娘の魂と生き続ける母の

この世を生きる証を書いています。

 

娘が亡くなった日から、もうすぐ1年。

この1年の間、激変した私の世界。

何があっても絶対やめないと思っていたヨガも半年前にやめた。

 

娘も

お母さんはやると決めたらやり通すし、ヨガは絶対やめないだろうと。

そして好きな仕事もやめないだろうと。

 

将来を設計するために好きな事を仕事にした。

娘の大学入学時に夢を現実にする予定だった。

 

ヨガ講師、お菓子作りの講師、イラストレーター。

この3つに共通しているのは、集中と瞑想。

 

多忙だったから、無の境地にいることは非現実の世界で居心地が良かった。

 

今は

仕事もやめて、交流もやめて、ヨガもやめた。

 

人生は暇潰しだと、僧侶が言っていた。

その暇潰しに何をするか。

 

生きるなら精一杯楽しめ!生きろ!何かしろ!後悔しないように!

生きてるうちは何かしとけ!

その言葉が重くのしかかる。

 

 

この世じゃなくてもいいのよ〜

やれなくてもいいのよ〜この世で。

今世の課題を持ち越してもいいじゃない。

あの世に娘がいるなら、いつでもあちらの世界に逝くよ〜。

気持ちは軽くなった。

 

 

 

なのに、生き続けるための意味や、

娘が亡くなった意味を探そうとすることがとても重たい。

 

春だから?

世間はお祝いムードなエネルギーが流れているように思う。

 

世間、過去と比較して

 

生きる意味を探すという呪縛に縛られている。

 

 

子育てにも、こーしたらあーしたらという呪縛に取り憑かれていた。

それを解いたら、楽になった。それを呪縛で苦しむ人に教えたら感謝された。

 

でも、娘が亡くなると、呪縛を解いた自分に原因を押し付け、自分いじめが始ま

る。自己否定が始まって、自信喪失して、負のエネルギーで消耗している。

 

 

因果を探ろうとする、この思考癖は、昔からある。

 

 

娘が教えているのは、

「いい加減、自己否定をやめてお母さん!因果応報で人生作ってるんじゃないから。人生に意味とかないから」

と言っている気がする。