ガットハロのブログ’混石’ -86ページ目

Was It All Worth It

 「人間が人間であるために必要な部品と同様に、自分が自分であるために必要なものも少なくない」というような台詞があったのは攻殻機動隊というアニメ映画だったと思うが、ここで私を構成するダメ要素の一つに「これまで夢中になった漫画の内容を無駄な詳細さで暗記している」が挙げられる。


 ブラックジャックでデベソの達ちゃんが掘り出すのはゴルゴサウルスの化石で、ドラゴンボールの単行本11巻タイトルは「天下一のスーパーバトル!」で、AKIRA4巻の最後のコマは金田君が膝立ち気味に瓦礫の上で「止んだかな」とつぶやくシーンなのである。確か。


 ものすごくどうでもいい例ばかりなので検証などしないでいただきたいし誰もそんなことしないだろうと思うが、上にあげた漫画3作を私はもう5年以上読んでいないことだけは申し添える。ダカラナンダッテイウノサ。


 そう、だから何だ、という知識や記憶が頭の中に多すぎる。これは何もアレな私の漫画話に限らず同意してもらえるのではないか。


 残念ながら私の話ではないが10年以上前に初めて付き合った女の子の家の電話番号を覚えているとか、これは私の話だが小学校の焼却炉になぜか「ヒヨコもえろ」という落書きがあったのを知っているとか、脳のメモリー機能から永久に削除したところでこれからの人生に何の影響もないと思われるあれやこれやの知識、記憶は全部まとめれば六法全書くらい軽く暗記できる分量になるのではなかろうか。


 ああ、母よあなたは正しかった。それら下らぬメモリーは「そんなことしてる暇があったら勉強しなさい」の一言を真面目に受け入れていれば限りなくゼロに近づけることができたんでねえのか。おい、違えか。違いません。ごめんなさいごめんなさい。


 一瞬心がどこかに跳んだが無駄な知識のことである。この浮世を生き続けるだけで、無駄な知識はどこまでも増える。増え続けて時系列に積み重なったとき、ムダ知識の山脈はその人自身の変遷を、ひいては個性を表すことになる。しかし実際のところ、この益体もない自分史は、世界に、他人に対し、何の価値もない。それはもう、どうしようもなく役に立たない。


 以上を踏まえたうえで更に血も涙もないことを言ってしまうと、上記のごとき「如何にして私が」はもとより「あの努力が私にとって」とかいう中間経過の話は他人に表明する必要がない。「その結果何ができるか」以外、他人にとって重要なものがないからだ。


 そんなことはない、僕は私は人の歩んだ道のりを鑑みて努力やその経緯には価値があると考える、と言う人もいるだろうが、そんな人も、「イヤな奴」に対し同じことを言えるだろうか。「わるい奴」と言い直してもよいが。


 「イヤな奴」というのは結果に過ぎない。同じく、「イイ奴」もただの結果だ。他人から見て「イイ奴」になってこそ初めて努力をかってもらえるはずである。そして努力は「イイ奴」ばかりを生むわけではない。他人から見て「イヤな奴」になる努力をせっせと積んでいる人間だって結構多い。


 例えばクリスマスイブの夜、美男子の若い部下が「あ、今夜は美人の彼女と一晩中一緒って約束しちゃって」とか「彼女泣きながら待ってるんすよ」とか言って私に仕事を押し付け、国道246号を300km/hですっ飛ばして帰ってしまうとする。私には山のような残業が残されるとする。


 美人の彼女さんにとって彼氏である私の部下は最高だろうが、私にとっては最悪である。もしも私に憎しみで人をナニする能力があったれば、彼はクリスマスの朝を迎えることはない。


 なんだか私の劣等感を披露するだけのイヤラシーい例になってしまい、いまひとつ参考にならないが、ここで曲者なのは、彼女さんの彼に与える「イイ奴」評価と私が与える「イヤな奴」評価、どちらも本心であり、特に改める必要がないという点である。


 下手に「会社の人に迷惑かけない方法はないのかしら」とか「あいつの理由も汲むべきところがあるんだし」とか、この齟齬をどうにかしようとお互い真剣に考え過ぎると、物事を評価する、善悪を規定する、ということがうんと大変になるからだ。え、単に恨む私が醜いと?ええい黙れだまれ。


 とは言え、自分にとって最も重要なこと(そこに至る理由や経緯)が大多数の他人にとって大した価値がない、という事実を認めるのはなかなか大変である。


 だから家族や友人や恋人がいるのだ。きっと。世間における価値をある程度飛び越えて無駄なことを語り合うために。そして何か残そうとするのだ。多分。今まで積み重なってしまった無駄なことを「そんなに無駄じゃない」と言うために。ダカラナンダッテイウノサ。


 とまあ、ここまでながながと語ったところで、やはり役立たたずな我が記憶野を正当化することはできないらしい。


「この曲のここはさ、ドラゴンボールのアニメで前回までのあらすじの時かかる音楽の感じで」
「……ああ、はい」
「え、…うん、そうか」


 とりあえず今は、ざわも石川もあきれた目で私を見ているという、このスタジオ内における酷寒の空気をなんとかせねばならぬ。そして「音楽は感性」という言葉を私はもう、信じない。


 ああそうだ、あとは皆さま、よいクリスマスイブを。それから、僕明日はライブ を。あ、ほらほら、韻踏んだよ、今。