのかも知れないなぁ。

 

まだまだ旅は長そうですが、

あの世にはいつでも行けるから、この人生をじっくり進み、

私の魂の成長を肉体を持って感じてみていこうと思います。